【漁業の歴史】ニシンやクジラを求めていた!西洋の漁業の変遷について
欧州とアメリカの漁業史を辿ることは、壮大な冒険譚を読むに等しいです。
そこには、波濤に挑む船団と、海の恵みを巡る人々の努力が詰まっています。
例えば、16世紀のオランダでは、北海にニシンを求めて「ビュス」という帆船が進水しました。
船上で塩漬けにされたニシンは交易品として大陸を潤し、国民の5人に1人がこの魚に生計を託すほどだったといいます。
その勢いは、スコットランドやノルウェーにも波及し、北欧の海辺はいつしか産業の拠点となったのです。
一方、大西洋の反対側では、ニューファンドランド島沖のグランド・バンクスがタラの黄金漁場として知られていました。
ジョン・カボットの探検がこの秘密を広め、フランスやスペインの船団が出発する様は、一種の海洋ロマンそのものです。
タラはヨーロッパのみならず、新世界にも輸出され、人類の食卓を豊かに彩ったのです。
そして、寒冷な北氷洋ではクジラを求める物語が展開します。
オランダとイギリスがホッキョククジラに挑んだ17世紀、またアメリカが鯨油を求めた19世紀には、マッコウクジラの名が頻繁に登場します。
これらの活動は時に国家間の軋轢を生み、20世紀に至ってはタラ戦争なる悲劇すら引き起こしました。
蒸気船が登場し、トロール漁が普及した19世紀後半は、漁業の産業化が最高潮に達した時代です。
しかし、膨張する漁獲量が資源枯渇の危機を呼び、最終的には国連海洋法条約による調整を必要としたのです。
海は物語を生み続ける舞台だが、そこには常に人間の果てしない挑戦と責任が同居しています。