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22名で全国挑んだコザ高校に、2年生のキャプテン。意図は?【ラグビー雑記帳】

向風見也ラグビーライター
こちらは改修前の第1グラウンド。(写真:アフロスポーツ)

 普久原琉と書いて、ふくはらりゅう、と読む。

 ファーストネームの琉は、生まれる3年前の1997年に人名漢字として認められたばかり。琉球を世界に広める人になって欲しい、との願いが込められている。

初の全国、堂々

 沖縄サミットのあった2000年に誕生した普久原は、幼稚園児の頃に地元のコザクラブジュニアでラグビーを始めている。美東中学校でも楕円球を追い、兄の虎(たいが)が卒業したコザ高校のラグビー部へ入る。

 そして2017年12月28日。2年生になった普久原は、全国高校ラグビー大会の1回戦に挑んだ。大阪・東大阪市花園ラグビー場の第2グラウンドで、群馬の明和県央高校とぶつかる。

「行けるところまで行くと決めていたんで。自分で。3年生に1試合でも多くプレーしてもらいたかったので」

 普久原は最後尾のフルバックに入り、人と人の隙間へ何度も駆け込む。抜け出す。倒れされるや起き上がる。

 身長174センチ、体重85キロと決して大柄ではないが、球をもらう前から的確なランニングコースを見定める感性を持つ。やや余力を残すような走りで人垣をするするとかわす技術もまた。

「自分がボールを持つ前に、(防御の狙いを)少しずらすようにしています。あとは(人と人との間の)間隔が広いところと、狭いところを見て…」

 ノーサイド直前。コザ高校が得点のチャンスを得る。フォワードが縦突進を繰り返すなか、ゴールライン手前左中間に走路ができる。そちらへ駆け込んだのが、試合中に司令塔のスタンドオフへ移っていた普久原だった。トライ。間もなく、ノーサイドの笛を聞いた。

 このシーンを毎日放送の解説席で褒めちぎったのは村田亙。2005年には37歳で日本代表入りし、2007年度に40歳で現役を引退した元スクラムハーフだ。

「(防御の)ギャップの見つけ方がすごく上手くて…。トライを取った後の表情もよかった。どや顔をしないで、普通に」

 確かにその時の普久原は、切れ長の目を動かさずに定位置に戻っていた。

 ノーサイド。コザ高校は7―67で敗れた。ちなみにあの時のサミットでテーマソングを披露した沖縄出身の安室奈美恵さんは、歌手活動引退を表明している。

2年生でキャプテン

 

 沖縄県代表の座を2季ぶりに掴んだコザ高校は、『ラグビーマガジン』の大会ガイドブック上の登録選手数がわずか22名。上限より8名少ない。普段は美里高校、美里工業高校、石川高校など、部員不足に悩む近隣のクラブと合同練習をおこなっている。

 就任2年目の山川康平監督は、この年、ひとつの決断を下した。まだ2年生だった普久原をキャプテンにしたのだ。抜群のスキルを有すこの人に立場を与えることで、組織人としての自覚を促したかったのだ。

「能力は高い。人間性といった部分で成長してもらいたくて。3年生に相談して、納得してもらいました。まじめな選手が多かった3年生がコーチ陣と選手のつなぎ役になって、フォローをしてくれました」

 記者団に背景をこう説明する山川監督へ、普久原選手にはやんちゃの香りがあるのかといった類の質問が飛ぶ。返事は「多少、です」だった。

 普久原がキャプテンとなってからの成長の物語は、試合後の取材エリアでカバーしきれるほど薄くはなかろう。

 ただ確かなことは、指揮官が「成長できていると思います。人前で話せるようになって、自分から道具を片付けたりと気配りができるようになった」と話し、当の本人も「1年の時は先輩の話を聞いているだけだったので、自分で考えてやっていくのが大変でした」と答えたことだ。

「指示をする側になって、周りを活かすプレーもできるようになりました」

 立ち上がりから大量失点を喫した全国大会初戦を鑑みてか、キャプテン2年目となる来季の指針をこうまとめている。

「今年よりもいいチームを作りたいです。試合の入りをよくしたい。練習の準備も遅くて。準備を、早くしたいです」

 

 専修大学の監督も務めている村田は、解説席を離れるやすぐに本人への接触を試みた。普久原が何人かのメディアに囲まれる輪のすぐそばに立ち、「名刺、渡してもいいですか。よかったら取っておいて」。裏表の少なそうなかつてのトップアスリートは、気を見るに敏だ。今度の戦いを見た何人かの指導者は、これから同じような行動を取るかもしれない。もしくは、もうすでに挨拶へ出向いている。

「天狗」にならない方法

 若く有望なスポーツ選手が発掘されると、必ず「天狗」という問題が生じる。当該選手が過度な注目を受けたことで自己認識の尺度を誤り、成長を止めてしまうリスクのことだ。

 ただ普久原は、その問題を最小化する方法をひとつ体得している。全国大会での負けを忘れないことだ。

ラグビーライター

1982年、富山県生まれ。成城大学文芸学部芸術学科卒。2006年に独立し、おもにラグビーのリポートやコラムを「ラグビーマガジン」「ラグビーリパブリック」「FRIDAY DIGITAL」などに寄稿。ラグビー技術本の構成やトークイベントの企画・司会もおこなう。著書に『ジャパンのために 日本ラグビー9人の肖像』(論創社)『サンウルブズの挑戦 スーパーラグビー――闘う狼たちの記録』(双葉社)。共著に『ラグビー・エクスプレス イングランド経由日本行き』(双葉社)など。

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