メディアと子どもの傷害予防活動 ~その1~
第1回 Safe Kids Award
2018年2月3日、朝日新聞主催、NPO法人 Safe Kids Japan(SKJ)共催のシンポジウム「小さないのち〜守るためにできること〜」が東京の朝日新聞読者ホールで開かれた。2016年8月から約1年半にわたって連載された朝日新聞の「小さないのち」シリーズのまとめの報告会に、SKJが協力したシンポジウムであった。
子どもの傷害予防に関していろいろ取り組んできたが、子どもの安全の重要性を社会に浸透させるためにはメディアの協力が不可欠であることを強く認識した。そこで、これまで子どもの傷害予防の進展に寄与された方に、SKJからSafe Kids Awardを授与することにした。今回の受賞者の功績について紹介してみたい。
表彰状
シンポジウム当日、3組の方々にSafe Kids Awardを差し上げた。そのうちのお一人、NHKディレクターの福山 ゆう子さんに渡した表彰状は次のようなものだ。
NHK 福山ゆう子さま
あなたは、NHKスペシャル「子どもの事故は半減できる」等の先進的な企画により、科学的な予防や多職種連携の必要性を示し、わが国の子どもの傷害予防の社会システム構築に多大なる貢献をされました。その功績は社会問題解決型メディアの範であり、第1回 Safe Kids Award~メディア部門~として表彰します。
2018年2月3日 NPO法人 Safe Kids Japan 理事長 山中 龍宏
自動回転ドアの事故
話が少し長くなるが、時計の針を2004年3月に戻すところから話を始めたい。2004年3月26日、東京の六本木ヒルズの自動回転ドアで6歳の児が頭を挟まれて死亡した(『子どもたちを事故から守る』第14回「回転ドアの事故」P.33〜36)。調べてみると、以前から自動回転ドアによる事故はあちこちで多発していた。死亡例が発生したことで、この事故は社会の注目を浴びた。子どもの事故であったため、私にも取材が相次いだ。子どもの事故を予防するために、わが国において、何が必要で、何が実現可能なのかをあらためて考えてみた。そして、
1)医療機関を定点にした事故サーベイランス事業の開始
2)事故予防の研究部門(施設)の設置
の2つが必要と結論づけ、2004年6月9日に、日本外来小児科学会から坂口厚労大臣(当時)に要望書を手渡した(『子どもたちを事故から守る』第18回「事故事例の分析とその予防策を考える」P.49〜51)。
森ビルは、事故の発生を受けて2004年4月、社内に委員会を設置し、私も委員となった。また、2004年7月から、「失敗学」(現在は「危険学」)を提唱しておられる畑村 洋太郎先生が自動回転ドアの事故の原因を究明する「ドア・プロジェクト」を組織され、私も8月半ばからそのプロジェクトに参加させていただいた。9月から10月には、事故が起きた自動回転ドアを使って実験が行われた。畑村先生のドア・プロジェクトは、NHKや出版社が密着取材をしており、その成果は2005年3月26日のシンポジウムで紹介され、翌3月27日にはNHKスペシャルの番組で紹介された。この番組には大きな反響があり、いくつか賞も授与された。
自分でやる
厚労大臣に提出した要望内容について、大臣はその重要性を認識されたが、2005年1月に厚労省の医政局に呼ばれて行くと「サーベイランスはしない」という回答であった。国への要望書の内容は私個人の見解ではなく、よその国では皆、ふつうに行われていることである。畑村先生に「国は動かない」と訴えると「○○がやるべき、というのは自分がやらないことの言い訳である。自分でやりなさい」と言われてしまった。そんな指摘は初めてであり、たいへんびっくりした。多くの国では、厚労省のようなところが系統的に莫大な費用をかけて取り組んでいる。重ねて、「外国では国が取り組んでおり、莫大な費用がかかる」と言うと、畑村先生には「お金は自分で見つけなさい」とも言われてしまった。その後、3日間考え込んでしまった。しかし、2005年5月、「やるしかない」と気持ちを切り替えた。
事故サーベイランス・プロジェクト
畑村先生のドア・プロジェクトのまねをして、2005年5月から「事故サーベイランス・プロジェクト」を開始した。場所は六本木ヒルズの会議室を借りることができたが、運営費は1円もなかった。毎月1回、いろいろなサーベイランスについてボランティアに講演してもらい、討論を重ねた。
ドア・プロジェクトの時に知り合ったNHKのプロデューサーが「事故サーベイランス・プロジェクト」に興味を示し、「二匹目のどじょう」をねらって、ドア・プロジェクトに続く番組として企画した。7月ころから取材が始まり、私の講演会の様子を撮ったり、受診患者の取材が行われたが、9月になると、担当ディレクターは「この件は番組にならない」と投げ出してしまった。そこでプロデューサーは、担当者の向かいにいた福山 ゆう子さんに引き継ぐよう指示を出した。
あとで福山さんから聞いた話では、何をしたらいいのかまったくわからないので、まずは新聞記事から10年前までの子どもの事故死の記事を集め、当事者に取材を申し込んだとのこと。約100件を抽出して連絡してみたが、1/3は連絡がとれず、1/3には「そっとしておいてほしい」、「忘れようと努力している」と断られ、後の1/3の取材をしたそうである。そして、事の重大性に気づき、10月初旬に、救急病院に1週間泊まり込んで、子どもの事故の現状を見て、取材に応じてくれる家族を見つけ出した。その後、産業技術総合研究所(産総研)に来て相談し、ドア挟みや遊具からの転落事故のメカニズムの解明と予防策までを取材することに決めた。
