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近年元気のない千葉経大付。元西武・森博幸監督の就任で復活へ

楊順行スポーツライター
「高校生でも少年野球でも、大切なのはキャッチボール」と森博幸監督(写真/筆者)

 チバケイ……千葉経大付の名前を、最近とんと聞かない。2004年、夏の甲子園に初出場すると、東北との3回戦では3試合連続完封目前のダルビッシュ有を相手に、雨に手を滑らせた野手のエラーから9回同点に追いつき、延長10回で勝利するなど、ベスト4まで進出した。そのときのエースで四番が松本啓二朗(元横浜DeNA)で、丸佳浩(現巨人)は07年センバツ出場時のエースで三番だ。04〜08年にかけて、春夏5回の甲子園に出場して通算9勝、ベスト4が2回というのは当時の千葉では図抜けていた。

 ところが、だ。09年以降は10年秋の関東大会でベスト8、16年夏のベスト4が目立つ程度で、甲子園とはとんとご無沙汰だ。15年夏には、なんと初戦負けを喫しており、かつての常連としてはちょっと寂しい。今春も、地区代表決定戦で千葉明徳に2対9と大敗した。

「これはなんだ? と思いました。内野のエラーが5つかな? で、自責は2。練習試合では思い描いていたことができても、公式戦、一発勝負の緊張感でがらっと変わってしまうのが高校生なんですね。むずかしい。でも、プロや独立リーグのコーチもやりましたが、それとは違うからこそおもしろい」

 そう語るのは、4月1日に就任した千葉経大付の森博幸監督である。1980年代後半から、西武の黄金期を支えた準主力。97年で引退したあと、スポーツ選手の動作解析ソフトの営業に携わり、プロOBによるマスターズリーグにも出場している。07〜10年は西武のコーチ。さらに埼玉で野球塾の講師を務めた。学生野球資格を回復したのは、14年のことだ。

教えた子どもたちとつながりを保ちたかった

「塾のOBが高校に進んだら、プロ経験者は接触できないでしょう。つながりを保ちたかったから資格を取っただけで、まさか高校の監督になるとは……」

 という森監督。塾OBが進学したつながりで千葉経大付の臨時コーチを務め、この4月から前任の松本吉啓監督のあとを継いだ。自身、小倉工高時代に甲子園の経験はない。ただ、

「西武時代、当時プリンスホテルでプレーしていた村中(秀人・現東海大甲府監督)さんと同じマンションに住んでいたんです。その縁もあり、長男は東海大甲府2年のとき、応援団長として甲子園のアルプスに行きましたね。また私も、現役時代だけじゃなく甲子園でマスターズリーグの試合をしたときは、やはり特別な感じがしました。あの場所に、子どもたちを連れて行ってやりたいですよね」

 ついでにいえば……山梨学院の部長として17〜18年夏、そして今春の甲子園を経験した松崎将部長もこの4月に就任。工藤元弘投手コーチ、正木宣行コーチとともに、森監督を支えていく。山梨学院といえばこのセンバツ、札幌第一戦で大会最多タイの24安打24得点を記録したが、猛打とともに目立ったのは、つねにひとつ先の塁を狙うソツのない、しかも積極果敢な走塁だった。打球判断もそうだし、中継や相手の守備を見る目も抜群だった。聞くと、横浜の前部長だった小倉清一郎氏を臨時コーチに招いたのだとか。

「ノックのときに走者がついての走塁練習などをひんぱんにやり、練習中からいつもうるさくいっていたのが走塁。ただ、同じようにそれをたたき込むには時間がかかりますけど……」

 という松崎部長は地元・千葉県出身。復活には3年見てください、と笑う。夏の千葉県大会初戦は、袖ケ浦と一宮商の勝者と対戦だ。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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