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松本山雅に加入内定のMF住田、エリート街道脱落からの巻き返し

平野貴也スポーツライター
来季の松本加入が内定した東京学芸大MF住田将。高精度の左足が武器だ【筆者撮影】

 サッカーJ2リーグを戦う松本山雅は、10月1日に東京学芸大学のMF住田将の来季加入内定を発表した。精度の高い左足のキックを武器とするミッドフィルダーだ。2015年、松本が初めてJ1に昇格して戦った開幕戦を、住田は豊田スタジアムで観戦していたという。しかし、まさか自分がアカデミーに所属している名古屋のトップチームと戦っている相手が、自分を救ってくれることになるとは思わなかっただろう。中学生当時の住田は、世代別の日本代表選手。名古屋でトップ昇格するイメージしか持っていなかったからだ。

4年前、青森山田高で雪に埋もれた屈辱からリスタート

2017年2月、青森山田高の練習に初参加。雪中トレーニングについていけなかった【筆者撮影】
2017年2月、青森山田高の練習に初参加。雪中トレーニングについていけなかった【筆者撮影】

 住田のプロ内定を聞いて、私は4年前の出来事を思い出した。2017年2月、前年度に第95回全国高校選手権を初優勝した青森山田高校の練習を取材した。シーズン開幕前の冬。容赦なく降り積もる雪の中で、伝統の「雪中サッカー」が行われていた。雪に足を取られながらも球際で激しく争い、敗れたチームは、設定をクリアできなければ再挑戦という地獄のタイム走。見ているだけでも苦しいメニューだった。

 その中で、1人だけ明らかに息の上がっている選手がいた。タイム走で少し離れた最後尾を走っていたが、途中でバタッと雪に倒れ込んだ。足が痙攣して、すぐには立ち上がれなかった。名古屋グランパスU18を離れて青森山田高に転校する住田が初めて練習に参加した日だった。回復した段階で、指導スタッフと住田本人に了解を得て、話を聞いた。

「めちゃくちゃ、しんどいですね。本当に経験したことがない負荷。(雪中練習前の)筋力トレーニングから、きつかったです。もちろん、強くなるために、自分を磨きたいと思ってここを選びましたし、雪が積もる厳しい冬を乗り越えてみんなが強くなっていくのが青森山田の良いところだと思って、分かっていて来ましたけど、想像を超えています。衝撃です……」

エリート街道からメンバー外へ、落差に苦しんだ名古屋時代

2011年の夏、全日本少年サッカー大会で準優勝に貢献。柏U-12のエース中村駿太(右)と名古屋U12主将の住田(左)は、後に、2人とも高校3年で青森山田高に転入する【筆者撮影】
2011年の夏、全日本少年サッカー大会で準優勝に貢献。柏U-12のエース中村駿太(右)と名古屋U12主将の住田(左)は、後に、2人とも高校3年で青森山田高に転入する【筆者撮影】

 練習に付いていけないという屈辱を味わったが、それが、エリート街道を外れた住田が、巻き返しに向けて踏み出した一歩だった。私は、それ以前に住田を取材したことがあった。さらに6年さかのぼって2011年の夏。全日本少年サッカー大会で準優勝した名古屋U12の主将が住田だった。東海屈指の名門でキャプテンマークを巻いて日本一を狙っていた選手の評価は高く、U15に昇格後は世代別日本代表に選出され、エリート街道を歩んだ。

 しかし、U18昇格後は、評価を得られなかった。1年次に世代別代表や国体のメンバーに選ばれたが、チームではメンバー外。人生で初めて「試合に出られない」時期を過ごすうちに、自信を失った。同じ中盤に、1学年下の菅原由勢(AZ)、成瀬竣平(名古屋)らがいたこともあり、出番は回って来なかった。住田は高校2年の秋、先輩が卒業しても出場機会を得られないと判断し、移籍を決断。遠く青森の地に再挑戦の場を求めた。

 初日の練習の様子から分かるように、青森山田高が求めるハードワークの基準に到達するのは容易ではなかった。それでも、全国高校選手権でどうにかメンバー入りを果たし、試合終盤の交代起用が主だったが、出場時間も得られた。住田は、高校在学中の移籍について「青森での1年は、それまでの(恵まれた)Jクラブとは真逆と言ってよいくらいの環境で、すごく感じる物が多かった。自分に何が必要かを自分で考えて実践する力が、成長した部分だと思う」と話した。その経験が、進学先の東京学芸大学で生きた。

