「引退考えた」リオ五輪金メダルのバドミントン“タカマツ”ペアの迷いからの脱却、「東京で連覇目指す」
高橋礼華は1年半ほど、空漠たる思いに苛まれていた。空虚で満たされない孤独感とでも言おうか――。
2016年、リオデジャネイロ五輪のバドミントン女子ダブルスで、高橋はペアの松友美佐紀と共に日本勢初の金メダルを獲得した。若き2人がもたらした快挙に日本中が沸いた。
この日を境に、“タカマツ”という名は日本に一気に広まり、2人は押しも押されもせぬ女子ダブルスのエースへと成長した。
“金メダリストのタカマツ”――。世間はそういう目で見るようになった。
他国のライバルたちも徹底的に研究し、倒しにくるようになり、国内メディアは国際大会に出るたび2人の一挙手一投足を報じた。
自分たちは何も変わらないが、周囲の目と注目度の高さが、金メダルを取ることでガラリと変わった。
高橋が当時の心境を正直に振り返った。
「リオ五輪が終わってから、自分の中で気持ちを切り替えるのがすごく難しかったです。代表では年間で15大会ほど出場するのですが、気持ちを整理するうえでも本当は休みたかった。でも、休んで試合勘がなくなるんじゃないかとか、世界ランキングが落ちると、また上げていくのは大変だなという心配もありました。(リオ五輪で金を取ったあと)休んでから少し考える時間が欲しいと言えないまま、ただズルズルと試合をこなしていく感じになっていました。五輪で金メダルという一つの目標を叶えて、『また次に向かおう!』と切り替えるのは本当に難しかったです」
こうした状況をよく見ていたのが、2004年11月からバドミントン日本代表のヘッドコーチを務めている朴柱奉(パク・チュボン)だ。
「彼女たちがリオ五輪で金メダルを取ったあとの1年間は、確かにモチベーションは下がっていた部分は見受けられました。彼女を見ていて、私もそれがすぐ分かったので、去年は必ず結果を残さなければならないと言いませんでした」
一方の松友も、「私もリオ五輪が終わってから、しっかりとした“一本の芯”みたいなものがないまま、やっていました」と振り返る。
月日が経つにつれ、2人の心の穴は、少しずつ大きくなっていた。
「リオとは別人。今は強くない……」
バドミントンの国際大会は、グレードによって分かれており、「五輪」と並ぶ最高レベルの大会が「世界選手権」、その下のカテゴリーには「スーパーシリーズプレミア」や「スーパーシリーズ」などがある。
2017年、高橋と松友は世界選手権で3位となり、まだまだ世界でも十分に戦えることを立証してみせたが、世界ランキング上位40位程度が出場対象となる同年の「スーパーシリーズプレミア」の結果から心境の迷いが見え隠れする。
・全英オープン(3月):ベスト16
・マレーシアオープン(4月):3位
・インドネシアオープン(6月):1回戦敗退
・デンマークオープン(10月):2回戦敗退
・中国オープン(11月):ベスト8
このようにグレードの高い大会で不振。特に11月の香港オープンでは1回戦敗退、さらに12月の全日本選手権では決勝戦で、世界選手権準優勝の福島由紀、広田彩花ペアに敗れて3連覇を逃した。
そのとき、高橋は「はっきり言ってリオの時とは別人。今はそんなに強くない……」と涙を流していたほどだ。
スポーツ選手の中には、大きな目標を達成したあとに、“燃え尽き症候群”に陥るケースが多々ある。特に4年に一度の五輪で、再び金メダルを取るという気持ちの切り替えには、相当の覚悟が必要だろう。
それこそ高橋も松友も、今のままのモチベーションでは戦えないことに気づき始めていた。2人は自分たちの今後の進退も含めて、真剣に話し合った。
「どうしていきたいか」と聞いた日
高橋が口を開く。
「五輪のあと1年半、色々と考えてはいたんですけれど、自分自身も何をやっているのかわからない状態で試合をしていたので、そんな気持ちでいたら松友にも申し訳ないですし……真剣にやるかやらないかを2017年中に決めようと思っていました。松友とやるなら金メダルしかありません。でも、リオ五輪の時よりも確実に気持ちを保ち続けるのはきつくなりますし、2020年は年齢も30歳になって迎えるわけなので、体力的にも今のままでは難しい。考えれば考えるほど、色んなことが大変で、2人とも変わっていかないと難しいと思ったので、まずは松友にこれからどうしていきたいのかを聞こうと思いました」
そう話したあと一呼吸おいて、高橋の口から驚きの言葉が出てきた。
「松友に『私とはやらない』と言われたら、もう引退しようと思っていました」
“引退”という言葉がついて出てくるほどに、高橋は腹をくくっていた。それくらい、精神的に追い詰められていたのだろう。
