追悼 ボクシングを愛した大作家
ニューヨーク時間の8月5日、『ニューヨーク・ポスト』紙の記者、『ニューヨーク・デイリーニュース』のコラムニスト、及び編集長を経て大作家となったピート・ハミルが亡くなった。アイルランド移民の血を引き、貧困に喘ぎながらペンで闘った男である。
白い肌を持ちながらも、踏み躙られる側のやるせなさを忘れなかった。
享年85。
日本人には、山田洋次監督の人気映画「幸福の黄色いハンカチ」の原作を書いた人として知られる。
ベトナム戦争に関するリポートもハミルの代表作となっているが、父のビリーがセミプロのサッカー選手だったこともあり、スポーツを題材にすることもままあった。本格的にスポーツライティングにのめり込んだのは、1958年にプエルトリコ人ボクサー、ホセ・トーレスと出会ってからである。
トーレスはメルボルン五輪(1956年)で銀メダルを獲得後、祖国を離れてニューヨークに移り住み、プロデビューした。プエルトリコの至宝であるトーレスは、社会的弱者をテーマとするハミルの食指をそそった。1936年5月3日生まれのトーレスと1935年6月24日生まれのハミルは、友情を育んだ。
ニューヨークのボクシングジムを回り、ファイターたちへの取材を重ねていたハミルは、トーレスに自らペンを持つことを勧める。そして、物を書く行為のイロハを伝えた。
トーレスは世界ライトヘビー級チャンピオンの座に就く傍ら、署名原稿を発表する。引退後は、『ニューヨーク・ポスト』紙初のスペイン語コラムニストとなった。そして、同じ師(カス・ダマト)を持つ、若きマイク・タイソンを支えながら、記事を書き続けていく。ハミルの期待に、文章でよく応えた。
90年代後半から、72歳で鬼籍に入る2009年1月19日まで、私はトーレスへのインタビューを重ねた(ご興味のある方は、光文社電子書籍『マイノリティーの拳』をご覧ください)。ボクシングとライティングの共通点を何度も語り合ったものだ。折に触れ、元世界チャンプは、ハミルの教えを説いた。
今、天国で再会した2人もボクシング談議に花を咲かせているのだろうか。
久しぶりに、ハミルの文章を読み返したくなった。合掌。