【川崎市中原区】歴史の道探訪 中原街道コースを歩く(5)中原街道の石像群
中原区内を全部歩いて記事を書く、オリテアガルです。
川崎市中原区のホームページに「歴史と緑の散策マップ」として、いくつかのコースが掲載されています。その中に「歴史の道探訪 中原街道コース」があり、そのとおりに歩いてみたの4回めです。このコースは、JR武蔵中原駅と東急新丸子駅の間を結ぶ全長4.2kmの散策コースです。
4回めまでは新丸子駅から中原街道の小杉十字路まででした。今回は、街道沿いの石像群を見ながら歩きます。
15)泉澤寺
二ヶ領用水との交差地点から、また少し進むと、中原街道の右側に大きな石の物体があります。日露戦役記念碑です。
日露戦役記念碑というのは、じつはあちこちに建てられています。私は何も知らない時は、太平洋戦争のイメージで、犠牲になった人たちのためのものと思ってしまいましたが、そうではなく、日露戦争の勝利を記念したものでした。泉澤寺のも他の日露戦役記念碑も乃木希典書となっています。
そして、ここが泉澤寺で、中原街道に面したところには、大きな「日露戦役記念碑」が建っていて、手前には「泉沢寺と門前市」のガイドパネルが建っています。
ガイドパネルにはこう記されています。
吉良氏というと、あの有名な吉良氏とつながりのあるのかと調べたら、同じ吉良氏だったのが鎌倉時代に「三河吉良氏」と「奥州吉良氏」に家系がわかれたことがわかりました。「三河吉良氏」が忠臣蔵で有名な方で、「奥州吉良氏」が泉沢寺を移した吉良氏です。
この日露戦役記念碑の先に泉澤寺の門があります。
門の左側には「泉澤寺の文化財」の説明が建っています。中・近世からの歴史をもの語る多くの文化財が所蔵されておりと書かれています。
さて、泉澤寺をあとにして、中原街道をまたしばらく歩きましょう。
16)旧中原村役場跡
泉澤寺から中原街道をしばらく歩くと旧中原村役場跡があります。
今はもう何もなく、ガイドがあるのみです。中原村は、明治22年に上丸子・小杉・宮内・上小田中・下小田中・新城の6つの村が合併してできました。明治の頃はこの辺が中心地だったため、今の中原区役所とは位置がずいぶん違っていますね。
旧中原村役場跡は、何もなくてちょっと残念だなと後ろを振り返ったところ、かわいいピカチューの石像がありました。鬼門除とあって、これも史跡か⁈と一瞬思ってしまいましたが、ここが石屋さんなので、こちらのお店のものと思われます。
17)石像群
旧中原村役場跡を過ぎて、中原街道を歩きます。中原駅に近づいたあたりから石像群が増えてきます。1つめがありました。
少し歩くと、2つめがあります。こちらはまわりの囲いが新しそうに見えます。前に電柱が建ってしまっているので、ちょっと窮屈そうです。
いずれの石像も、お花やお水などが供えられています。こちらはお花とお水とパンもお供えされていました。お花も、この猛暑の中、しおれているのを見かけません。
またしばらく歩くと、3つめの石像がありました。「街道と地蔵尊」というガイドパネルも建っています。赤い前掛けが見えていて、こちらの石像はお地蔵さまですね。ガイドパネルには、石像は細道や用水支流との交差地点に目立つとあります。この地点も井田堀と中原街道が交差する地点です。
このお地蔵さまの道の反対側を見ると、そちらにも石像が建っています。通りを渡って行ってみましょう。
赤い屋根のついた石像がありました。
2つ一緒に写真に収められないかなと、石像の後ろに行って気がつきました。後ろに別の石像があります!
よくよく見ると、胸もとにあるペンダント状のものは十字架ではないでしょうか? これはいったい何だろうかと図書館などでも調べましたが、残念ながらわかりませんでした。
さて、もう少し進むとまた石像があります。この先は武蔵中原駅で、今回のコースの終点です。
新丸子駅から武蔵中原駅まで、4.2kmの散策コースでした。