ハリウッドのセクハラ騒動:オスカーノミネーションの結果は、容疑者への制裁か
演技部門には、黒人が4人。監督部門に女性がひとり、そして撮影監督部門にも、史上初の女性候補者がひとり。当初はまたもや"白すぎる"結果になるのではと恐れられていた今年のオスカーノミネーションは、予想以上に多様な顔ぶれが集まり、映画業界は自画自賛に沸いた。
だが、「誰が入れてもらえたのか」の裏で、同じくらい、いや、それ以上にこっそり関心を集めているのが、「誰がはずされたのか」だ。「#MeToo」「#TImesUp」が盛り上がる中、アカデミーは、授賞式が気まずい雰囲気にならないよう、びくびくしているのである。
この30年ほどオスカーの常連だったハーベイ・ワインスタインや、2度の受賞者であるケビン・スペイシーが呼ばれないのは、すでにわかっていること。しかし、今月上旬、ノミネーションの投票が始まってまもなく、ジェームズ・フランコのセクハラ疑惑が浮上したのは、アカデミーにとって想定外だった。
このアワードシーズン、フランコは、監督と主演を兼任した「The Disaster Artist」で数々の賞に輝いており、アワード予測者の間では、オスカーでもトム・ハンクスやデンゼル・ワシントンを抜いて、主演男優部門5人に入ると言われていた。
この疑惑が初めて発覚したのは、ゴールデン・グローブ授章式の夜である今月7日。オスカーのノミネーション投票が始まって3日目のことである。投票締め切りまでにはまだ5日あったが、初日は最も投票が多い日のひとつでもあり、もう彼に入れてしまったという会員もいた。投票のやり直しができないことは、はっきりとルールに書かれている。
幸い、西海岸時間23日に発表されたノミネーションで、フランコの名前は聞かれなかった。このおかげで幸運を得たと思われるのは、映画自体が大コケした「Roman J. Israel, Esq.」のワシントンなのだが、フランコが入らなかったことに安堵するばかりに、彼がキャリア8回目のノミネーションを果たしたという事実には、誰も注意を払っていない。
もちろん、フランコが落ちたのがセクハラ疑惑のせいだという証拠はない。もともと、オスカーはコメディを軽視する傾向がある(フランコはこの役でゴールデン・グローブと放送映画批評家協会賞を受賞したが、いずれもコメディ部門である)。それに、過去7回の候補入りと2回の受賞が証明するとおり、ワシントンはアカデミーに愛されている存在だ。もしかしたら、セクハラ問題がなくても、フランコはワシントンに負けていたのかもしれない。だが、とりあえず、彼が落ちてくれたことで、アカデミーの心配ごとはひとつ減った。
一方で、助演男優部門には、スペイシーのセクハラ疑惑浮上を受けて、彼の代わりに「All the Money in the World」に出演をしたクリストファー・プラマーが候補入りしている。予測では、「君の名前で僕を呼んで」のアーミー・ハマーとマイケル・スタールバーグのほうが、この5つ目の枠に関しては有力だと思われていたのに、だ。
リドリー・スコット監督は、北米公開まで6週間に迫った段階で、すでに完成していたこの映画をプラマーで撮り直すという大胆な選択をしている。再撮には新たに1,000万ドルがかかった。スコット監督は、「スペイシーが出ているせいで、誰も映画を見に来てくれなかったら、製作費を出してくれた人に損をさせてしまう。それは申し訳ない」という、単純に商業的な理由で決断したらしいが、そこまでの努力をしてセクハラ男を排除したという美談として受け止めた人も、少なくなかった。すでにオスカー受賞歴のあるプラマーの演技は、実際、すばらしく、実力で候補入りを果たしたと見るのが正しいと思えるが、「#MeToo」を支持したことのご褒美のようにも語られているのが実情である。
ケイシー・アフレック問題も無難に解決
