退屈に見えた天皇杯決勝、神戸対鹿島は森保Jへのアンチテーゼとなる貴重な一戦だった
ヴィッセル神戸対鹿島アントラーズ。新装となった国立競技場で争われた天皇杯決勝は、正直言って退屈な一戦だった。前半は2ゴールを奪った神戸のペースで、後半は反撃に転じた鹿島のペース。どちらか一方が攻める(守る)、両者が拮抗する時間の少ない、噛み合わせの悪い試合だったからである。
シーズン終盤、下降線を辿った鹿島。神戸は反対に終盤、調子を上げながらフィニッシュした。鹿島3位、神戸8位というJリーグの成績は、この決勝戦を前にアテにならない状態になっていた。
前半は、その流れがそのままピッチに反映された。原因は3-4-3の神戸を布く神戸の3FWに、鹿島の守備陣が後手に回ったことにある。特に神戸のポドルスキー(左)と古橋亨梧(右)に対して、鹿島の両サイドバック(SB)、永木亮太(右)と町田浩樹(左)が、専守防衛に徹したことが大きい。両者がサイドを駆け上がり、攻撃に参加する機会はほとんどなかった。
逆に神戸の2人、西大伍(右)と酒井高徳(左)は活躍した。2人はSBではなくウイングバック(WB)だが、「SBが活躍したチームが勝つ」という近代サッカーの定説に収まる結果だったと言える。
ポドルスキーと古橋が、3-4-2-1のシャドーとは一線を画す、開き気味に構えたところがミソだった。E1選手権(12月・釜山)で、森保ジャパンの3バックを3試合続けて観戦した後だけに、たとえば韓国戦で2シャドーとしてプレーした森島司、鈴木武蔵との違いは、より鮮明になるのだった。
1トップと2シャドーの3人が、真ん中付近で閉じ気味に構えれば、4バックは両SBをゆりかごの動きのごとくスライドさせたり、守備的MFをマークに充てたりすることで対抗できる。SBのどちらか1人は攻撃に加われる状態にあるが、神戸のように1トップ以外の2人にシャドーの平均的な立ち位置より外で構えられると、両SBは2人とも攻撃参加しづらくなる。最終ラインに4人がべったり張り付く格好になりがちだ。
永木、町田が果敢さを発揮し、対峙するポドルスキーと古橋を置き去りにするように攻め上がっていれば話は違っていた。しかし、これは負けたら終わりのカップ戦。Jリーグの順位に照らせば、鹿島は格上だ。負けられない戦いである。リスクは冒したくないと考えるのが自然だ。
その結果、鹿島は両SBのみならず、それと縦関係にある両サイドハーフ(名古新太郎/右、白崎凌兵/左)も、相手両WB(酒井、西)のマークに追われることになった。サイドで後手に回ったことが、神戸に支配を許した一番の原因だった。
鹿島は後半、反撃に転じるのだが、後半8分の選手交代で、その図はいっそう鮮明になっていった。名古に代え、山本脩斗を投入すると、布陣は4バックから3バックに変化した。
「布陣を変えたと言うより選手の立ち位置を変えたという感じ。サイドに人を多く据え、サイドから崩そうとした」とは、大岩剛監督の試合後の言葉だが、この両サイドに複数の選手を置く3バックへの変更で、両者のサイドの関係はすっかり一変した。
サイドは真ん中に比べボールを奪われにくい場所だ。サイドを経由する時間が増えれば、ボール支配率も上昇する。神戸が逃げ切りを意識してか、自ら引いた面もあるが、その3バックは反対に5バックに陥る時間が増大した。
5人で守る神戸対3人で守る鹿島。試合が鹿島ペースで進んだ理由は、その2人分の差に起因する。
3バックと言えば、日本では守備的な布陣と捉えられがちだ。しかしその5バックになりやすい3バックを採用する監督は、森保監督を含め、自らのサッカーを守備的だと言いたがらない。有耶無耶にさせられている。
その結果、そうではない3バック(5バックになりにくい攻撃的な3バック)との違いまで解りにくくなっている。一言で3バックと言っても右から左まであるはずのものが、「3バック」と十把一絡げに語られることがほとんどだ。ある会見で「これからは3バックが流行ると思いますよ」という言い回しをしたことがある森保監督も例外ではない。
4-4-2、4-3-3、4-2-3-1等々、様々な種類が存在することが解っている4バックと、3バックは異なる状況に置かれている。
神戸対鹿島は、日本では少数派に属する3バックが試合の流れに大きな影響を与えることになった貴重な試合だった。
4バックか3バックかの二択になっている森保ジャパンに捧げたくなる一戦でもある。どうしてその二択になるのか。従来の3バックとは異なる3バックをなぜ試そうとしないのか。
移行への操作も4-2-3-1から3-4-2-1(あるいはその逆)より遙かに楽だ。「立ち位置を変えた」とは、前述した大岩監督の言い回しになるが、立ち位置を思い切りいじらなくても、ピッチ上に大きな変化をもたらすことができるのだ。
3バックと一口にいっても種類は様々。にもかかわらず3バックと一言で処理しようとする森保監督並び、それに従順な世の中へのアンチテーゼとなる一戦だった。天皇杯決勝は、確かに噛み合わせの悪い退屈な試合ではあったが、語るべきことが多く詰まった一戦だったことも確かなのである。