3.11生まれの13人が全国から集まった
3月11日生まれの井上能宏さんが立ち上げた「311生(うまれ)の会」
「311生(うまれ)の会」で誕生日を祝う会が、2018年3月10日に、東京の番来舎(ばんらいしゃ)で開催された。
「311生の会」は3月11日生まれのメンバーが集い、東日本大震災のための前向きな活動を行う会。筆者もメンバーの一人だ。
代表は、経済産業省に勤める井上能宏(よしひろ)さん。東日本大震災発生後、週末、被災地へとボランティアに通い始めた。通い続け、「自分はこの日を忘れない。みんなもこの日を忘れないようにする活動をしたい」と思うようになった。
学校法人職員の水田真理(まこと)さんは、2013年2月、井上さんの知人に311生まれの会を紹介された。
2013年4月に5人集まり「311生の会」を立ち上げた。「3月11日に生まれたのも運命だから、ポジティブな活動をしたい」という思いだ。2013年8月10日には、20人が集まり、「311生の会」で初めて企画した被災地へのバスツアーへ出かけた。福島県の楢葉町で現場を見学したり、被災者の声を聞いたりした。
井上さんは、メンバーを増やすため、Facebook上に「311生の会」のコミュニティページを作り、参加を呼びかけてきた。2013年8月28日にも都内でメンバーが集まった。そして、この活動が朝日新聞2013年8月26日付の記事に取り上げられた。それを見て、すぐに井上さんに連絡をとったのが、3月11日生まれの大賀唯さんだ。参加した当時は旧姓だった。
こうして、メンバーが加わったり減ったりしながらも、今までやってきた。
3.11から7年目の今年、誕生会が企画された
「311生の会」は、福島県へのバスツアーの後も、東日本大震災のボランティアを始め、現地訪問や、毎年の供養祭など、これまで東日本大震災に関わる活動を続けてきた。震災から7年経つ今、香川や高知など、全国から、初めてのメンバーも含めて311生まれの13名が集まった。
会場となったのは、駒場東大前駅から徒歩圏内の、番来舎(ばんらいしゃ)。
メンバーは全員3月11日生まれ
会場には、次のポスターが掲げられた。
3月11日生まれの13名に加えて、3月11日生まれではない3名が加わり、総勢16名の会となった。「311生の会熱烈サポーター」の女性が、特製ケーキを持ってきてくださった。
311のろうそくを立て、火をつけ、皆で同時に吹き消した。
記念のケーキは、皆で順番に入刀した。
「311生の会」会長の井上能宏さんと、奈良県立大学を卒業する、高知在住の中山のぞみさん。中山さんは、311生の会を知り、四国から飛んできた。
江渕邦彦さんと、蛭田晴美さん。
阿蘇敏之さんと、香川県高松市から来られた田中朱さん。田中さんは、前から311生の会が気になっており、今回、四国から参加した。
水田真理(まこと)さんと筆者。
大賀唯さん(左)と、311生の会の熱烈サポーター、坂さん。
福島県南相馬市出身、番場さち子さんからのメッセージ
今回の会場を提供していただいた、番来舎代表、福島県南相馬市出身で、教育に30年以上携わっている、番場さち子さんから、「南相馬の今」と題してご講演をいただいた。
南相馬市から、伊達市に避難した番場さんは、避難中、段ボールの暖かさを実感したという。避難した初期にはカチカチになったおにぎりをもらったこともあったが、避難して数日したら、あんパンが届けられた。皆、声をあげて喜んだ。だが、朝も昼も夜も、あんパン。それが3日間続いた。3日分がまとめて置いて行かれたのだそうだ。次の3日間は、毎食、メロンクリームパン。炭水化物ばかりで、タンパク質を摂っていないと、爪がめくれてくる。それを、栄養素不足のせいではないと誤解する人もいた。
亡くなった人のことを自分のせいだと悔いて、自分を責めている人もいる。自ら命を絶つ人の数も歯止めがかからない。福島、というだけで、誤解や罵声や非難を受けてきた。番場さんだけではなく、多くの人が、だ。しかし、番場さんは言う。「我々は東北電力を使っていて、東京電力を使っているのは東京の人たち」「東京電力を使っている皆さんに課題を与えたい」
2014年11月に番来舎を立ち上げた番場さんだが、この2018年3月でここを閉じるという。南相馬に戻って、ゼロからのスタートだ。
(株)office 3.11 7期目を迎えて、食品ロス削減の啓発活動に取り組む筆者
番場さんに続いて、筆者が、2011年3月11日以降の歩みについてお話しした。3月11日生まれでなければ、当時勤めていた食品メーカーを辞めていなかったかもしれないし、食品ロスの仕事もしていなかったかもしれない。「生きたくても生きられなかった人のために、生き残った自分は何ができるのか」「これまで続けてきたように、食品ロスを減らすための活動を続けていきたい」といった趣旨の言葉で締めた。
食品ロス問題は、明らかに、3.11が契機の一つになっている。なぜなら、大きな被害を受けた地域はもちろん、軽度の被害で済んだ地域でも、一時期、小売店の棚から食品が消えたからだ。あの時、食べ物が常に豊富にあることが当たり前でないことに気づいた人は多い。
そして、食品の製造工場やパッケージの資材を作る工場が被災し、食品の製造がストップしてしまった時期もあった。
自己紹介マンガ「イデルミ物語」を元に、震災支援がきっかけで会社を辞めた経緯、辞めてからフードバンクの広報を3年間務めたこと、そこから続けて食品ロス問題の啓発活動に取り組んできたことについてお話しした。
奈良県立大学を卒業する中山のぞみさんが、話を聞き終わった後、涙を流しながら感じたことを語ってくれたのが印象的だった。
筆者は、中山さんと同じ奈良の大学を卒業し、中山さんが住んでいる高知に自宅があったことがあった。筆者の父は、都市銀行員として北海道から九州まで転勤を重ね、支店長を目指し、高知で念願の支店長となり、その5ヶ月後に46歳で他界した。
食品ロスについて書いた本『賞味期限のウソ 食品ロスはなぜ生まれるのか』も、参加者の半数以上の方が買って下さった。
東日本大震災から7年経つが、今も73,000人が避難し続けている。避難を終えても、心の痛みは消えないし、亡くなった人は戻ってこない。
311の会に参加した全員が、それぞれ何かを感じ、考える機会になったと思う。
3月11日生まれは、花言葉によれば「人との出会いに感謝し、どんな出会いも大切にする人」なのだそうだ。
サポーターの、柿崎俊道さんと、坂さん。
会では、筆者が食べきり運動である「30・10(さんまるいちまる)運動」を呼びかけ、持ち帰るか、食べきることをお願いした。
311生の会のメンバーは、また来年も3月10日、自分たちの誕生日の前日に集まることを約束し、閉会した。
「自分は3月11日が誕生日なので祝うことができない」と言った男の子に、ある僧侶が「そんなことはない、君は毎年その意味を考えていく機会を与えられたのだ」と答えた、といった趣旨のことをどこかで読んだ。私たちは、皆、自分の誕生日と大震災が重なった意味を考えてきた。私たちが3.11を忘れることは、決してない。