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M-1で優勝したミルクボーイの凄みと、上沼恵美子の叱言の意味

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:アフロ)

『M−1グランプリ 2019』ではミルクボーイが優勝した。

無名の漫才コンビが、一夜にして有名になった。そのシンデレラストーリーが今年も見られた。一晩で芸人の人生が変わる様子は、見ている者も幸せな気分にしてくれる。

ミルクボーイが見せた「ボケ数」が少なくても受ける漫才の凄み

ミルクボーイの漫才は力強かった。

決勝の第一ステージで見せた漫才は「コーンフレーク」の話。ファイナルステージでは同じパターンの「最中(もなか)」の話だった。

ボケの数が多いわけではない。

設定としては、「うちの母が、好きな『朝ごはん』の名前を忘れてしまったので、それが何かを2人で考えてみる」というものだ。2回目はそれが「好きなお菓子」の名前になる。

どちらも最初のひと言で「コーンフレーク」や「最中(もなか)」であることがわかり、本当にコーンフレークや最中(もなか)なのかという検証で4分を過ごす。

コーンフレーク編では、やりとりが10回あった。「甘くてカリカリしてて牛乳かけて食べるもの」というコーンフレークそのものの説明があって、あと9回、説明がある。

「死ぬ前の食事にできる」から始まり「栄養バランスの五角形が大きい」「晩ごはんでも食べる」「子供のころの憧れ」「お坊さんの修行でも食べる」「パフェで使われる」「ジャンルは中華」「食べてるときに感謝しにくい」と続いて、最後に「でも母はコーンフレークではないと言っている」と9回続く。

いわば4分間で9回しかぼけていない。M−1の決勝ステージでの漫才としては、ボケの数がとても少ない。(最後に締めのお父さんの言葉が入るので、通算でボケは10回)。

ただ、どれも笑いが深く、大きかった。

おかんの言葉を伝えるボケ役(駒場)が「死ぬ前の最後のごはんもそれでいいと言うんや」と言い、それを受けてツッコミ(内海)が「ほな、コーンフレークと違うか。コーンフレークはまだ寿命に余裕があるから食べてられるんや」で爆笑を取り、一気につかんでいった。彼らがチャンピオンになったのは、この最初のツッコミにあったとおもう。「コーンフレークは、まだ寿命に余裕があるから食べてられるんや」にはまいった。そんなこと考えたこともなければ、聞いたこともない。でも言われてみればそのとおりだ。

このひと言でつかまれ、その味わいを持続したままハイテンションでつっきり、ファイナルステージの最後まで持っていかれた。

二人の音のバランスもいい。

ボケのおとなしめだがクリアな言葉と、ツッコミ役がどんどん大きな声になって、わかりやすく説明する声。このバランスが笑いを生み続けた。

ファイナルステージの「最中(もなか)」も同じである。「薄茶色のぱりぱりの皮でアンコを包んだやつ」という説明のあとに、こんどは5往復10回の説明があった。

同じパターンだけど、2回目も笑いに笑う。

ツッコミ内海の説明が、しだいに想像を越えてくるからだ。

いままで聞いたことのない表現で最中(もなか)を説明しながら、それでいて「言えてるなー」とおもわせるセンスがすごかった。

この漫才の内容は古びない。落語的でもある。何度でも聞ける。

世にコーンフレークと最中(もなか)があるかぎり演じられる。おそらく他の漫才師が寄席の舞台で話しても(彼らほどではないにしても)受ける内容である。

古典化できる内容である。そこもすばらしい。

かまいたちが見せた「わざと崩す」技術と、ぺこぱの衝撃

2位になった「かまいたち」もすばらしかった。

1つめは「USJをUFJと言い間違えた男」の話で、2つめは「トトロを見ていないことを自慢する男」だった。

いかにもありそうなテーマながら、自説を曲げずに異様なテンションになっていく男を見せる。他人の話を聞かずに自説を固持し、少し狂気じみていくさまを見せて、どんどん引き込んでいった。

