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ヴィッセル神戸を経て古巣の監督となった元ブラジル代表

林壮一ノンフィクションライター/ジェイ・ビー・シー(株)広報部所属
(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

 1994年に18歳で名門グレミオのプロ選手となり、10年間プレー。その間にセレソンにも選ばれた経験を持つ、ホージェル・マシャド・マルケス(45)。

 マルケスは昨シーズン2部に降格した古巣を立て直そうと、監督に就任して指揮を執り始めた。昨年のメンバーは3名だけを残し、若手主体に切り替えている。よって、今日、グレミオのユニフォームを纏ってピッチに立つ選手たちは、59、39、35、34、30、29、28、27、24……と、皆、大きな番号を背負っている。現在行われているリオ・グランデ・ド・スル州選手権では、復活の兆しを見せつつある。

現役時代のホージェル・マシャド・マルケス(右)
現役時代のホージェル・マシャド・マルケス(右)写真:ロイター/アフロ

 グレミオのアメリカ支部的存在のチーム、グレミオ・サンディエゴでフィジカル・コーチを務めるロドリゴ・ロリム・レチは言う。

 「昨シーズン、残念ながら2部に降格してしまったグレミオですが、今季はまだホームで負けがありません。新監督となったホージェル・マシャド・マルケスが、きっと立て直してくれる筈です。2015-2016シーズンもグレミオで采配を振るいましたが、アトレチコ・ミネイロ、パルメイラス、バイーア、フルミネンセで更に経験を積んで戻って来てくれました。

 マルケスはリオ・グランデ・ド・スル州ポルト・アレグレで生まれ、下部組織時代からずっと地元のグレミオで育ったんですよ。左サイドバックとして活躍しました。1995年にはリベルタドーレス杯も獲っています。どんな好条件で他のチームから誘われても、彼はグレミオを去らなかった。だからこそ、ファンに愛されているのです」

写真:アフロスポーツ

 マルケスは2004年、2005年の2シーズン、ヴィッセル神戸でプレーしたので、ご記憶の方もいらっしゃるだろう。その後、フルミネンセに3年在籍し、2009年には米国MLSのD.C. ユナイテッドと契約したものの、腰の状態が芳しくなく、引退を決める。

 2011年にグレミオのアシスタントコーチとなり、指導者の道を歩み始めた。

グレミオが1983年にトヨタカップで勝利した時の記念写真 撮影:筆者
グレミオが1983年にトヨタカップで勝利した時の記念写真 撮影:筆者

 「マルケスを一言で表現するならガウショでしょうね。これは、南部の男という意味です。アメリカでなら、テキサス・カウボーイのような感じかな。器がデカく、逞しく、男らしい。大地に根付いて牧場で働いたり、馬の世話をする、戦いに強い、そんなイメージですね。

 グレミオのあるリオ・グランデ・ド・スル州は、ブラジルの最南部に位置します。その州都がポルト・アレグレ。グレミオは当地の象徴です。ウルグアイやアルゼンチンに近いので、サッカーのスタイルも近隣のライバルと似ているんですよ。

 リオデジャネイロ州のフラメンゴ、フルミネンセ、ボタフォゴ、サンパウロ州のサンパウロ、パルメイラス、サントス等と比べると、技よりも力。肉弾戦を制するサッカーと言えるでしょうか」(ロドリゴ・ロリム・レチ)

取材に応じてくれたレチ(右)とグレミオ・サンディエゴのサナ監督(左)。チームのBBQで選手たちに肉を焼く    撮影:筆者 
取材に応じてくれたレチ(右)とグレミオ・サンディエゴのサナ監督(左)。チームのBBQで選手たちに肉を焼く    撮影:筆者 

 ホージェル・マシャド・マルケスは、自身が生まれ育ったグレミオをいかに蘇らせるか。神戸での経験がどのように生きるか。その手腕に注目だ。

ノンフィクションライター/ジェイ・ビー・シー(株)広報部所属

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

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