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3.11、誕生日に起きた震災で食品企業を辞めて11年 いま思うこと  #知り続ける

井出留美食品ロス問題ジャーナリスト・博士(栄養学)
(写真:つのだよしお/アフロ)

2011年3月11日金曜日、筆者は食品メーカーの広報責任者を務めていた。当時、勤務先では、日本初のフードバンク、セカンドハーベスト・ジャパン(2HJ)に、食品を寄付していた。

2HJは、3月11日午後、帰宅困難者のために炊き出しを実施した。そしてその翌日3月12日(土)には、被災地に入り、現地の状況や必要なものが何かを把握し、その調達を実施した。

2HJから聞いていたのは「1個のおにぎりを4人で分けあって食べている」「1日に食べるものがソーセージしかない」といった、命の綱である食料が足りない、逼迫した現状だ。

そこで、なんとか食料を届けようと、当時勤めていた食品メーカーのシリアルビスケット、22万800食を準備し、被災地へ運ぼうとした。だが、運ぶ手段がない。ガソリンも足りないし、車もいない。たとえ運んだとしても保管できる場所がない。

週明けの3月14日(月)から、連日、農林水産省に相談を重ね、ようやく3月22日ごろ、東京都福生(ふっさ)市の米軍横田基地に運べる手立てがとれた。10トントラック2台に乗せて運び、その後、ヘリコプターで宮城県仙台市と岩手県花巻市に運ぶことができた。

それと並行して、海外支社(オーストラリア、タイ、韓国)から、食料支援の話が来ていた。特にオーストラリアの動きは早く、商品の種類や荷姿など、詳しいデータがエクセルファイルで送られてきていた。

だが、3月16日ごろに農林水産省に相談すると、「その件は、首相官邸(が担当)です」と言われた。首相官邸に電話すると、「その件は、厚生労働省です」との答え。厚生労働省に電話すると「それは検疫所です」。検疫所に電話すると「税関です」。税関に電話すると「港によって管轄が違います。どこの港ですか?」と言われた。検疫所にも税関にも英語の申請フォームは存在しないとのこと。あきらめて、日本の物資をちゃんと運んでから再度チャレンジしよう、と思った。

3月23日ごろ、再度、首相官邸に電話した。「食料は、もう足りています」「被災者の人は、国産がいいと言っています」と言われた。

その後、4月に入ってから、Yahoo!ニュースの記事で、宮城県の避難所で栄養不足が発生していると知った。炭水化物に偏っている被災食のため、ビタミンやミネラル、食物繊維などの摂取が足りていないという。

そこで、それらを豊富に含むシリアルビスケット23万9,700食を、再び、支援食として寄付することにした。だが、農林水産省の仲介は、4月20日で終わってしまっている。そこで、フードバンクの2HJにお願いし、4月下旬にトラックに載せてもらい、筆者自身もトラックに乗って宮城県石巻市に行くことにした。

東京を夜中の12時に出ると、ちょうど朝の6時過ぎぐらいに石巻に着く。当時、食料などの物資の保管場所になっていた、石巻専修大学のグラウンドへ運んだ。

トラックから当時の勤務先の商品を積み下ろす筆者(関係者撮影)
トラックから当時の勤務先の商品を積み下ろす筆者(関係者撮影)

その時を含め、被災地には食料支援を含め、20回近く足を運んだ。その中で、「避難所の人数にちょっと足りないから(平等じゃないから)、支援食料を配らないで、そのままだめになった」「同じ食品だけど、メーカーが違うから(平等じゃないので)配らない」などという話があった。市区町村では「平等」が原則になっているのは理解できるが、杓子定規な対応のため、貴重な食料が無駄になってしまうのはもったいなかった。

一方で、現地の商店が復興してきた後で、その近くに無償の食料を配ってしまうと、地元の商売を邪魔してしまう支援もあった。食べきれないほどの食料を無理に食べきろうとして、20kg近くも体重が増えてしまったという被災者の男性もいた。

首都圏でも、一時期、小売店の商品棚から食料品が消えた。3.11当日はコンビニやスーパーからたくさんの食料品が買い占められた。その後は、被災地の工場が被災したため、食品が製造できない、容器包装が調達できない、といった理由で、通常の生産ができなくなった企業があった。

「福島県で水が必要」ということで、ペットボトル入りのミネラルウォーターがたくさん製造され、福島県に送られた。ある時期が来ると供給量が需要を上回り、在庫が過多になった。

それまで、大手食品企業の多くは「フードバンク」に関心はあっても、実際に寄贈することはしなかった。自社の貴重な商品を、 当時、まだよく知られていない「フードバンク」という第三者に渡すなどということは、簡単にできることではなかった。

だが、2011年の春から秋にかけて、フードバンクには、何社もの大手食品メーカーがフードバンクへの寄贈を検討しているということで打診に来た。

食の分野において、3.11の教訓は何だったのだろうか。

理不尽な理由で貴重な食料を捨ててはいけないということ。

行政において、「平等」の原則は大事だが、食べる量は人それぞれ違うので、同じ量を分配するのが必ずしも「平等」とは言えないということ。

食品業界には様々な商慣習があるが、未曾有の自然災害の際には臨機応変に対応することが大切であるということ。

11年経って、変わったこともあるが、変わらなかったこともある。コロナ禍のワクチン接種では、余ったワクチンを活用せず、廃棄した自治体があった。

消費者として、日頃の食の面において、できることは何だろうか。

防災では「自助、公助、共助」と言われるが、自然災害が起きると交通網が遮断され、食料の備蓄場所にたどりつけないケースが多い。だから、自助(自分で自分の身を助ける)ことがとても大事である。

いざ、というときのためにできることは、ローリングストック法で、常温保存できる食料品を保管しておき、使っては買い足しながら保存していくこと。

賞味期限は、品質が切れる日付ではないので、数字だけを見てすぐに捨てることのないように。特にペットボトル入りのミネラルウォーターの「賞味期限」は、明記してある容量が担保できる日付であり、中の水が飲めなくなる期限ではない。むやみに捨てない。

他の加工食品も、賞味期限がきたからといって、すぐに捨てないこと。

ロシアとウクライナの件が始まって以来、心が平穏ではいられない。3.11の時と同じような、もどかしい思いや、自分の不甲斐なさを感じていて、思うように言葉にならない。

2011年3月11日14:46に発生した東日本大震災で亡くなった方のご冥福をお祈りし、今も避難を続ける方の健康と、心の平穏を祈ります。

食品ロス問題ジャーナリスト・博士(栄養学)

奈良女子大学食物学科卒、博士(栄養学/女子栄養大学大学院)、修士(農学/東京大学大学院農学生命科学研究科)。ライオン、青年海外協力隊を経て日本ケロッグ広報室長等歴任。3.11食料支援で廃棄に衝撃を受け、誕生日を冠した(株)office3.11設立。食品ロス削減推進法成立に協力した。著書に『食料危機』『あるものでまかなう生活』『賞味期限のウソ』『捨てないパン屋の挑戦』他。食品ロスを全国的に注目させたとして食生活ジャーナリスト大賞食文化部門/Yahoo!ニュース個人オーサーアワード2018/食品ロス削減推進大賞消費者庁長官賞受賞。https://iderumi.theletter.jp/about

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