ただ、かまいたちの凄さは、そのまま走りきらないで、ゴール手前でまた妙なギャグを入れてくるところにもある。

1回めのステージでは「一回聞いただけでは意味が取れないフレーズ」を入れてきて漫才そのものを止めた。最終ステージでは「不思議なところで息継ぎをする」ということをやった。残り1分を切ったあたりで、それを入れてきた。

お笑い好きにとっては、こういうのがたまらない。

勢いで逃げ切ればいいのに、そんなことしないで、もう1つサービスしてくれるのである。

かまいたちのステージは笑いの数は多い。最初のステージでは29、ファイナルでは19だった。そして、いま指摘した変な笑いは29のうちの26番目と19のうちの17番目だった。

この「わざと崩してくる笑い」は高く評価されているとおもう。

3位のぺこぱは新鮮だった。

何だかつかみにくいボケに対して、ツッコミは正統にツッコミかけるが、途中から相手の行動を認めてしまう。やさしさに満ちている。つっこまないツッコミである。こんな漫才はいままで見たことがなかった。

私はいまセリフを書き写してボケ数を数えているのだが、彼らの漫才は、文章ではまったくおもしろさが伝わらない。ボケは言葉ではなく動きで見せるものが多く、ツッコミもたとえば「どこ見て運転してるんだよ、と言えてる時点で、無事でよかった」という文章になってしまう。テンションがわからず読むと、まあそのとおりだ、としかおもえない。ツッコミが途中で転調していきなり許すモードになっていく、その転調の音として面白いのであって、言葉がおもしろいわけではない。書いてみるとよくわかる。

ぺこぱの笑うポイントはだいたい17から18である。

ツッコミが反転していく回数がそんなものなのだ。

人を許す「やさしい漫才」でもある。こんなツッコミをしてくれる人が現実にはぜったいいない。そのぶん強い笑いを誘ってるように見える。やさしい漫才は、いまの世情の何かを反映しているように見える。

上沼恵美子は和牛のどこを叱っていたのか

惜しくもファイナルステージ残れなかったのが4位の和牛。

最初ゆるやかな笑いで入っていって、最後にどんどん盛り上がっていく漫才だった。

全部でお笑いポイントは24くらい。しっかりした笑いにするのは15番目くらいからで、そこまではツッコミも静かである。後半どんどん声を張っていって、ツッコミが「いいね」というのがボケの味わいも出していって、19番目くらいから最後までが大笑いのツボになっていた。

最初小さい笑いで始め、最後大笑いで終える。しかも和牛は、大丈夫まっててね、最後は笑えるから、というような余裕を感じさせるステージを見せていた。

ちゃんとした商品になっている。

上沼恵美子はそこを指摘したのだ。

「ここは、そんなキレイな芸を見せるとことちゃうで」ということなのだろう(推測です)。「みんな必死で笑い取りに来てるのに、なんでもっとがむしゃらに来いひんねん、なんで他の連中とは違うでというような余裕みせてんねん」というおもいだったのではないか。「あんたらもう、こんなとこ出てる芸人ちゃうで、もう上のほうへ行きなさい」という意味にも感じた(あくまで個人的な推察です)。

 

笑いのポイントの数を数えていると、それぞれの笑いのスタイルの特徴がわかってくる。

見取り図は、いちおうボケとツッコミがしっかり分かれていて、それは二人の声質が違うというところにも明確にあらわれてる(ミルクボーイの二人も、そこをかなり意識的にやっていたとおもう)。でも途中、お互いを罵り合うところで、ボケ役もツッコミセリフを言うようになり、それをツッコミの盛山が拾う。ただ盛山のツッコミセリフをボケ役はいっさい拾わない。その構図がどんどんおもしろくなってくる。会話の成り立ってない二人、という味わいなのだ。笑うポイントは25回だった。ゆったり喋ってるようで、けっこう詰め込んできている。