大学で1年から先発定着も都リーグ降格を経験

 東京学芸大と言えば、鹿島で長く活躍したDF岩政大樹(現・上武大学監督)、FC東京などで活躍し、現在も横浜FCでプレーを続けているMF高橋秀人という2人の元日本代表選手を輩出しているが、いわゆるサッカー強豪大とは異なる特徴を持っている。今季から同大学の指揮を執っているOBの星貴洋監督は「中には、プロ選手を目指している子もいるけど、ほとんどの学生は、教員志望。私の1学年先輩の岩政さんも、自分の教え子の高橋も元々は教員志望。多くの子がプロなどまったく考えていなかったり、何となく大学でもサッカーを続けていたりと、サッカーに対する意欲に差がある」と明かした。

 住田は、大学で1年から先発の座を獲得。名古屋U18や青森山田高では左DFで起用されることが多かったが、最もプレーしやすいと感じる中盤の底、ボランチで出場機会を得て、少しずつ実戦感覚と自信を取り戻していった。しかし、学芸大ならではの背景もあり、スポーツ推薦で優秀な選手を多く集めているチームと互角に戦うのは、容易ではなかった。2年次の2019年度は関東大学2部最下位で東京都1部へ降格。そのままならプロ行きは危うかったが、1年で再昇格すると、最終学年の今季は、終盤まで昇格争いをする健闘を見せた。

松本山雅に練習参加、名波監督にFKの蹴り方を質問

 星監督は「彼が先頭に立って、周囲に高いレベルを要求して引き上げることができた。練習で手を抜かず、雰囲気が緩みそうな練習の合間なども引き締めてくれた」と評価する住田に、今後の成長も期待している。素直にアドバイスを聞く姿勢が印象に残っているからだという。

 住田は、プレーの映像をまとめて、かつて全日本大学選抜を率いるなど活躍した名将・瀧井敏郎元監督に助言を求めることもあったという。松本山雅の練習に参加したのは、今年の夏。まだ内定を得たわけではなかったが、元日本代表で同じ左利きの名波浩監督にFKの蹴り方をずっと聞いていたという。星監督は「あれは無料じゃ教えられない。有料だぞとスタッフで話していたと強化部の方から冗談で言われました」と笑っていた。

 住田は、練習参加後すぐにオファーを受けた。山あり谷ありの道のりだったが、どうにか目標だったプロの道にたどり着いた。名古屋、青森山田、東京学芸大。3つの環境を経験して「高校で試合に出られなかった時期、できないことばかりが気になったし、いつの間にか、自分の良さも失っていた。大学では、弱点を潰すことも練習では意識してきたけど、試合のピッチでは、どれだけ自分の良さを発揮できるかというところをこだわって磨いてきた」と、自身の変化について話した。

「自分が選んだ道が正解だったと自信を持って言えるように取り組んだ」

エリート街道脱落から這い上がり、大学サッカーでプロ入りのチャンスをつかんだ住田。松本でも輝くことができるか【筆者撮影】
エリート街道脱落から這い上がり、大学サッカーでプロ入りのチャンスをつかんだ住田。松本でも輝くことができるか【筆者撮影】

 そして、本人が「やっとスタートラインに立てた」と話したように、これからは、プロの世界の、もっとシビアな競争が待っている。まだ球際や運動量の課題もあるが、それでも光る武器を頼りに、住田は活路を見出すつもりだ。

「内定が決まったときは、諦めずに続けて来て良かったと思いました。試合に出られない経験をしたからこそ、心の面では一回り成長して、ここにたどり着けたと思う。青森山田に行って良かった、自分が選んだ道が正解だったと自信を持って言えるように、この4年間、一つ一つに一生懸命取り組んできた。松本でも、積極的に自分の良さを出して、チームに貢献したいです」

 4年前、雪の中に力なく倒れ込んだ男は、這い上がり、突き進み、たどり着いたプロの世界で、どんな輝きを見せるのだろうか。

スポーツライター

1979年生まれ。東京都出身。専修大学卒業後、スポーツ総合サイト「スポーツナビ」の編集記者を経て2008年からフリーライターとなる。サッカーを中心にバドミントン、バスケットボールなどスポーツ全般を取材。育成年代やマイナー大会の取材も多い。

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