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夢を叶えただけでは終わらない。一歩抜きん出るために必要なこと~AKB岩佐美咲さんインタビューその2~

佐藤智子プロインタビュアー、元女性誌編集者
3rdシングル『鞆の浦慕情』の撮影のため、広島県福山市鞆の浦に

AKBアイドルで、初の演歌歌手岩佐美咲さん(オフィシャルブログ)にインタビュー。

シリーズ第二弾!!

10代のアイドルが試みた夢実現への道のりとは?

ビジネスにも通じるノウハウ、

『就活必勝法!!』を引き出しました。

<念願の会社に入れてもなかなかやりたいことがやらせてもらえない。

その時、チャンスをつかむには?>

<岩佐美咲さんインタビュー>パート2

「夢をかなえただけでは終わらない。一歩抜きん出るために必要なこと」

パート1は、こちらから

Q 実際、AKBの面接って、どんな感じでしたか?

A 秋元先生がおられましたね。他にも、5、6人の方が。

Q え? いきなり、秋元さんが? 何人くらいの応募だったんですか。

A 全然覚えてないですけど。

Q 千は超えているでしょう。

A いや、その頃はまだ、AKBの存在が認知されていなくて…。

Q 7期生でも?

A はい。しかも、研究生って何? という感じでした。今でこそ、研究生というのは、昇格すればAKBに入れることも理解されています

し、存在も確立していて、人気もありますけど、その頃はまだ、将来的にどうなるのかわからない存在だったんですよ。

Q 研究生は、どういう活動をするんですか?

A チームA、チームK、チームBにメンバーがいて、その下に研究生というのがいて、先輩メンバーが公演を休まなければいけない時の穴を埋めるために、振りを覚えておいたり、研究生だけで公演をしたり。

Q 研究生というのは何歳から何歳までとか、年齢で若いとかではなくて?

A メンバーと歳が同じとか、メンバーのほうが若いということもあります。

Q 研究生はその時は何人採用だったんですか?

A その時は、十数人だったと思います。

Q その枠に、数百人は応募してきたんじゃない?

A そうですね。今のほうが応募総数も多いし。その時は、倍率も全然低かったから、私は受かったんだなと。

Q いやいや、そんなことはないでしょう。その時、秋元康さんというのは、知っていたんですか?

A すごい人というのはわかっていました。秋元康先生といえば、おニャン子クラブを作られた方だと。

Q どういう面接だったんですか?

A その時は、質疑応答と、一人一曲を歌うという歌審査もありました。

Q どんな質問されたか、覚えていますか?

A 好きなメンバー、好きな曲、なぜAKBに入りたいのか? 正直、AKBについてあまり詳しくなかったんですが、DVDを買って研究しました。

Q 歌は何を歌ったんですか?

A 大塚愛さんの『さくらんぼ』を歌いました。やっぱり、可愛い曲じゃなきゃいけないのかなと思って。

Q 今までの話を聞くと、わさみんは、アイドルになりたいわけではなくて、どちらかというと、歌手になりたかったわけですよね。ということは、歌手になるために、自分をアイドルに寄せたわけですか。夢をかなえるために、アイドル研究をしたんですね。アイドルとは可愛いフリフリを着るものだ、とか。

A はい。受かりたかったんです。だから、アイドルという、漠然としたイメージがあって。フリフリ、ピンク、可愛い曲みたいな。安直ですね(笑)。

Q 周りのお友だちには、意見を聞かなかったの? その当時、中1というと、誰が人気だったんだろう。

A それこそ、大塚愛さんとか、倖田來未さんとか、人気でしたね。

Q え? 最近じゃない。ああそうか、5年ぐらい前のことですものね。あまりにも、わさみんがしっかりしているから、30歳くらいのイメージで話をしていました(笑)。すみません。やっぱり、幼い頃から面接とか受けているから、精神年齢も高いのかもね。見た目は19歳なのにね。

A 本当ですか?! あと、20年したら、縁側とかにいたりして(笑)。

Q いやいや、そういう意味じゃなくて。すごく話しやすいです。大人として、普通に会話できるというか。わさみんは、こういう人を目指したいとか、憧れる人はいなかったんですか?

A 漠然と、歌を歌う人になりたい、テレビに出て、歌いたいというのがあって。

Q ボイストレーニングに行くとか、歌の勉強はしなかったの?

