都市対抗の舞台で感じた「野球人」の誇り―もと阪神・野原将志選手―
もと阪神タイガースの選手が何人か入ったため、昨年から注目してきた社会人野球。その中で“三大大会”と呼ばれるもののうち、一番伝統があるのは都市対抗でしょう。東京ドームで開催中の『第86回 都市対抗野球大会』は、きょう24日から2回戦に入りました。もと阪神、日本ハムの若竹竜士投手が所属する三菱重工神戸・高砂(神戸市、高砂市)は第2試合でトヨタ自動車(豊田市)と戦い、エースの守安玲緒投手が7回にホームラン2本を浴びて逆転負け。若竹投手は出番なく終わっています。
名門 vs 古豪の顔合わせ
さて、きのうの大会6日目に、2013年までタテジマを着ていた野原将志選手(27)が所属する三菱重工長崎が登場。一昨年までは10年連続で本大会に出ていて、過去に3度も優勝している古豪・ヤマハと対戦しました。三菱重工長崎は6年ぶりの本大会出場ながら、過去に16回出場して準優勝が2度、また社会人日本選手権では優勝1度で、来年は創部100周年を迎える名門です。
その長い歴史の中で初めて迎えたプロ経験者が昨年の野原選手。ことしは新たに、もと巨人の加治前竜一選手(30)、巨人やロッテに在籍した岸敬祐投手(28)が加わって、よりパワーアップしました。阪神ファンの方には、江越大賀選手(22)の弟・江越海地選手(20)がいることも、興味深いかもしれませんね。なおヤマハはチーム最年長で34歳の、もとヤクルト・佐藤二朗(つぎお)選手が4番でした。
試合結果は残念ながら、6年ぶりの挑戦は初戦敗退。いかんせん、ヒットが4番・加治前選手の2本と5番・野原選手の二塁打、計3本のみ。とはいえヤマハも4安打なんですよ。そのうち2本がホームランだっただけで…。大舞台での経験の差が出たのでしょうか。三菱重工長崎の“重量打線”が機能することなく、完封負けを喫した次第です。
そんな試合ではありますが、ご紹介する前に先月書いた都市対抗本大会出場決定の記事も、よかったらご覧ください。
<都市対抗野球 本大会出場を決めた!もと阪神の野原将志選手>
では、きのう23日に行われた三菱重工長崎(長崎市)-ヤマハ(浜松市)戦の詳細です。
《第86回 都市対抗野球大会》
1回戦 7月23日 (東京ドーム)
三菱重工長崎- ヤマハ
長 崎 000 000 000 = 0
ヤマハ 000 102 00X = 3
◆バッテリー
【三菱】奥村-江波戸-岸 / 平野
【ヤマハ】長谷川亮-角屋(ジェイプロジェクトから補強)-大野 / 川邉
◆本塁打 矢幡、佐藤
◆二塁打 野原
◆打撃 (打-安-点/振-球/盗塁/失策)
1]三:甲斐 (0-0-0 / 0-0 / 0 / 0)
〃三:田場 (3-0-0 / 1-1 / 1 / 0)※
〃三:富岡 (0-0-0 / 0-0 / 0 / 0)
2]遊:鶴田 (3-0-0 / 0-1 / 0 / 0)
3]右:堀 (3-0-0 / 1-1 / 0 / 0)
4]左:加治前 (4-2-0 / 1-0 / 0 / 0)
5]一:野原 (4-1-0 / 1-0 / 0 / 1)
6]指:中道 (3-0-0 / 2-0 / 0 / 0)
〃打指:麻生 (1-0-0 / 1-0 / 0 / 0)※
7]捕:平野 (3-0-0 / 1-1 / 0 / 0)
8]中:江越 (2-0-0 / 0-1 / 0 / 0)
9]二:佐々木 (2-0-0 / 1-1 / 1 / 0)
◆投手(打-振-球/暴投-失策/失-自)
奥村 6回 (3-5-3 /0-0/ 3-3)
江波戸 1.2回 (1-1-1 /0-0/ 0-0)※
岸 0.1回 (0-1-0 /0-0/ 0-0)
※補強選手
田場(沖縄電力)
麻生(熊本ゴールデンラークス)
江波戸(Honda熊本)
数少ない安打が明暗を分けた試合
1回に2死から堀が四球を選び、加治前の左前打で一、二塁とチャンスを作った三菱重工長崎ですが、野原は初球を打って三ゴロ。2回は平野の四球のみ。3回に1死から鶴田が死球で出るも併殺打で無得点。4回は1死後に野原が今度も初球を打ってセンターへ!打球はテレビ画面から聞こえる大きな歓声を受けてグングン伸び、バックスリーン左のフェンスに当たってグラウンドへ戻ってきました。リプレイで見直しても、ラバーフェンスのてっぺんに一度乗って、すぐ上の柵で跳ねかえったような…。惜しい!惜しすぎる。あと何センチ?