遊具の事故例に取り組む
2005年10月、遊具のらせん階段から転落して背部を強打し、腎臓破裂で9日間入院した5歳児の家族に取材を申し込み、検討が始まった。医師からの情報収集、患児の保護者、患児本人からも情報を収集し、実際に事故に遭った遊具の計測を行った。次に、体格が相当するダミー人形を現場のらせん階段の上から落下させ、背部にかかる荷重を計測した。産総研内に同じ構造のらせん階段を組み立て、3~6歳児を遊ばせて子どもの行動観察を行った。年少児はらせん階段の内側、すなわち急角度の階段部分を利用する傾向が高いことがわかった。これらのデータをもとに、遊具メーカーに改善策を考えてもらい、改良された試作品を製作した。その後、公園の管理者である市の公園管理課に対して、遊具による事故の実証実験の結果や試作品を提示して公園遊具の改良を依頼した。※下図参照
わずか3か月のあいだに、九州の公園の現場に行ったり、遊具の遊び方の実験をしたり、保護者の方や市役所を訪ねたり、公園施設業協会の人と話し合ったり・・・と、福山さんの指示で動き回った。そして、2006年3月12日午後9時からNHKスペシャル「子どもの事故は半減できる」として報道された。
ストーリーが必要
テレビでこの番組を見るまで、どんな内容の番組になっているのか、福山さんからは一切話はなかった。番組の案内役としてトム君という人形が出てきて、海外の状況と比較しながらわかりやすく説明してくれた。私たちにとっては、福山さんに言われるがままにあちこちに行っただけであったが、その行動がきちんとしたストーリーになっていた!
番組のタイトルもテレビを見るまでは知らなかった。厚生労働省は、子どもの健康課題を解決するために「健やか親子21」という国民運動を展開し、小児の事故に関しては4つの指標を挙げている。例えば「事故防止対策を実施している家庭の割合」の10年後の目標値を100%と提示している。100%など、科学者が設定する値ではない。目標を立てた時の値が4.2%(1歳6か月児)、1.8%(3歳児)となっているものが、10年後に100%になるはずがないことは小学生でもわかるはずだ。福山さんは、現場を知ったから「半減できる」という正しい表現ができたのだと思う。
その後の動き
後日談として、遊具に関しては、市では次年度に予算措置を行い、2007年2月までに市内の同型の遊具34基(総額413万円:一基あたり平均12万円)の改良が行われた。
福山さんのおかげで、事故の情報がそれぞれの専門家に伝えられていかないと、事故の予防活動は完結しないことがよくわかった。このループを回していくことが真の「事故予防活動」であり、それを「安全知識循環型社会」という概念として確立することができた。
事故サーベイランス・プロジェクトは2006年3月26日にシンポジウムを開いて解散したが、いろいろなところで新たな活動が展開され始めた。
事故サーベイランス・プロジェクトに参加していた経産省の諸永さんの発案で、2006年5月には、子どもにとって安全な製品を考えるNPO法人「キッズデザイン協議会」が設立され、数十社の企業が加入した。2007年8月には第1回キッズデザイン博覧会が開かれて3500人が参加し、キッズデザイン賞が発表された。
2006年7月からは、産総研と国立成育医療研究センターのあいだで事故による傷害の情報収集について共同研究が始まり、産総研内に「子どもの傷害予防工学カウンシル」(Childhood Injury Prevention Engineering Council (CIPEC))を設立した。経済産業省はわれわれが提唱した概念を取り入れ、2007年7月から3年間の「安全知識循環型社会構築事業」が実施された。
数年前、ある看護系の大学の教官から、この番組「子どもの事故は半減できる」のビデオを学生教育用に毎年使用していると聞いた。
メディアの役割
この活動を通じてわかったことは、メディアの人とわれわれとは思考回路が異なっているということだ。われわれ医療関係者は、健康障害をどう改善するかを考えており、傷害であれば傷ついた身体を治療することしか考えていない。工学系の研究者であれば、傷害が発生した時のメカニズムを解明することに尽力する。メディアの人は、現在の課題を明確にし、それを解決する方法を紹介し、その方法で問題が解決したというストーリーを作りたがっており、達成感、成功例が不可欠だと考えている。また、ストーリーを作る過程で、メディアには各専門家をつなぐという大切な役割もある。ストーリーができれば、報道として社会に提示される。社会がそれを受け入れれば、社会が変わることにつながる。そのことを、身をもってわれわれに教えてくれたのが福山さんだった。
おわりに
Safe Kids Awardの授与式には、福山さんはお子さん連れで来てくださった。12年前の番組制作のお礼をすることができて本当によかった。式のあと、彼女と立ち話をした。彼女は眼を輝かせて、私にこう言った。「あの時は無我夢中だったけれど、今なら、あの時よりもっといい番組を作れる」と!
次回は、同時にSafe Kids Awardを受賞された朝日新聞『小さないのち』取材班の取り組みについて紹介する。