4つの起源があった、水族館の歴史
その昔、魚たちは自らの自由を疑いもせず、海や川を悠々と泳ぎ回っていました。
しかし人々の好奇心は止むことを知らず、いつしか彼らをガラスの向こうに閉じ込めることを思いついたのです。
それが「水族館」の始まりです。
ただし、これはただの突飛な思いつきではなく、実に多様で興味深い流れの中から生まれたものでした。
まず、家庭の中で魚を飼う「ホーム・アクアリウム」という趣味が、17世紀のヨーロッパで一大ブームとなりました。
きっかけは1665年、サミュエル・ピープスが熱帯魚の魅力を語り始めたこと。
さらにルイ・ルナールが美しい彩色図鑑を発表し、魚の美しさが芸術と科学の両面から注目されたのです。
こうして人々は魚の世話に没頭し、同時に水槽の開発が進みます。
なんとアクアリウムという言葉を生み出したフィリップ・ヘンリー・ゴスは、魚の絵を描きながら水槽作りにも励む多才ぶりです。
魚と水槽、その完璧な組み合わせを実現した彼らの功績が、やがて博物学者ド・モリンズによる「世界初の水族館」展示へと繋がります。
次に、動物学の流れです。
18世紀、科学が急速に進歩し、動物園が誕生します。
ロンドン動物園には魚を収めた施設が併設され、これが後に「フィッシュハウス」として華麗なる水族館に成長したのです。
その後、博覧会という華やかな舞台が水族館の可能性をさらに広げました。
1851年のロンドン万国博覧会では、ガラス張りの水槽が世間の注目を浴び、水生生物たちがスターとなります。
この流れは日本にも伝わり、1897年の水産博覧会で展示された水族館が、博覧会終了後も継続展示された例もあるのです。
さらに教育の場では、臨海実験所が水族館の普及に一役買いました。
1872年に建てられたナポリ海洋実験所を皮切りに、日本でも東京大学の三崎臨海実験所が設立されます。
ここでは科学者が研究費を稼ぐために、海洋生物を展示する工夫を凝らしました。
臨海実験所は景勝地に建てられることが多く、観光名所としても人気を集めたのです。
こうして、水族館は科学、芸術、教育、さらには観光という複数の道筋から進化を遂げ、今日に至っています。
魚たちがガラス越しに語る物語は、私たち人間の飽くなき探究心と好奇心を映しているのかもしれません。
参考文献
堀由紀子(1998)『水族館のはなし』岩波書店〈岩波新書〉