A してました。小6から、中1のAKBに入るまで、2年間行っていました。

Q やっぱりそうなんだ。それは、お母さんが見つけてきて?

A いえいえ、バックダンサーをしていた時の事務所の方に、「歌手になりたい」といって、紹介してもらって、通っていましたね。

Q なんだか、動きがビジネスマンのようですね(笑)。やりたい仕事のために、勉強するわけですよ。セミナー行ったり、スクールに行って、スキルを高めたり、資格を取ったり。

A いやいや、恥ずかしくなっちゃう(笑)。

Q いいことだと思います。歌手になりたいと口で言うばかりじゃなくて、実際にスキルアップを考えて、動いているじゃないですか。そこがえらいですよね。感心してしまう。では、本格的に発声練習とかやっていたんですか?

A はい、やっていました。

Q その時、目指していたのはどんなジャンル? 歌が歌えるなら、どんなジャンルでもいいとか。あんまりしぼってなかったの?

A そうですね。いろんな歌を歌いたいとすごく思っていて。バラードも好きですし、ロックのような激しい曲も好きですし、可愛い曲も好き、演歌もカラオケで歌っていたので。

Q どんな演歌を歌っていたんですか?

A 石川さゆりさんの『津軽海峡・冬景色』とか『天城越え』とか。

Q ボイストレーニングの先生からは、こんな特徴の声だねとか、言われていましたか? 君はこういうところがいいから、こういうふうに伸ばしたらとか。

A あんまりほめてもらえなかったですね。何かを言われたというより、基礎を教えてもらっていました。

Q どれくらい通っていたの? 週に何回くらい?

A 歌は週1で、ダンスは週3ですね。

Q ええ?! ダンスは小1からでしょう? そんなに。どんなダンスを習っていたの?

A いろんな先生のクラスがあって、ジャズ、ヒップホップ、バレエ、ロッキング、ハウスとか、受けていましたね。

Q ちなみに、小学校の時のスケジュールって? 学校もあるから忙しいでしょう。

A 忙しかったですね(笑)。学校終わって、一人で電車に乗って片道2時間くらいかけて 行っていました。

Q ええ~、しかも踊っていたんでしょう? アスリート並みですね。よく、続いたね。

A レッスン代や交通費がかかっていたので、親に出費をさせてしまって、申し訳ないと。だから、そのぶん、頑張らないとと、思っていました。

Q 泣かせますね。往復4時間近くでしょう? サラリーマンの通勤でもなかなか。ずっと努力してきたんだから、歌に情感がこもるはずだよね。苦労してるもの。親孝行だし。みんなが遊んでいる時期に。放課後はない感じで頑張っていたんですね。疲れなかった?

A 元気でしたね。

Q ああそうか。若いもんね(笑)。でも、ご飯とかはどうしていたの?

A コンビニでおにぎり二個買って、スタジオに早く行って食べていました。

Q ちなみに、ある日のスケジュールでいうと、3時くらいに学校が終わったとしたら?

A 一度家に帰って、レッスン着のジャージをかばんにつめて、お母さんに駅まで車で送ってもらって、電車に乗り、電車の中で仮眠。6時前に着いて、コンビニでおにぎり2個買って、スタジオの脱衣所で食べて。今考えると怖いのが、都内に出るのに、500円くらいしか持っていませんでしたね(笑)。レッスンが2時間。着替えて帰って、家に着くのが22時くらい。

Q ええ? おにぎり2個でヒップホップを踊っていたの? そりゃあ、AKBに入れるよお。こんなに頑張っていたら。

A いやいや、みんな頑張っていますから。

Q そういうのを見ていると、親も応援しちゃうよね。

A はい。すごく応援してもらっていました。ありがたかったですね。

Q そんな苦労の末の、AKBのオーディションだったんですね。秋元先生の反応はどうでしたか?

A その時は、「ありがとうございました」と普通の反応だったんですが、後々、その時の話を他の方から、「岩佐は、オーディションの頃から、歌もダンスもうまかったし、劇場公演できっとたくさん支えてくれるだろうと思ったから、採用した」と聞かせてもらって、よかったあ、歌とダンスのレッスンを受けていてと、心から思いましたね。

Q ずっとやってきたことがAKBのオーディションで証明されたんだね。よかったね。実際に、何日後に、合格の知らせが来たの?

