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渡辺元智監督勇退。そこで「厳選・横浜名勝負」 アンコール

楊順行スポーツライター
(写真:アフロ)

2006年3月29日 第78回選抜高校野球大会 2回戦

横   浜 001 600 000=7

八重山商工 000 001 050=6

八重山は先発の金城長靖が4回に集中打を浴び、7失点で降板。だがエース大嶺祐太(現ロッテ)の登板で流れがをわる。横浜打線を2安打8三振に封じる間に打線も奮起し、8回川角謙から6連打で一挙5点。しかし浦川綾人が救援した横浜は、守備陣の高度な挟殺プレーでピンチを断ち、9回一打同点のピンチも辛くも逃げ切った。

横浜ベンチにとって意外だったのは、金城長の先発だ。エース・大嶺はベンチ。八重山・伊志嶺吉盛監督はおそらく「大嶺が先発してもし崩れたら、あとがいない。金城でいけるところまで」という目論見だっただろう。渡辺元智監督はいう。

「ですが、ウチとしてはよっしゃ、という感じでした。大嶺君はやっかいでしたし、実際大嶺君が出てきてからは、打線がまったく打ちあぐんでいるでしょう。そして、甲子園の流れ、というのをハダで感じたのが、この試合でした」

7対1と横浜のリードで迎えた8回の守りだ。一死を取ったが、左腕・川角が6連打を浴びて一挙5点を失う。渡辺は思った。8回の6点差といえば98年夏、明徳義塾を逆転した準決勝のウチと同じじゃないか。流れとしては、完全に相手の押せ押せだ……。

「甲子園の野球というのは、四球とか暴投、エラー、あるいは予想もしない凡プレーからガラッと変わるものでしょう。ところがこの8回は、ウチにエラーがあったわけでもなく、がんがん打たれているんです。流れが変わったというよりも、力で押されている。こちらとしてはせいぜい、ピッチャーを代えるくらいしか打つ手はありません。そこで、一死二塁で川角に代えて浦川をマウンドに送りました」

その初球。ライナー性のピッチャーゴロが飛んだ。浦川はこれを好捕し、思わず飛び出していた二走の大嶺を二、三塁間にはさむ。打者走者はこれを見て、二塁を狙った。だが横浜守備陣は視野広く打者走者の動きを見極め、まずセカンドに送球して打者走者をタッチアウトにし、続いてまだ二、三塁間にいた大嶺もアウトにした。同点、逆転のピンチが、一瞬のチェンジである。

ミスかビッグプレーで流れが変わる

「このプレーは、とてつもなく大きかったと思います。相手に向いた流れを引き戻すには、相手がミスをするかこっちがビッグプレーをするか。そういう場面で出たプレーですから、行ったりきたりしていた野球の神様が、こっちにどんと福を運んできたくれたといいますか……。なにしろそれまでは、まだ1点勝っていても逆転されたようなムードだったんです。それが、あのプレーで"行ける"、と。逆に向こうは、まだ1イニング残っているのに圧倒された感じになりました。

流れが変わるサンプルのようなプレーだったんじゃないでしょうか。グラウンドでやっていたことが、そのままできた。まず、浦川のフィールでイング。センター前に抜けてもおかしくない打球を、よく捕りました。そして挟殺ですね。100試合に1回あるかないかのプレーですが、ウチでは日常的に練習していることです。そうでなければ、2人をアウトにしよう、という発想も生まれませんし、まして実戦ですぐに対応できませんよ。

大嶺君が飛び出す気持ちもわかるんですね。1点差の二塁走者、しかも野球は点取りゲームですから、人間の心理として、気持ちは先へ先へと行きます。ところがあの場面でピッチャーゴロなら、基本はやはり抜けてからのスタートです。ですからわれわれは、打球を判断してスタートするのと同じくらい、塁に戻る練習もしていますよ。

こういう野球に対して、目の肥えている人ほど"横浜のレベルは高い"といってくれます。優勝するときというのは、八重山戦のようなむずかしい試合を勝っているというのも確か。それには、緻密さ、細かさが不可欠です。

ただ私本来としては、真っ正面から勝負する野球、というのが好きなんです。たとえば、山びこ打線の池田を率いた蔦(文也)さんみたいな……PLの中村さんとの対戦は、98年の春、中村さんの最後の指揮で実現しましたけど、池田とはついに対戦がなかったんです。ぜひとも蔦先生と一度対戦してみたかった、というのはぜいたくですかね」

渡辺にとっては、これがいまのところ最後の全国制覇だ。もう一度優勝すると春夏6回、中村順司に並ぶことになるが、果たして最後の夏は……。なおこの試合については、拙著『「スコアブック」は知っている。』で詳しくふれています。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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