それでも1死二塁と先制チャンスで、次の中道も初球を打ってピッチャーゴロ。なんと飛び出してしまった野原が挟まれてタッチアウトです。これは痛い!痛すぎる。結局ここも得点なし。するとその裏、3回まで1四球のみでノーヒットに抑えていた奥村が、先頭の3番・矢幡にレフトへソロ!1死後には野原の捕球エラーで走者を出しながら後続を断った奥村。しかし許した初ヒットがホームランとは…。
5回の三菱重工長崎は先頭の江越が死球、2球目で盗塁を試みるもヤマハのキャッチャー・川邉の好送球に阻まれます。そのあと連続四死球と三盗、一塁走者も二塁へ進み1死二、三塁のチャンス。続く堀が初球を打ってライトポール際へ!またまた沸くテレビの中のスタンド、バットを放りだしてガッツポーズをしかかったバッター。でも結果はファウルでした。画面ではよくわからなかったけど、ギリギリだったみたいです。あー惜しい。結局は三振で無得点に終わった打線も残念。
6回はヤマハ2人目の角屋に対し、加治屋が空振り、野原は見逃し、中道が空振りと中軸の3人が揃って三振に倒れてしまいました。そして、5回は2死からの1四球のみでキャッチャー・平野の盗塁阻止により3人で片づけた奥村が6回、1死を取ったあと矢幡に右前打されます。これがヤマハ2本目のヒットで、いずれも矢幡。盗塁で1死二塁となり、4番・佐藤が146キロの真っすぐをレフトへ!以降は打ち取ったものの、苦しい展開で浴びた痛い2ランでした。相手の当たりは…柵を越えるんですよね。
3者連続三振を喫した角屋に7回と8回もピシャリと抑え込まれ、三菱重工長崎の2人目・江波戸が7回は三者凡退に斬って取るも、8回はヒットと犠打、四球などで2死一、二塁として降板。代わった岸は代打の櫛田を空振り三振!追加点は与えず、9回を迎えます。ヤマハ3人目の大野から先頭の加治前が中前打を放ち、大いに沸く三塁側。続く野原は1-1からの3球目を打ち、強烈な当たりが一塁横を抜ける!
と思ったら、ファースト佐藤が体で止めました。はじいた打球を慌てて拾った佐藤はベースカバーに走ってきたピッチャーに下からトス。そこへ打者走者の野原がヘッドスライディング!…アウトです。一塁上に正座した格好で首を垂れる野原。加治前は二塁に進んだものの、代打・麻生は三振、最後は平野が二ゴロで試合終了。勝ったヤマハは4安打、敗れた三菱重工長崎が3安打という投手戦でした。
「僕がバタバタしたせいで負けた」
試合後、ホテルへ戻る道程の途中にLINEでやり取りはしたのですが、本格的には翌朝、つまり今朝の電話で話を聞きました。負けた瞬間は「ああ終わったな…」という、そんな心境だったそうです。「個人としても、チームとしても何もできんかった。ピッチャーはよく頑張ってくれたのに打線が普段の半分も力を出せなかった」。淡々と語っていたのは、一夜明けての会話だったせいでもなさそうです。
でも力の差を見せつけられたわけではなかったでしょう?「本大会に来ている限り(力は)どこも変わらないと思いますが、見えない実力の差はありました。勝負どころで強いチームが勝つ。うちはフォアボールをいくつか貰いながら点に結びつかんかったり、逆にもう1点取られたらキツイなってとこで2ラン打たれたり。勝負どころの強さ、弱さがハッキリしてしまった。それが全国の舞台ですかね」。6年ぶりの本大会でも経験者はいますが、一昨年まで10年連続の常連にはかなわないんですかね。
4回に放った二塁打、自身で画像などを見ましたか?「はい、ハイライトのところで。当たりはそんなによくなかったんですよ。こすったくらいだったし、自分ではセンターフライかと思いました。飛んでくれたなあって感じです」。へえ!そうだったんですね。直後、中道選手のピッチャーゴロで走塁死。「きのうはバタバタしてしまったんで…。気持ちはそんなつもりじゃなかったけど結果的に。自分がどっしりしてなくちゃいけなかったのに。だからチームが落ち着かなかった」。そして
「きのうの負けは僕のせいですよ」
と付け加えました。キャプテンとしての責任感でしょうね。それと9回、加治前選手に続いた!と思ったファーストゴロ。「あれは抜けたと思いましたねえ!当たったファーストより、こっちが『いたたっ!』ですよ」。強烈な打球を止めた佐藤選手には「ホームラン打って乗っていたんじゃないですかね」と苦笑いしていたようです。
アマ野球の最高峰といえる場所
ところで東京ドームは初めて?そんな報道があったみたいです。「いえ、阪神に入って2年目かな?オープン戦で行ったことがありますね。オープン戦に呼ばれて行って、いつの間にかふらっと帰ってきたんで(笑)、もう忘れていたくらいですけど」。なるほど、私も忘れていました。すみません。噂で聞いたり映像で見たことはありますが、都市対抗の応援合戦はすごい!なんせ応援団コンクールは都市対抗の華と言われるくらいですから。あれは本大会のみ?「そう、普段の試合ではないですね」
