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大相撲秋場所を盛り上げた21歳の熱海富士 多くのターニングポイントを経て角界で活躍

飯塚さきスポーツライター/相撲ライター
大田区巡業でインタビューに応えていただいた熱海富士(撮影:倉増崇史)

先の9月場所では優勝争いの先頭を走り、場所をけん引した伊勢ヶ濱部屋の熱海富士。惜しくも賜杯に手は届かなかったが、大いに存在感を示した。その熱海富士に場所を振り返っていただきながら、あらためてこれまでの軌跡を紹介する。

緊張の千秋楽で惜敗も「すぐに切り替えました」

――秋場所前には巡業もありました。稽古の様子はいかがでしたか。

「巡業の稽古と部屋の稽古は全然違っていて、部屋のほうがどうしても番数はこなすんですが、巡業の稽古はいろんな人と取れるのがいいことだなと思いました」

――場所が始まると、初日から4連勝でした。振り返ってどんな心境でしたか。

「連勝しているっていう気持ちもなく、本当に一番一番、星勘定をしている余裕はありませんでした。毎日毎日が長かったです。十両のときは、次の日の対戦相手がわからなかったので、幕内になってもその日の一番に集中するようにはしていたんですが、どうしても初日は2日目までの割がいっぺんに出るし、名前を聞くと頭に出てきてしまうので…。意識しないようにしていましたが、難しかったです」

――優勝争いの意識や緊張はありましたか。

「そもそもこんなに早く勝ち越した(9日目)のが初めてだったので、全然意識していなくて、千秋楽にやっと緊張したくらいです。相手も強いし、幕の内の後半で相撲を取るのも、三役と当たるのも初めてでしたし、初めてのことばかりで、思い切っていくだけなので緊張することはありませんでした」

――特に印象的な取組は。

「全部印象に残っていますよ。勝った相撲だと、高安関戦でしょうか。あとは本割で大関に負けた一番。でも、やっぱり優勝決定戦ですかね」

――決定戦はいかがでしたか。

「入門した頃から、横綱(照ノ富士)がこの場所で戦っているのを見てきて、そこに自分が立っていると思い、千秋楽は本割から緊張していました。決定戦のほうが、2番目だし思いっきりいこうと思えました」

――結果は悔しかったと思うのですが。

「もちろん悔しかったです。でも、負けたとき、また来場所もあると思って、もう切り替えましたね」

――しかし、ここまで場所を盛り上げました。率直な感想は。

「そう言ってもらえたらうれしいです。高安関と当たったときは、単独トップになれるというときだったので、一度やってみたいなという思いで、落ち着いていけたかなと思います」

――緊張しないコツはなんですか。

「いや、緊張はしますよ。昔から緊張しいで。でも15日間あるので、今日勝っても負けてもあと何番もあると思って、徐々に慣れてきた感じです」

大田区巡業では髪結い実演にも登場。この愛くるしい笑顔がファンを魅了する(撮影:倉増崇史)
大田区巡業では髪結い実演にも登場。この愛くるしい笑顔がファンを魅了する(撮影:倉増崇史)

「稽古しないと強くならない」横綱の言葉に感化

――相撲の強豪校・飛龍高校を卒業後、入門から約3年。ここまでの歩みを振り返っていただけますか。

「静岡で柔道を始めて、でも体が大きいから相撲をやろうと思って、5年生くらいから始めました。ターニングポイントはいくつかあって、最初は6年生でわんぱく相撲に出たとき。1位じゃないと次の県大会に進めないので、それで無理だったらやめてやっぱり柔道一本にしようと思っていたんです。でも優勝して県大会に行けて、その後の全国大会にも出られました。その経験がなかったら、中学に進学して相撲か柔道を選ぶときに、もしかしたら相撲を選んでいなかったかもしれないなと思います。本当は中卒でプロに入りたかったんですが、飛龍高校に声をかけていただいたので進学しました。そのときにプロに行っていたら伊勢ヶ濱部屋には入っていなかったと思うので、高校進学は2つ目のターニングポイントです。高校でも、もしコロナがなくて試合が普通にあったら、別の道もあったかもしれません。そんな感じで、“もしあのときそうじゃなかったら、いまここにこうしていないかもしれない”っていう場面がいくつもあります」

――コロナで最後の年の試合がなくなってしまったのは…つらかったですね。それでプロ入りを決意したわけですが、伊勢ヶ濱部屋を選んだ理由は。

「高校の先輩である翠富士関がいたことと、親方に声をかけていただいたので。初めて稽古を見に行ったとき、まだ高校生でお客さんだった自分もガッチリ稽古させてもらいました。そのとき横綱や、当時は安治川親方もいたので、一番一番指導してくださって、本当に稽古場がいいなあと思ったんです」

――厳しいなとは思わなかったですか。

「きつかったんですけど、終わった後に2階でみんなで話していたとき、横綱が『稽古はしないと強くならない』とお話をされていて、あらためて本当にそうだなと思ったんです。たった一回しか稽古には行っていませんが、それで決めました」

巡業で稽古をする熱海富士(写真:筆者撮影)
巡業で稽古をする熱海富士(写真:筆者撮影)

――妹さんも、現在同じく飛龍高校の相撲部でキャプテンを務められているとお聞きしています。兄妹で性格や取り口も違うそうですね。

「よく、自分の体と妹のメンタルがあればいいのにと言われます(笑)。妹は小さいけど、自分より気が強いので。つい先日引退試合があってケガしちゃったみたいですが、本人は本当に3年間頑張っていました。小さい頃からよく一緒に稽古しましたし、いまも家に帰ったら胸を出しています」

――素敵ですね。お忙しいなかありがとうございました。最後に、来場所の目標と今後の土俵人生の展望は。

「まだまだ本当に始まったばかりなので、あまり意識することもないし、一番一番やるだけですね。次で今年最後の場所なので、終わりよければ、と思います。今後についても、あまり先のことを見据えず、毎日毎日を頑張っていきたいです」

ひとつひとつの質問に、まっすぐ素直にお答えいただいた熱海富士(撮影:倉増崇史)
ひとつひとつの質問に、まっすぐ素直にお答えいただいた熱海富士(撮影:倉増崇史)

スポーツライター/相撲ライター

1989(平成元)年生まれ、さいたま市出身。早稲田大学国際教養学部卒業。ベースボール・マガジン社に勤務後、2018年に独立。フリーのスポーツライター・相撲ライターとして『相撲』(同社)、『Number Web』(文藝春秋)などで執筆中。2019年ラグビーワールドカップでは、アメリカ代表チーム通訳として1カ月間帯同した。著書に『日本で力士になるということ 外国出身力士の魂』、構成・インタビューを担当した横綱・照ノ富士の著書『奈落の底から見上げた明日』。

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