ブラタモリで注目 幻の京都「西寺」はなぜ消えた?
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ブラタモリ東寺編では、東寺のほかに、幻の「西寺」や、いまは姿を消している羅城門が紹介されました。西寺の跡は、現在どうなっているのでしょうか?
西寺の跡である唐橋西寺公園を訪ねるには、京都駅から1駅、JR西大路駅が便利です。
途中、この4月に開校したばかりの、京都市立開建高校の前を通ります。建設のさいに、敷地南方から羅城門の遺構が発掘されています。(学術資料)
唐橋西寺公園です。南側に隣接するのが唐橋小学校。小学校の敷地のど真ん中に金堂(本堂にあたる)、南端に南大門がありました。
西寺の配置は東寺とほぼ一致しますので、公園の場所は「講堂」となります。
※東寺、西寺とも、南から南大門、金堂(本堂)、講堂(僧が集まり講義を聴く場所)の配置です。
※講堂は、東寺では壮大な立体曼荼羅が配置され必見。金堂は、東寺では薬指を折った姿が特徴の薬師如来像が配置されています。
主要な建物の部分だけで、公園と小学校にまたがる規模の西寺。もともとは、南からの来客が、遠方から西寺の五重塔、東寺の五重塔を発見し、羅城門をくぐった、壮大なモニュメントの1つでした。
なぜ、西寺は姿を消してしまったのでしょうか?
京都は南へ行くほど低くなり、水が湧きます。西寺の周辺は、東側のように川が、高さのある扇状地をつくることがなく、平坦で水浸しの土地でした。平安京において、西側は湿りがちで、住みづらい場所だったのです。
このことで、西寺は地域とともに、徐々に廃れていったと、ブラタモリでは説明されました。「水」が西寺を苦しめたのです。
さらに、東寺の空海(弘法大師)の功績が相当大きく、天皇家や、徳川家康ら三英傑の加護を受け、再建がくり返されてきたからという説もあるようです。
例えば空海は、香川県の丸亀平野を潤す、日本最大の灌漑用ため池の修繕をわずか2か月余りで終えるなど、灌漑(かんがい)の実績でも知られます。水は、コメ作りにつながり、命をつなぐもの。空海の実績がたたえられたのも、よく理解できます。
ここでも、「水」が結果的に西寺の地位を低下させたと言えます。水に苦しめられたのが、西寺だったのかも知れません。
このほか、西寺の守敏(しゅびん)と東寺の空海が、天皇の勅命で雨乞い対決をし、空海が勝ったことで廃れ始めたという逸話もあります。京都産業大の井上満郎名誉教授(日本古代史)は、これは廃れた要因とは言えないと述べていますが、ここでも「水」が関わるのは、興味深いところです。
このほか、東寺、羅城門跡など、ブラタモリで紹介された場所は、下のページにまとめてあります。
【ブラタモリ東寺】タモリさんが東寺、西寺、羅城門を探る|ロケ地と再放送#233(とらべるじゃーな!)