A 当日発表だったような気はします。最後に全員終わった時に集合して、名前を呼ばれました。

Q わあ、きついね。名前呼ばれた人だけ残ってという感じ?

A はい。

Q 名前呼ばれてどんな感じだった? 

A すっごい、うれしかったです。

Q 名前呼ばれて、残って、どういうことを言われたんですか?

A 「これからこういう活動をしてもらいます」みたいな。

Q 業務連絡のような感じで(笑)? いきなり? 喜びをかみしめる暇もなく。

A そうですね。オーディションをする中で、仲良くなった子たちもいたんですけど、一緒に受からなかった子もいたので。

Q ああそうか。あんまりあからさまに喜べないよね。お母さん、喜んだんじゃない?

A はい。一緒にいたんですが、相当、喜んでいました。ああ、いいなあ。あの感覚を、今、思い出しました!!

Q そうよお、選ばれたんだから。なんか、オリンピックの選手の親子みたいだよね。AKBとして実際に活動し始めると、研究生として、練習するんですか?

A AKBはダンスレッスンとか、歌唱レッスンとかないんですが、ステージがたくさんあるので、振付を覚えたりしていました。

Q 今まで歌もダンスも何もしたことがない人が、急にアイドルになると大変ですね。

A 何も習ったことがないという人は、いっぱいいました。そのほうが多いです。

Q じゃあ、わさみんは、ロックダンスとかも踊れるわけだから、差が出るでしょう。

A 覚えるのは早かったですね。ダンスうまいねと同期の子から言ってもらえていました。

Q オーディションに受かってから、実際にステージにあがるまではどれくらいの期間があるの?

A 初めての劇場に出たのが2009年の2月28日というのはすごく覚えています。オーディションに受かったのが12月。1月にやったコンサートが私たちのお披露目だったんですね。その1か月後に、先輩の穴を埋める形で出演しました。先輩たちの中に一人まじって緊張しました。

Q どうでした? お客さんとの距離がすごく近いんでしょう?

A すごく近くて。最初にすごく思ったことで覚えているのが、ライトがすごすぎて、前が見えないんです。まぶしすぎて。お客さんが全然見えない状態で。客席が見えない。

Q 客席が見えない、って、ステージに立った者だけが言える感想ですね(笑)。ファンの人の反応を見て、どうでしたか?  AKBに入れたという実感がわきましたか?

A ファンの方の反応を見る余裕もなかったんですけど。初日にステージに立たせていただいた時に、私もステージに立てるような人間になれたんだって思えました。

Q 夢をかなえましたね!!

A はい。ひとつ、スタートラインに立てたんだなと。すごいうれしかったですね。

Q 自分へのご褒美とか、家族でお祝いとかしなかったんですか?

A しました。焼肉食べにいきました(笑)。 

Q アイドルになるのが夢だったら、なれたらこれで達成ということになるけど、わさみんの場合は、それからだものね。歌手になるために、まずAKBに入ってという、将来設計があって。資料読ませてもらって、もう一つの転機として、15歳でむかえたAKBのカラオケ大会。その選曲を演歌でいくという戦略(笑)。それは、誰が考えたの?

A お母さんです(笑)。

Q やっぱり(笑)。

A お母さんがいなかったら、人生が変わっていましたよね。カラオケ大会は、誰でも希望すれば歌えるという形だったんですよ。その時は、研究生でずっとやっていて。劇場のステージにはたくさん立っていたけれど、メディアにはまったく出られなかったし。人気も全然なかったし。研究生公演、他のチームのアンダーでも入っていたし、それぞれの公演のバックダンサーもしていたので、ほぼ毎日ステージには立っていたんですが。

Q その時はさすがに、ボイストレーニングやダンスレッスンは行っていなかったの?

A ええ、行けていませんでしたね。学校もありましたし。忙しい毎日で、歌を披露する場もなかったし、こんな状態では、歌手にはなれないとずっと思っていて…。全然前に出られないし。干されたような気持ちになっていましたね。

Q これは、まるで、サラリーマンでいえば、大手の企業に就職はしたものの、やりたい仕事をなかなかやらせてもらえない状態のようですね。そんな悶々とした2年があって、そこから一人抜きん出るためにどうしたんでしょうか。だって、ソロデビューできるなんて、すごいことじゃないですか。それに向かって、まず、人生設計として、このままではいけないと思ったわけですね。でも、確実に場数は踏んでるわけですからね。

A でも、踏めば踏むほど、自信がなくなってしまって。

Q どうして?