「私は他の人と組んでまで続けようという気持ちはなかったです。松友に今の思いを伝えると『(私と)頑張りたい』と言ってくれたので、私も覚悟を決めて、絶対に東京で金メダルを取って終わりたいという気持ちになりました。実力こそ落ちていないんですけど、とにかく勝ちたいという気持ちがついてこなかった。どこかで、五輪で金メダルを取っているから別に負けてもいいや、という気持ちになっていたのかもしれません。今はまったくそういう気持ちはありません。逆に2018年の最初の試合から絶対に結果を残そうと思っていましたし、去年までの2人とは違うというのを世界に見せてやろうという気持ちになれました。なので、もう今はやる気しかありませんよ」
高橋の覚悟を聞き、松友はうれしかったという。
「私の中では先輩と組んでやるのが一番楽しいですし、先輩のプレーの良い部分も、選手としてもとても尊敬しています。先輩以外とそこ(五輪で金メダル)を目指すというのは、私の中ではやっぱり考えられませんでした。そこはずっとブレていないので、それを先輩に伝えました。そこで先輩も『私も頑張る』と言ってくれたのはすごくうれしかったです。東京五輪を目指すために頑張る、というのは誰にでもできるなと思っていました。『頑張る』のではなく、『東京で金メダルを取る』という覚悟を決めて戦っていこうと思いました。一緒に何を目指していくのか、という気持ちがすごく大事なんだなということを再確認できました。それに今は本当に勝っても負けてもすごく楽しいです」
2人の中で明確になった東京五輪で金メダルという目標。心境の変化は、すぐに結果となって表れた。今年1月のマレーシア・マスターズではベスト8、同月のインドネシア・マスターズでは優勝を手にした。
「今年は世界選手権で金メダルを取る」と高橋と松友は宣言している。
2年後の東京五輪に向けたロードマップは描けているが、気になるのは、彼女たちが本当に五輪で連覇を果たせるのだろうかという点だ。
その答えをもっとも正確に知る人物がいる。バドミントン日本代表ヘッドコーチの朴柱奉だ。
韓国バドミントン界の英雄が語る”タカマツ”
東京・北区にある味の素ナショナルトレーニングセンターで、ヘッドコーチの朴は待っていた。
現役時代はシングルス公式戦103勝、国際大会では67回の優勝を誇る。1992年のバルセロナ五輪で金メダルを獲得。2001年には国際バドミントン連盟の殿堂入りを果たした。
現役を退いてからは、マレーシアやイングランドでコーチを務めたあと、2004年から日本代表ヘッドコーチを務めている。
日本代表を率いて、今年で14年目。代表を戦う集団に変え、世界と対等に渡り合い、日本を世界選手権や五輪でメダルへ導いた名将として高く評価されている。
朴に課された使命は、日本に五輪初の金メダルをもたらすこと。それを高橋と松友がリオ五輪で達成したわけだが、どうやらそれは想定外だったようだ。
高橋がこんなことを教えてくれた。「雑誌か何かで朴コーチのインタビューを読んだのですが、私たちはリオではなく、東京で金メダルを取る計画だったそうです。まさかこんなに早く取れると思っていなかったのかも(笑)。私たちは東京よりも、リオをずっと見ていたので」。
そこでまず、朴に「高橋と松友がリオで金メダルを取れたのは、予想外だったのでしょうか? 2人は東京よりも、リオを見ていたようですが」と聞いてみた。
すると茶目っ気たっぷりに「それはね、本当です」と言って笑った。
「日本の東京で開催される五輪で、日本の選手たちが金メダルを取れば、どれだけよいか。それを想定しながら、強化を進めてきました。でも、彼女たちはリオで金メダルを取った。当時、世界ランキング1位で可能性は十分にありましたし、決勝戦で戦ったデンマークのペアには、実力的には上だったので、7割は勝てる自信はありましたが」
ミスの少ないプレーが強さの土台
彼が見た“タカマツ”ペアの第一印象はこうだ。
「高橋と松友が代表入りしたときは、まだ20歳前後だったと思います。実力は4番手。細かい指導をする機会は少なかったですが、見ていて分かったのはパワーで戦うタイプではないということ。それに当時は、特に光るものがあったのかというと、そうでもなかった(笑)。でも、2人の良さは、呼吸を合わせるのが抜群にうまい。プレーに派手さはありませんが、試合中は他の選手よりもミスが少ない。これが彼女たちの最大の特長であり、強さの土台となったのです」
現在はラリーポイント制なので、ミスの少ない高橋と松友には、「合っている」と朴は断言する。
朴が“タカマツ”ペアを本格的に指導し始めたのは、2012年ロンドン五輪以降。2人が女子ダブルスで一番手のエースになったあとだ。
「それでもどちらかというとパワーがある高橋は、後衛からのスマッシュが持ち味。ただ、引き出しを多くするためにも、本人が『できない』と思うことにもたくさんチャレンジさせました。例えば、守備をしてもこれまではただ、シャトルを高く打ち返すだけでした。相手を疲れさせるためにも大事なプレーなのですが、それではいつまでも勝てない。世界で勝つために、攻撃的なディフェンスを要求しました。相手が疲れてきたところをドライブで返すなど、守備のパターンを増やしたことで、世界でも勝てるようになっていったのです」
