日本初の請願駅!まもなく役目を終える築127年の木造駅舎 しなの鉄道線 大屋駅(長野県上田市)
長野県上田市にあるしなの鉄道線 大屋駅の駅舎は明治29(1896)年1月20日開業時以来127年に渡って使われてきた古い駅舎だが、建て替えのため、あと10日ほどでその長い歴史に幕を下ろす。
駅舎の築年を示す建物財産標に刻まれた文字は「1895-12」。建物財産標の日付が間違っていることもあるのだが、この表記を素直に信じるなら開業の一か月前に完成していたようだ。
駅舎に寄り添って立つのは桜の木。建て替えに合わせて切り倒されなければ来年も花を咲かせるだろうが、駅舎と満開の桜の組み合わせが見られることは二度とない。
駅舎の壁の一部は古い洋風建築に見られる「ドイツ壁」と呼ばれる仕上げで、通気口は六角形の凝ったデザインだ。鉄道の重要性が今より高く、駅というものが特別な建物だった時代を思わせる。
駅舎の軒下にはなぜかダルマが掛けられていた。頭の上には帽子のようにツバメの巣が載っている。
駅舎内に入ってみよう。待合室は広めで、古そうなベンチが3脚置かれている。奥の壁に掲げられたのは大時計。大正11(1922)年11月に70円かけて設置されたものだ。調整中で動いていなかったが、駅舎の建て替え後はどうなるのだろう。
大屋駅は開業以来ずっと有人駅だったが、建て替えを前に今年3月18日より出札窓口が閉鎖された。駅員がいるのは平日の7:10から8:30までだけだ。建て替え後は郵便局併設の駅舎となり、郵便業務と合わせて券売機で買えない切符の販売も行われる予定だ。駅業務も行う郵便局は千葉県のJR江見駅で前例があるものの、JR以外の地方鉄道の駅としては初めての取り組みとなる。
駅舎内には建て替えを知らせる貼り紙があった。駅舎は5月12日限りで閉鎖され、翌日からは仮通路が使われる予定だ。新駅舎の完成は今年度内と予定されている。
大屋駅は地域住民の陳情により開業した「請願駅」としては全国初の存在だ。諏訪地域で生産された生糸を信越本線経由で輸出港の横浜まで運ぶための駅で、中央本線開通前はこれが最短ルートだった。明治時代の日本にとって生糸は重要な輸出品の一つで、間接的にとはいえ、大屋駅が日本の産業近代化のために果たした役目はかなり大きかったようだ。こうしたことから平成19(2007)年11月30日には近代化産業遺産に認定されている。
大屋駅にはかつて上田東と丸子町とを結ぶ上田丸子電鉄丸子線の「電鉄大屋」駅が併設されていた。昭和31(1956)年4月に独自の駅舎が完成するまで改札口は共用だったが、昭和44(1969)年4月19日に廃止されたので、電鉄大屋駅の駅舎はわずか13年と短命だった。廃止後、電鉄大屋駅跡は再開発されたので痕跡を探すのは難しい。
127年の風雪に耐え、日本の産業近代化を支えた記念碑的駅舎が失われるのはあまりにも惜しいが、新駅舎もまた郵便局併設駅舎という新しい取り組みの記念碑的存在となるのがせめてもの救いだろうか。いずれにせよ現駅舎に残された時間はあとわずかだ。気になる方はお早めに。
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