ヴィッセル神戸を経て古巣の監督となった元ブラジル代表
![](https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/t/iwiz-yn/rpr/soichihayashisr/00283413/title-1645617813824.jpeg?exp=10800)
1994年に18歳で名門グレミオのプロ選手となり、10年間プレー。その間にセレソンにも選ばれた経験を持つ、ホージェル・マシャド・マルケス(45)。
マルケスは昨シーズン2部に降格した古巣を立て直そうと、監督に就任して指揮を執り始めた。昨年のメンバーは3名だけを残し、若手主体に切り替えている。よって、今日、グレミオのユニフォームを纏ってピッチに立つ選手たちは、59、39、35、34、30、29、28、27、24……と、皆、大きな番号を背負っている。現在行われているリオ・グランデ・ド・スル州選手権では、復活の兆しを見せつつある。
![現役時代のホージェル・マシャド・マルケス(右)](https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/t/iwiz-yn/rpr/soichihayashisr/00283413/image-1645618811468.jpeg?fill=1&fc=fff&exp=10800)
グレミオのアメリカ支部的存在のチーム、グレミオ・サンディエゴでフィジカル・コーチを務めるロドリゴ・ロリム・レチは言う。
「昨シーズン、残念ながら2部に降格してしまったグレミオですが、今季はまだホームで負けがありません。新監督となったホージェル・マシャド・マルケスが、きっと立て直してくれる筈です。2015-2016シーズンもグレミオで采配を振るいましたが、アトレチコ・ミネイロ、パルメイラス、バイーア、フルミネンセで更に経験を積んで戻って来てくれました。
マルケスはリオ・グランデ・ド・スル州ポルト・アレグレで生まれ、下部組織時代からずっと地元のグレミオで育ったんですよ。左サイドバックとして活躍しました。1995年にはリベルタドーレス杯も獲っています。どんな好条件で他のチームから誘われても、彼はグレミオを去らなかった。だからこそ、ファンに愛されているのです」
![](https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/t/iwiz-yn/rpr/soichihayashisr/00283413/image-1645620274947.jpeg?fill=1&fc=fff&exp=10800)
マルケスは2004年、2005年の2シーズン、ヴィッセル神戸でプレーしたので、ご記憶の方もいらっしゃるだろう。その後、フルミネンセに3年在籍し、2009年には米国MLSのD.C. ユナイテッドと契約したものの、腰の状態が芳しくなく、引退を決める。
2011年にグレミオのアシスタントコーチとなり、指導者の道を歩み始めた。
![グレミオが1983年にトヨタカップで勝利した時の記念写真 撮影:筆者](https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/t/iwiz-yn/rpr/soichihayashisr/00283413/image-1645581122035.jpeg?fill=1&fc=fff&exp=10800)
「マルケスを一言で表現するならガウショでしょうね。これは、南部の男という意味です。アメリカでなら、テキサス・カウボーイのような感じかな。器がデカく、逞しく、男らしい。大地に根付いて牧場で働いたり、馬の世話をする、戦いに強い、そんなイメージですね。
グレミオのあるリオ・グランデ・ド・スル州は、ブラジルの最南部に位置します。その州都がポルト・アレグレ。グレミオは当地の象徴です。ウルグアイやアルゼンチンに近いので、サッカーのスタイルも近隣のライバルと似ているんですよ。
リオデジャネイロ州のフラメンゴ、フルミネンセ、ボタフォゴ、サンパウロ州のサンパウロ、パルメイラス、サントス等と比べると、技よりも力。肉弾戦を制するサッカーと言えるでしょうか」(ロドリゴ・ロリム・レチ)
![取材に応じてくれたレチ(右)とグレミオ・サンディエゴのサナ監督(左)。チームのBBQで選手たちに肉を焼く 撮影:筆者](https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/t/iwiz-yn/rpr/soichihayashisr/00283413/image-1645581168942.jpeg?fill=1&fc=fff&exp=10800)
ホージェル・マシャド・マルケスは、自身が生まれ育ったグレミオをいかに蘇らせるか。神戸での経験がどのように生きるか。その手腕に注目だ。