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ガザでの戦闘:戦場はもっと広くて深い

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:ロイター/アフロ)

 2023年11月13日、イラクの民兵諸派に関連すると思われるSNSのアカウント上で、イスラエル人研究者のエリザベス・ツルコフ氏(女性。「イスラーム国」について調査・研究を実施。アメリカのプリンストン大学の機関に在籍)の動画が出回った。同氏は、調査目的でロシア旅券を用いてイラクに入国した後、2023年3月にバグダードで消息を絶っていた。これについては、2023年7月5日にイスラエルのネタニヤフ首相が「ヒズブッラー部隊」の犯行であると主張していた。ツルコフ氏の動画を拡散したアカウントは、「アサーイブ・アフル・ハック」、「イスラーム抵抗運動ヌジャバー運動」かその仲間を称する名義だった。また、ネタニヤフ首相が誘拐犯と名指しした「ヒズブッラー部隊」も含め、ここまで名前が挙がった諸派は、いずれもシリア紛争に政府側で加勢したり、「イスラーム国」との戦闘の矢面に立ったりして活動し、治安や安全保障場裏で「イランの民兵」と呼ばれる民兵だ。

 筆者が入手した4分10秒ほどの動画で、ツルコフ氏はモサドとCIAのために働き、シリアではアメリカの手先のシリア民主軍のために、イラクでは同国のシーア派勢力間の離間工作としてのデモの扇動のために活動していたと「証言」した。また、同氏は現在のガザでの情勢についても注視しており、ガザ地区で囚われているイスラエル人の家族に対し、彼らの生還のためにガザでの戦争を止める活動をするよう呼びかけた。また、自身の境遇については「困難である」と述べた上で、過去7カ月間の囚われの期間中イスラエル政府は自身の救出のために何もしなかったと指摘し、家族や友人に自身の解放のため行動するよう訴えた。動画は誘拐犯が人質にしゃべらせたものなので、この中でのツルコフ氏の発言がどのくらい事実に基づくものかを考える必要はない。重要なのは、これまでイラクやシリアでのアメリカ軍基地に対する攻撃が行われてきたのと同様、「イランの民兵」がイラクでの治安事案をパレスチナの情勢に関連付けてイスラエル政府に対する物理・広報面での攻撃に出たということだ。イラクを舞台にするアメリカ(そしてイスラエル)に対する攻撃や脅迫は過去何年も繰り返されてきたことなので、中東全体の文脈ではアメリカ・イスラエル対「抵抗の枢軸」の紛争の「ルール」の範囲内のことだ

 気になるのは、ツルコフ氏の発言の中で、イスラエルの政府や軍が自身のことやガザに囚われている人々について、イスラエルの政府や軍が安否をたいして気にしていないとの趣旨の言葉を繰り返したことだ。イスラエルは、伝統的にシリアやレバノンやパレスチナでの戦闘や抗争で敵方に囚われた者、行方不明になった者、遺体が敵方に手に渡った者、そのような人々の解放や消息情報の入手に労苦を厭わなかった。そして、身柄・遺体・情報を得るためには、シリアやイランのような国家はもちろん、ヒズブッラーやハマースとも様々な交換を実現してきた。ここで、例えばイスラエル人1に対してパレスチナ人1000のような交換が行われてきたが故に、今般の戦闘でもイスラエル人に対するパレスチナ人の(政治・報道場裏での)価値は著しく低くなったのだ。イスラエルの政府や軍がそのようにしてきた理由は、共同体の構成員を決して諦めないと行動で示すことにより、共同体の団結力や構成員の帰属意識・忠誠心、共同体への信頼を一定水準よりも高く保つことだ。ここで、人質(別の立場で見れば捕虜)の処遇や境遇や命運の実例と共に、イスラエル政府が彼らの安否を軽んじていると喧伝されることは、報道をもみ消すなどして現時点での打撃を抑えたとしても、長期的にイスラエルという共同体への信頼や忠誠心を揺るがすという、極めて効果的な攻撃になる。

 現在のパレスチナと周辺地域の情勢は、ガザ地区での各病院での惨状、レバノン方面での交戦、シリアやイラクでのアメリカ軍基地への攻撃など、既に事態を「イスラエルとハマースとの戦い」なり「ガザ地区での戦闘」などと矮小化することができない状況にある。特に、ガザ地区で国際的に衆人環視の中で誰も効果的な手段を講じられないまま「弱者」がバタバタ衰弱死していく状況は、紛争当事者を事態に怒る世論に押されて紛争の強度を上げざるを得なくなるよう追い込むものだ。実際、レバノンのヒズブッラーのナスルッラー書記長は今般の戦闘に関わる作戦の件数と使用する兵器の質を拡大したと表明した。イラクでツルコフ氏の動画が発信されたのも、(「ルール」から逸脱しない範囲で)紛争の強度を上げる行為の一つだ。現在「イスラエルとハマースとの戦い」と呼ばれているものの戦場は、ガザ地区やパレスチナよりもはるかに広く、広報や諜報など他分野に及んでいるということだ。そのように考えると、イスラエルやアメリカの側から見て紛争を拡大して「抵抗の枢軸」の一部なり全部を殲滅したいならば、ガザ地区の人道状況はこのままどんどん悪化させ、敵方が「ルール」を逸脱する行為に出るよう仕向けるのが最も合理的だ。この観点からは、現在状況改善のため努力や働きかけは、当面一切実を結ばないことになる。筆者としては、この予想が正しくなくて、紛争が早期に収束して状況が迅速に改善する方がいいのだが。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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