一方、松友に対する評価はこうだ。
「体も小さくパワーがありませんが、ネットプレーが非常にうまい。自分の得意分野をもっと伸ばしなさいと伝えていきました。ネットプレーから今よりももっと高い確率でポイントを取れるよう、徹底的に練習させました」
とにかく2人には合宿で、過酷な練習メニューを課したという。それでも松友は「ここまで来られたのは、朴さんがいたから」と感謝していた。
「私がとても心強かったのは、リオ五輪前に、試合に臨む上での心構えを、実際に五輪で金メダルを取った朴さんに教えてもらえたことです。金メダルを取った人の言葉というのは重みがあるし、とても支えになりました」
東京五輪金メダルが「最後の大仕事」
その言葉を朴にそのまま伝えると、照れながらこう言った。
「高橋と松友は文句も言わず、しんどい練習にも食らいついてくれました。東京五輪までの2年間も、厳しさは変わりません。ちょうど、平昌五輪のスピードスケート女子500メートルで金メダルを取った小平奈緒選手が、高地で走ったり、過酷なトレーニングする姿をテレビで見たのですが、ああいうのを見ると、練習の参考になるいいアイデアが浮かんできます(笑)。五輪の金メダルというのは、過酷なトレーニングで精神力を鍛え、血も涙も見て、自分を犠牲にした人が手に入れられるものなんです。私は今でもそう思います」
高橋は朴からこんなことも言われていると教えてくれた。
「私も現役時代、(五輪で)金メダルを取ったから分かるけれど、金メダルを取ってから気持ちをまた上げていくのは難しいと思う。でも、あなたたちなら東京でも金を取れる」
朴には東京で2人が金メダルを首にかける姿が見えている。”タカマツ”ペアに、本気で金メダルを取らせるつもりでいる。
日本バドミントン協会との契約が2021年3月までという朴にとって、「東京で日本バドミントン界にさらなる金メダルをもたらすことが、日本での最後の大仕事になるかもしれません」。
その目からは、朴の覚悟と少しの寂しさが見え隠れしていた。
「いつでも挑戦してきていい」
高橋と松友は朴コーチから指導を受けて8年になる。信頼関係も構築され、海外ツアー中にコンドミニアムで韓国料理のサムギョプサルを作って、もてなしてくれたこともあったという。
松友は「もし今、違うコーチが来ても、言う事聞けないかもしれないです(笑)」と笑う。
「外国人の方がコーチをしているというのもいいんだと思います。良い意味で思考が違うし、バドミントンに対する考え方も違います。それは本当に自分たちにとっても良かったなと思います。学ぶことが多いんです」(松友)
東京五輪で金メダルを取れば、日本バドミントン界においては史上初の2連覇。各国の選手たちが、打倒“タカマツ”で来るのは必至だ。
「五輪の金メダルのペアで、今、残っているのは自分たちしかいません。次の五輪で金メダルを取るしか、自分たちを超えることはできません。つまり、私たちは“挑戦者”にはなれないんです。そしたらもう、すべての対戦相手に受けて立とう、と思えました。バドミントンの最高峰はやっぱり五輪だと思います。なので、いつでも『挑戦してきていいよ』くらいの気持ちでいた方がいいということに気づきました」(高橋)
「東京では一緒に肩を組んで喜びを分かち合いたい」
高橋と松友に、金メダルの瞬間をどのように迎えたいか、朴コーチに伝えておきたいことがあるかを聞いた。高橋には金メダルを取った瞬間の理想とする光景があるという。
「私、リオで金メダルを取った時に、あまりにも劇的でコートの床に転げちゃったんですよね。その後に朴さんが上にバーっときてびっくりして(笑)。『勝ったよ!』っ感じで来てくれたんですけど、私は『早く松友のところに行かないと!』と思っていたら、すでに朴さんが上にいました(笑)」
松友も「私のところにはコーチの(中島)慶さんが来て、先輩のところに行けなかったんです」と笑う。
そこで2人は「東京でまた金メダルを取るので、また朴コーチにベンチに入ってもらって、今度はちゃんとした終わり方をしたいです。リオはメダルを取ったあとが、喜びすぎてグダグダだったので、東京ではしっかり肩を組んで喜びを分かち合いたい」と口をそろえる。
朴コーチにそのことを伝えた。すると大笑いだ。
「あの時はみんな喜びすぎて、冷静にそんなこと考える暇などなかったでしょう。もし、また金メダルを取れる日が来たならば、どれだけうれしいことでしょうか。次の東京五輪で金メダルを取ったら、4人でしっかり肩を組みましょう」
選手とコーチの新たな約束。2年後の東京の地で、それを実現するための過酷な戦いは、まだ始まったばかりだ。
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