ノミネーション発表が無難に終わり、胸をなでおろしたのもつかの間、アカデミーには、まだ懸念すべき事柄があった。ケイシー・アフレック問題だ。しかし、そちらもまた、あっさり解決してくれている。
アフレックには、2010年、監督作「容疑者、ホアキン・フェニックス」の撮影中にふたりの女性にセクハラを行ったとして被害者から訴えられ、示談で解決したという過去がある。「マンチェスター・バイ・ザ・シー」であらゆる賞にノミネートされたり、受賞したりし始めた時、この過去は再び掘り返され、一部からアフレックに賞をあげるなという抗議の声も出た。にもかかわらず、アカデミーは、強力なライバルだった「Fences(日本未公開)」のデンゼル・ワシントンではなく、アフレックに賞をあげてしまったのだ。
オスカー授賞式では、毎年、前年の主演男優賞受賞者が主演女優部門のプレゼンターを務める。昨年は、レオナルド・ディカプリオが、「ラ・ラ・ランド」のエマ・ストーンにオスカー像を手渡した。前年の受賞者にとっては、どきどきすることなく再び晴れの場に立たせてもらえる、楽しく誇り高き瞬間である。
だが、昨年の授賞式から今までの間に、状況は大きく変わった。新しい容疑者の名前が次々に挙げられ、議論がこれまでなんとか逃れてきたロマン・ポランスキーやウディ・アレンはどうするのかというところにも達する中、アフレックに対する非難も再燃している。ゴールデン・グローブ授章式を黒で身を固めた女優たちが乗っ取り、映画俳優組合賞(SAG)授章式のプレゼンターを全員女性が務めたこのアワードシーズンで、最高に権威のある賞をセクハラ男が手渡すとは、あまりにも間抜けだ。
この事態にアカデミーがどう対処するのかには早くから注目が集まっていたが、今週、アフレックのほうから、辞退の意を通告してきた。アカデミーのスポークスパーソンは、「授賞式そのものと、(候補者たちの)この1年のすばらしい仕事ぶりにみんなが気持ちを集中できるように、このような決断を下してくれたことに対して、私たちは感謝します」とコメントを発表している。アフレックにしてみれば、自ら好んで責められる場所に出て行く必要はない。フランコだって、ゴールデン・グローブ授賞式にわざわざ「#TimesUp」のバッジをつけて行ったことが火種となったのだ。平然とした顔でオスカーの舞台に立ち、候補者の女優たちに敬意を表したりしたら、「偽善者」とバッシングされるのがオチである。
ベン・アフレックは?ダスティン・ホフマンは?
ソーシャルメディアには、「それは残念」「賢い決断でしょう」「(主演女優部門最有力候補の)フランシス・マクドーマンドに怒鳴られるのが怖かったんじゃない?」など、さまざまな意見が見られる。弟のように訴訟沙汰にはならなかったものの、兄ベンにもセクハラ疑惑が出ていることから、「お兄ちゃんのほうも、この日は欠席したがほうがいいのでは」との声もある。
しかし、それを言うなら、ダスティン・ホフマンやシルベスタ・スタローンはどうなのか?ワインスタインやスペイシーと違って警察が動いてはいなくても、今回のセクハラ騒動に名前が挙がった有名人は、たくさんいる。彼らはみんな、毎年恒例のレッドカーペットやアフターパーティを自粛するべきなのだろうか。
何が正しいのか、間違っているのかは別として、叩かれるのが嫌ならば、どうやら今のところは、それが取るべき選択のようだ。授賞式が制裁の場になってしまったことを遺憾だとする声もあるし、みんないい加減うんざりして、今年はさらに視聴率が下がるだろうと皮肉な分析をする向きもある。
それでもオスカーはあるし、誰かが賞を取る。その一番肝心なことが、大きな興奮を呼ぶ可能性はある。ワインスタインが不在で、低予算のホラー「ゲット・アウト」が複数部門で候補入りをした今年は、これまでと違う新鮮さのある授賞式になれる要素が、明らかにあるのだ。果たして、本番は、そんなポジティブさを前面に出したセレブレーションとなるのか。そうしてみせることこそ、おそらく、今のアカデミーの狙いだろう。そしてきっと、視聴者もそれを望んでいる。