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あおり運転映画3作に見る、あおる者、あおられる者の共通点

木村浩嗣在スペイン・ジャーナリスト
3作中最も新しい『ロード・インフェルノ』(2019年)の1シーン

映画『アオラレ』が大きな話題になっているが、過去にもあおり運転を扱った作品はある。『激突!』(1971年)、『ヒッチャー』(1986年)、『ロード・インフェルノ』(2019年)だ。3作の比較をしてみよう。

■いつから、どうして、あおりが始まるのか?

『激突!』

あおられる者(主人公):普通に追い越す。

あおる者(相手):いきなり抜き返す。

あおられる者:抜き返して、クラクションを鳴らす。

→あおりスタート

『ヒッチャー』

あおられる者:拾ったヒッチハイカーに殺されかけ、車から振り落とす。

あおる者:盗んだ車で追い掛けてくる。

→あおりスタート

『ロード・インフェルノ』

あおる者:追い越し車線で順法運転。

あおられる者:パッシングしクラクションを鳴らす。

あおる者:急ブレーキを踏む。

あおられる者:追い抜きざまに、頭がおかしいのかとジェスチャーで挑発。

→あおりスタート

あおられる者は急いでいる。目的地に家族が待っているから。で、前を行く遅い車にイライラして軽くあおる。それが激しいあおりを呼ぶ。クラクションくらい、車間を詰めるくらい、相手にガンをつけるくらい……という軽い気持ちから悪夢が始まる。

■あおる者とあおられる者の車種と社会的地位

『激突!』

あおる者:古い大型トレーラーを運転。スピードは出ないが馬力はある。顔は見えない。

あおられる者:赤い高級車を運転。背広姿にサングラスのビジネスマン。裕福で幸せそうな家庭(妻と子供2人)を持つ。

『ヒッチャー』

あおる者:ステーションワゴンや軽トラックなど盗んだ車を運転。国籍、住所等不明の流れ者。連続殺人鬼。

あおられる者:20代の男。赤い高級車を運転し移送するアルバイト中。

『ロード・インフェルノ』

あおる者:ありふれた白いバンを運転。体格の良い中年男性。おそらく消毒作業に従事。

あおられる者:黒色の高級ステーションワゴンを運転。たぶん会社経営者。高級そうな住宅に妻と娘2人と住む。

色や高級さで目を引く車が狙われやすい――まあ、これは映像的に鑑賞者にとってわかりやすい、という意味もあるのだろうが。車種は、あおる者とあおられる者の社会的地位の差の象徴でもある。

狙われるのは経済的に裕福な者か、あるいは社会の闇を知らないイノセントな者。幸せそうな者でもある。狙う者の方は孤独な男で、行き先もなく、待っている家族もない。

白衣を着て社会の害虫退治。『ロード・インフェルノ』の1シーン
白衣を着て社会の害虫退治。『ロード・インフェルノ』の1シーン

■あおる者とあおられる者の性格や内面

『激突!』

あおる者:社会への復讐心あり? 相手を殺しても構わない。

あおられる者:奥さんに早く帰って来いと怒られて従う普通の人。

『ヒッチャー』

あおる者:主人公に執着。捨て身。冷酷。タフ。あおりは、猫とネズミの遊びの一環だが、相手を殺しても自分が死んでも構わない。

あおられる者:夜ヒッチハイカーを拾ってしまうイノセントさ。銃を撃てない若者らしい正義感と臆病さ。

『ロード・インフェルノ』

あおる者:ルール違反が大嫌い。作法を知らない最近の風潮への静かな怒り。消毒は彼なりの世直しか?

あおられる者:夫として父としての権威喪失気味で、プライドを守るために虚勢を張るが、実は気が小さい。

基本的には、あおる者は社会に怒っているか、人生に絶望している。彼の不幸はあおられる者の責任ではなく、はっきり言ってとばっちりだが、あおる者にとっては小さなトラブルが即、相手の死に値する。

車は凶器で、あおりは死に繋がるが、だからといって加減したりためらうことはない。途中でかくれんぼをしたり、猫がネズミをわざと逃がすような“遊び”を楽しむものの、最終目的はネズミの死である。無作法な運転をする者への制裁とか、世直しの気持ちが込められていることもある。

いずれにせよ、あおる側には“あおりは公正だ”とか“正義だ”とかの確信があり、迷わずあおる。

車を降りれば社会的弱者とかマイノリティでも、あおっている間には強者の猫、ハンターになる。

見栄とプライドが邪魔して謝れない。『ロード・インフェルノ』の1シーン
見栄とプライドが邪魔して謝れない。『ロード・インフェルノ』の1シーン

■ガソリンスタンドでの顔合わせ

ガソリンスタンドは両者が人対人として向き合う場となる。車から降りてみると、あおる者の方が肉体的にたくましかったりする。殴り合っても勝てないわけだ。

ガソリンスタンドには他人もいる。スタンドの職員や売店の店員、カフェのウェイトレスもいる。助けを求めるならここである。だが、ここで助けを求められない何かが起こる。

「謝れば許す」と、あおる側から和解のチャンスが与えられる場合もあるが、あおられる側は理不尽だと思っているので、断るか、小競り合いでさらなるトラブルに発展する。

後に、理不尽でも何でもあそこで謝っておけばなあ、と見ている方が思わずにいられない、さらなる悲劇を招くターニングポイントとしてガソリンスタンドがある。

■電話をめぐる攻防の今と昔

ツールとして注目すべきが電話である。警察に通報されればあおりは終了せざるを得ない。

『激突!』、『ヒッチャー』の時代には携帯電話がなく、公衆電話ボックスが争点となる。あおられる者は公衆電話を探す、あおる者は通報を阻止しようとする。

考えてみれば、携帯電話はあおられる者の最強の武器である。あおられるビデオやナンバープレートの写真の撮影と通報が同時にできるのだから。

だから、今の時代のあおられ映画では、携帯電話を取り上げるか、壊すか、というシーンを入れなければいけない。

携帯電話は諸刃の剣でもある。本人や家族の住所を知られると、問題は“路上のカーチェイス”には止まらなくなる。その場は振り切っても、あるいは通報に成功しても、後日、家の近くで待ち伏せされる恐れがある……。

最新作『アオラレ』は見られていないのだが、以上のような過去作との共通点はあるのだろうか?

住所を知られたら終わりである。『ロード・インフェルノ』の1シーン
住所を知られたら終わりである。『ロード・インフェルノ』の1シーン

※写真提供はすべてシッチェス・ファンタスティック映画祭

在スペイン・ジャーナリスト

編集者、コピーライターを経て94年からスペインへ。98年、99年と同国サッカー連盟のコーチライセンスを取得し少年チームを指導。2006年に帰国し『footballista フットボリスタ』編集長に就任。08年からスペイン・セビージャに拠点を移し特派員兼編集長に。15年7月編集長を辞しスペインサッカーを追いつつ、セビージャ市王者となった少年チームを率いる。サラマンカ大学映像コミュニケーション学部に聴講生として5年間在籍。趣味は映画(スペイン映画数百本鑑賞済み)、踊り(セビジャーナス)、おしゃべり、料理を通して人と深くつき合うこと。スペインのシッチェス映画祭とサン・セバスティアン映画祭を毎年取材

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