「関東・東北豪雨のその後」忘れ去られた被災地、茨城県常総市を訪ねてみた
平成28年熊本地震から3週間が過ぎました。熱心に被災地情報を集めようとしない限り、私達の日常では被災地の現状は分からなくなってきています。
私達は大手メディアで情報を得て生活をしています、報道の在り方次第では大規模災害ですら記憶から薄れ、今も苦しむ方の思いに寄り添うことすら、ふと忘れてしまいがちです。それを「風化」と呼ぶのかもしれません。
昨年9月、茨城県常総市を襲った大規模水害について皆さんは覚えているでしょうか?初めて知ったという方もいるかもしれません。写真の状況から、まだ一年と経っていません。覚えている人はいかほどいるでしょうか。
どれほどの水害であったかは、当時をつづった筆者の記事を一読頂ければと思います。
「茨城県常総市大水害」被害実態に見合わぬ制度 社会課題と言える大規模水害に対する生活再建の在り方
地域全体が水没した航空写真と冒頭の写真を比較していただくと、深刻な被害であったことが伝わるものと思います。
水害から8か月が経とうとする常総市を訪ねました。多くのジャーナリスト、メディアが訪れたことが嘘のような穏やかな日常が広がっていました。
忘れ去られた被災地の今をお届けいたします。
今も残る災害の爪痕
ただの空き地として何も思えず通り過ぎてしまうこの場所には、約30年近く続いた飲食チェーンの「COCO'S」がありました。水害により甚大な被害を受け、再開できずその後更地となっています。
長年地域の憩いとなった場所が更地になっている風景は、被災された方々にとって心をえぐられるような思いにかられるものです。
幼き頃筆者も母に手を引かれ訪れたレストラン。当時のメロンソーダの味は忘れることが出来ません。中学・高校時代と友達たちと通った思い出も駆け巡ります。かつて手を引かれ行った場所は、自分達も親の世代となり、同じ様に子供の手を引き通った場所となりました。
賑やかな店内にいた、中高生達に自分の青春を重ね、デザートをせがむ子供の姿にかつての自分の親の思いを知る。COCO'Sが無くなるという事は、繋いでいく歴史と共に思い出が失ったと言えます。
ただの空き地一つにも、大きな喪失感と取り戻せないヒストリーが詰まっています。そしてこれは水害後に出来た他の空き地も同様です。
かつて自転車で走り回ったふるさとを、水害当時背丈を超えるの浸水を思い出しながら注意深く歩いて回りました。。
目についた公園は、水害当時ゴミ置き場となった場所です。
水害はきれいな水で浸水するものではありません、汚水が混じったものです。子供達が遊ぶ場所は消毒が念入りに行われ、場所によっては今も使えない状態が続いています。
通り沿いのアパートも注意深く見れば、階部分が雨戸が閉めきられたままであることに気が付きます。平屋建てのアパートは通りから中を除くと空っぽのままです。住んでいた人はどうしたのか。直せぬ状態は、賃貸住宅を経営する人が再建に苦しんでいる様も伺えます。
本来住宅の有る場所に真新しい更地が出来ている。住む人がいないそういった住宅も散見されました。
散策の途中家主にお願いをして家の中に入らせてもらいました。水害から8ケ月が経とうとする今も修理中であることが伺えます。水害から数か月が経ったころ”カビ”が生えてきたそうです。床下だけではなく断熱材に沁みこんだ水は抜けることなく、忘れたころに家を傷めさせることになっています。床上数十センチの被害でも、修理費用に数百万に膨らむケースがあるそうです。
新築したばかりだったから2重ローンで大変だけど、大変なのはみんな一緒だからね。うちは住めるだけありがたい、直すことが出来なくて地域を離れた人も多いんだよ。
ちょうど地区のお祭りがあるから見ていって!大変なことも多いけど、この町が好きだし子供達のために頑張っているから。
促されたの先の水海道八幡神社では、子供達が境内を走りまわり、大人達が餅つきの準備に追われていました。
自分達でふるさとを守っていく
半被(はっぴ)を着込み、餅つきの準備に追われる大人たち。その傍らでは子供達が元気に走り回っています。歴史深い場所も子供達にとっては遊び場に過ぎません。
それを微笑ましく眺める目は筆者も親御さんたちも変わりません。
大人たちも頑張っているよ!子供達のために。それが何を指すのか。
子供達が当たり前に遊ぶ姿、この地域が大好きだと言える思い出を残していけるように、水害で大変な被害を抱えても、繋がれてきた歴史をしっかりと繋いでいく姿でした。
気持ちだけでは乗り越えられない
水害当時はそりゃ大変だったよ。故郷が無くなってしまうとさえ思った。でも水害ごときでやめちゃいけないよね。子供らのためにもさ。
心強い言葉を聞きながら廻りを見渡すと、本来あるべき子供神輿が見当たりません。ちょうど訪れた日は5月5日こどもの日。子供達が神輿を担ぐのが恒例のはずでした。
水海道八幡神社がある橋本町は、地区の9割が浸水被害を受けました。神輿や山車を収めていた小屋も浸水し、カビが生えてしまい修理しなければなりません。修理費用を捻出するにも水害の被害が大きい地域では、生活の再建もままならない中、地域文化・伝統を守り、子供達に繋げたい思いはあっても手が出せない状況が続いています。
橋本町だけではなく他の地区でも同じように被災している。このままでは150年続く水海道祇園祭に参加することも難しい。これまで繋いできた伝統が途絶えてしまうかもしれない。クラウドファンディング(鬼怒川決壊により水没してしまった神輿・山車を復活させたい!)もしているけども。。。
水海道橋本町自治区長の古矢邦夫さんの言葉には、被災を乗り越える気持ちだけでは進めない苦悩を感じます。そして顔には、水害ごときで長く続いた伝統が途絶える危機への悔しさと、子供達へと繋げられない申し訳なさが浮かんでいました。
大規模災害からの復興は困難を極めます。生活再建の問題を抱えながら地域を繋ぎ守っていくことが被災された方々が担っていくからです。
二重の重荷を抱えるその困難な道は災害規模によっては何年と続きます。
支援の在り方とは、復興とは何をもって成されたとするのか、被災地の自立の状況が一つの目安になるでしょう。自立の状況次第では社会からの支援も必要とします。
ですが災害が忘れ去られてしまう現状ではそれも見えません。
実情が伝わらぬ中、災害を風化させてしまう私達は、失う物のかけがえのなさに気づかず、被災地が支援を必要としていないと安易に判断しているのかもしれません。