本大会出場を逃した三菱重工長崎は昨年、ちょうど開会式の時間に長崎市の自社グラウンドで練習中でした。その時にお話を伺った開田(開田)前監督が「社会人の本気は都市対抗!」と何度も口にされたことを思い出します。あれから1年、念願の本大会は1試合で終わってしまいましたが、野原選手はこんなふうに表現しています。
「野球人として、いい経験ができたと素直に思います。アマとプロの違いはあるけど、アマの中では最高峰といえる場所だから。そこで野球ができたってのは、野球人としてとても素晴らしいこと。そんなに経験できることじゃないんで。今後の野球人生に意義を見つけられた」
“やばかった”ウエートトレーニング
昨年11月に就任した後藤隆之監督(44歳)は現役時代、エースとして1999年の都市対抗準優勝と2001年の日本選手権優勝を経験しています。若返ったコーチ陣とともに、勝つための原点である“心と体の充実”を図ってきました。さらにその基本としての体力作りを徹底したとのこと。オフの間はウエートトレーニングと走り込みの毎日で、野原選手は「やばかったですよ!」と言います。
「チームの方針も練習内容も変わって、ウエートとかに時間を賭けてきましたね。トレーニングに関しては妥協を許さずに。僕はキャプテンだし、やらんと示しがつかないでしょう。監督にも『お前が率先して、プロ経験者でもやるというところを見せろ』と常に言われていました。いつもウエートトレが始まったら僕のところへ来て…」。無言のプレッシャー?「いやいや、無言じゃないです。僕をロックオンして(笑)。マジ、やばかったですよ!」。ロックオン=捕捉ってことですか。それは逃れられませんね。
全員で取り組んだ肉体改造の成果は、シーズンが始まってからの成績にも表れました。2ケタ安打続出だった都市対抗2次予選6試合のチーム打率は.344。これは本大会に出場した全32チーム中、日立市・日立製作所(4試合)の.376、狭山市・Honda(2試合)の.371、横浜市・JX-ENEOS(6試合)の.357についで4番目の数字です。もちろん投手陣も「球速がアップした」と野原キャプテンが言うように、エースの奥村政稔投手は最速150キロを超えたとのこと。その真っすぐだけでなく、フォークボールなどの変化球も見事でした。
その手応えはみんなが感じているでしょう。勝負どころでの弱さを痛感したと野原選手は言いますが、たった1試合とはいえ“最高峰”の都市対抗本大会を経験したチームが秋にどう成長しているか、楽しみにしています。きょうから3日間は休んで (本当は東京ドームに29日まで居たかったところだけど) 9月5日から始まる『第41回 社会人野球日本選手権大会』の九州地区最終予選に向けてリスタートですね。九州代表は2チームと都市対抗より1つ減りますので、必死で頑張って下さい!監督にロックオンされながら。
プロでもなかった「家族大集合!」
きのうは奥さん(と野原選手が言うもんで)の里美さんと息子の悠成くんをはじめ、野原選手のご両親とお兄さん、奥さんのご両親と妹さんと子ども2人、合計10人が観戦されたとか。試合後に外で「家族大集合」だったそうですよ。なかなかないことでしょう。お母さんには雁の巣球場でもお会いしましたが、お父さんは新入団発表の一度きりかも。阪神時代に野原家の皆さんが勢揃いされたことって、あった?「ないない!」。ですよねえ。
里美さんは「本当に残念でした。惜しい当たりもあっただけに残念です。あの二塁打…あれが入っていれば流れが変わったかも。たらればです(笑)」とおっしゃっていました。これまでを振り返り「本大会出場を決めた時は本当に嬉しかったですね!骨折(4月に左手首)もあったのでのでなおさら。思わず泣いちゃいました」とのこと。そして「念願の東京ドームでの試合は、見ていた私もすごく興奮していました。結果は残念でしたけど、一生懸命プレーしている姿を悠成と一緒に応援できてよかったです!」と。
悠成くんはまだわからないかもしれませんが、今回もお父さんと同じユニホームを着ていたから、お父さんがそこにいることは記憶に残ったのではないでしょうか?この東京遠征、野原選手は18日の開会式に出たあと初戦が23日でしたが、その間もずっと東京に滞在して練習。19日には三菱日立パワーシステムズ横浜とオープン戦(結果は2対2の引き分け、野原選手は二塁打)も行っています。そんなわけで、1歳4か月の悠成くんと2人で飛行機に乗った里美さん。大変だったようで「かなりヘトヘト」と笑っておられました。お疲れ様です。
11月の日本選手権は大阪なので、今度は新幹線ですかね。野原選手はもちろん行く気満々でした。もと阪神勢は、阪口哲也選手が所属するパナソニックは既に出場決定済みで、カナフレックスの藤井宏政選手は9月1日からの近畿最終予選に臨みます。穴田真規選手の和歌山箕島球友会は、昨年に続いて『第40回 全日本クラブ野球選手権大会』(9月4日~西武プリンスドーム)への出場を決めていて、そこで優勝すれば自動的に日本選手権出場となります。ことしこそ京セラドームに集合しましょう!