からし蓮根はきれいにボケとツッコミを分けているコンビだ。ボケはあまり言葉でボケずに身体的な動きでボケることが多い。そのぶん、ツッコミの台詞が長くなる。だいたい笑いポイント(ボケ数)は20。ツッコミが熊本弁なので、一瞬わからないのがいくつかあった。申し訳ない。

文章に起こしても笑えるオズワルド

オズワルドも、オーソドックスなボケとツッコミの漫才。彼らのやりとりは、文章で起こしても笑えるものだった。

「ふつうに考えてプロの板前とただのシロウト、どっちがいいかわかるだろ」「逆に聞かせてもらうけどさ、猿が見つけた松茸と、アメリカで食べる茶碗蒸し、これどっちがいいかわかるよね」「……それ板前はどっち?」

文章力の高そうな漫才である。ボケ数は全体で22くらいあって、8番目くらいまではかなり低いテンションで展開し、そこからどんどん上げていく漫才だった。その構成もじつに見事だった。

すゑひろがりずは、かなり飛び道具な漫才である。

昔の三河万歳(みかわまんざい)のような格好で出てきて(能楽師か狂言師なのかもしれない)片方が扇子を持ってボケ、片方が鼓を叩いてツッコむ。それですべてである。私の知っている昭和時代に残っていた昔の「万歳(まんざい)」とも全然違う。

言葉のやりとり(行き違い、勘違い)としてのボケの数は少ない。行き違いとしては1回だけ(合コンとは豪華な金色堂の略)、あとクイズ形式のやりとりを入れても9回しかない。

ただ「さすらば店の者を呼んで参ります」というふつうセリフが、すでにボケでもあるので、数え方が難しい。それを入れたらとんでもなく多いが、それぞれくすくす笑いしか起こっていないので、正式なボケとは数えにくい。

言葉のやりとりの漫才ではなく、ディスコミュニケーションから笑いを取ってるたぐいの漫才で、格好は古いが、内容はかなり現代的である。二人の作る世界をただ楽しむしかない。

インディアンスは、元気にふざけているボケの田渕が、相方の制止も聞かずに好き放題喋る漫才である。ふだんの番組で、何組かの1つとして出てくると箸休め的に楽しいのだが、1つずつを真剣にみるコンテストでは、ちょっとつらかった。

笑わせようとしてるポイント(ボケの数)を数えようとすると、田渕のいろんなセリフは、ほぼただの悪ふざけの一人言とみなすしかなく、相方が拾ったものだけを笑いポイントと数えるほかはないのだ。田渕の喋りは、場は明るくなるが、笑いにはなっていない。ツッコミの重要性があらためてよくわかる。

だから「小さなボケ14」というのが私が数えたボケ数である。それも刹那的なギャグばかりだ。ひとつだけ「かわいくもたれかかって寝る女子が無呼吸症」という設定にのっとったボケだった。1つだけではむずかしい。

ボケる回数と漫才の質

トップバッターだったニューヨークは歌ネタだったので、ボケ役はただ歌うだけで、ツッコミは傍観しつつときどきツッコむという展開だった。言葉のやりとりがない。

松本人志は、半笑いでツッコむなと言っていたが、それは二人が会話してないからである。ずっと歌っている相方の横で、傍観者としてときどき感想を言うばかりだから、それは半笑いにもなるだろう。松本が注意したのは、二人の距離感でもあったとおもう。ニューヨークのボケの数は30だった。数だけはトップである。勝手にボケてツッコミを待たないので多くなる。ボケ数が最高数だったが、審査員の得点は一番低かった。残念である。

漫才はボケ数が多ければいい、というものではない。

数値化するとより明確になる。

質であり、客を笑いに引き込む深さである。

演者はうしろにどんな深さを感じさせるのかも測られている。

今年もまたいろんな新しい漫才が生まれた。

野心を持った若い連中が、その才能を注ぎ込む場となった漫才の世界は、いつみても衝撃的におもしろい。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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