A だって、公演でも自分のポジションは後ろだし、16人がステージに上がっても、全然端っこだったし。同期の子とかがテレビに出たり、選抜に入ったりということがあったので。

Q その頃は、ファンの方はいなかったの?

A いてくださいました。どんな時もゼロということはなくて。それがありがたいなと思ってはいたんですけど。

Q 一番最初のファンの方とか、覚えていますか?

A 覚えています、すっごく、覚えています。中学生だったから、お父さんみたいな目で見ていただいていました。手紙をいただきました。

Q そういうファンの方と接する時、わさみんのファンの方って共通点があります?

A みなさん、親目線というか、娘を見るような温かさがあったし、がむしゃらにやっている姿がいいよと言ってくださって。一人でもファンの方はいるんだから、頑張ろうと思えましたね。

Q その頃の手紙の内容とか覚えています?

A なんか、手紙をいただくって不思議な感覚じゃないですか。しかもすごく私のことを考えてくださっていて、「同期の子が前に出ているなか、すごくつらいことがあるとは思うけど、でも、僕はいつも応援しているからね。劇場公演では、一番輝いているよ」と。ええ~、すごい、なんで、この人、私の心がわかるんだろうと。

Q 後ろの端にいて、もう私は…と思っていても、それをちゃんと見ていてくれる人がいるんですね。すごいですね。ファンの方って。だからこそ、頑張ろうと。このままではいけないと、カラオケ大会についてお母さんと話し合いをしたわけですね。

A はい。ネタに走らず、ちゃんと歌を歌いたいと思って。でも、J-POPだと、うまいメンバーは他にもいっぱいいるし。もっと、おお~ってなることがしたいと思って。お母さんにどうしよう、こういうのがあるんだけど、と相談したら、演歌を歌ってみたらと。そこで、『津軽海峡・冬景色』を歌って、まさかの優勝をもらったんです。

Q すごい!1 だって、付け焼き刃じゃなくて、小さい時から歌っていた曲だもんね。何人参加していたんですか。

A 全員参加していたんで(2010年『AKB48 東京秋祭り』の大会。50人が参加)。

Q 他に演歌を歌っている人はいたの?

A ネタではありましたけど、本気の人は私だけでした。イントロ流れた瞬間で、おお~となりました。「誰だ?」「岩佐だ」という感じで。

Q それが、ソロデビューとどうつながったんですか?

A 秋元先生が、メンバーの中で演歌を歌える子はいないかと、前から言われていたらしいんです。そのことを全然知らなくて。でも、なかなかいなくて、カラオケ大会を見てくださっていて。

Q じゃあ、演歌を歌ったというのが、本当に転機だったんですね。

A はい、大きく人生が変わりましたね。あそこで歌っていなかったら…。それから、今の事務所、長良プロダクションに入れていただきました。

Q 歌手になるために、モデルさんからとか女優さんからとか、映画出演をしてからとかは、あんまり考えなかったの?

A まず、自分の容姿に全然自信がなかったので。申し訳ない気持ちになるので、モデルとかはないなと。

Q その、「申し訳ない気持ちになる」という、謙虚なところがわさみんの魅力というか、ファンの人の気持ちをくすぐるんでしょうね。守ってあげたくなるというか。可愛いよね。

A (照れ笑い)。

(次回に続く)10月9日配信予定

プロインタビュアー、元女性誌編集者

著書『人見知りさんですけど こんなに話せます!』(最新刊)、『1万人インタビューで学んだ「聞き上手」さんの習慣』『みんなひとみしり 聞きかたひとつで願いはかなう』。雑誌編集者として20年以上のキャリア。大学時代から編プロ勤務。卒業後、出版社の女性誌編集部に在籍。一万人を超すインタビュー実績あり。人物、仕事、教育、恋愛、旅、芸能、健康、美容、生活、芸術、スピリチュアルの分野を取材。『暮しの手帖』などで連載。各種セミナー開催。小中高校でも授業を担当。可能性を見出すインタビュー他、個人セッションも行なう。

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