Yahoo!ニュース

「まだまだ投げたい!」阪神タイガース・石井大智が新グラブに刻んだ師匠の言葉と、そこに込めた思い

土井麻由実フリーアナウンサー、フリーライター
来季用の新グラブを披露する阪神タイガース・石井大智

■2024年シーズン用グラブ

 「ちょっと見せたいものがあるんで、待っててくださいね」。

 オフに入った鳴尾浜球場で、阪神タイガース石井大智投手は顔を見るなりそう言って、ぴゅっと寮の中に入っていった。ほどなくして戻ってくると、その手には真新しいグラブがあった。

 あ!と思い当たった。シーズン中に来年用のグラブの構想を明かしていたが、その会話を覚えていてくれたのだ。記憶力もすごいが、その人間性に感嘆した。

 今年のグラブには、ウェブの部分に出身の秋田県のシルエットを入れていたのだが、「高知県も入れたいんですよねぇ」と石井投手は話していた。高知というのは秋田工業高等専門学校を卒業後、プロ野球選手を目指して入団した高知ファイティングドッグス四国アイランドリーグplus)にちなんでだが、石井投手にとって3年間を過ごした思い入れの深い場所だ。

 「NPBに入れたのも僕だけの力ではないですし、高知には支えてもらった人が多いので、そういう気持ちを込めて、ですね」。

 披露してくれた来季用のグラブのウェブには、秋田県と高知県の両方のシルエットをうまくコラージュしたデザインが描かれている。

 「どちらも“故郷”で、大事な場所。これを来年は試合で使います」。

 これから型をつけていくのだと、でき上ったばかりのそのグラブを愛おしそうに見つめていた。

新グラブのウェブには秋田県と高知県のシルエットが
新グラブのウェブには秋田県と高知県のシルエットが

■「まだまだ投げたい!」

 平裏(手を入れる部分)を見ると『まだまだ投げたい!』の刺繍文字がある。これは高知時代の恩師である吉田豊彦氏が、2007年10月4日の自身の現役引退セレモニーで叫んだ言葉だ。

 投げて投げて投げまくって619試合に登板した、投げることが大好きな鉄腕らしい言葉である。

 石井投手は吉田氏のことを「僕の野球の基礎を一から作ってくれた人」と表現する。高知球団に入団したときは投手コーチとして、3年目は監督として、その指導を受けてきた。

 「高専から来て、何もわからないじゃないですか。もちろん自分でも勉強はしますけど、僕はセンスもないし才能もない。でも吉田さんのやり方で、僕に合うように教えてくれました」。

 心から尊敬し、慕っている。かつて吉田氏も所属したタイガースに指名され、すごく喜んでくれた。と同時に「注意はされました。『2軍でも注目されるチームだから。でも1軍に出ないとプロ野球選手じゃないぞ』って」と金言も授かった。

 「それは自分の心の中に、今もしっかり持っています」。

 吉田氏は今季をもって高知球団を退団した。

 「聞いたときは複雑でしたね。高知に行ったら吉田さんがいるっていう感覚なんでね…。選手もですけど指導者も1年契約で、NPBから独立リーグと厳しい世界で何年もコーチや監督をされてきた吉田さんは、本当にすごいなと思います」。

 イベントなどで高知に呼ばれていったときはもちろんのこと、シーズン中も電話で会話することもあったという。吉田氏も常に「大智には日本一になってほしいね」と、愛弟子の活躍を祈っていた。

 「でもここで関わりが切れるわけではないので、また連絡を取ります」。

 立場は変わっても、心の中の師弟関係は永遠だ。

「まだまだ投げたい!」の刺繍文字
「まだまだ投げたい!」の刺繍文字

■2度の離脱を悔やむ

 さて、今年の石井投手の奮闘ぶりはタイガースファンのみならず、野球ファンなら広く知るところだろう。44試合の登板で1勝1敗19ホールド防御率1.35と素晴らしい数字を残した。

 だが本人は「1年間、戦えたわけでなかった」と悔やむ。5月に腰の負傷で、7月には体調不良でと2度の登録抹消があった。体調不良に関しては不可抗力ではあるが、それでも「健康診断もそうですし、いろんな人に病院を紹介してもらったりして、1年間戦えることを目指しています」と、解決策を練っていると明かす。

 腰についても、骨盤のアライメントが崩れて代償動作が起きないように注意しているという。

 「本来使われなきゃいけないところを使えてないと、ほかの筋肉を使うという代償動作が起こる。どこか張ったりするだけで、別の筋肉を使いたがったりするので。しっかり使いたいところを使うというか、その状態を保つ。でも、シーズンで投げていたら、代償動作ももちろんあるので、それをいかに戻していくか」。

 野球のシーズンは長い。疲労も蓄積する。ずっとベストな状態を保つことは至難だ。少しでも本来の状態に近づけるよう、また戻すよう、常に自身の体の声に耳を傾けている。

■自分の中の理論を確立

 離脱はあったが、そこからの復帰は早かった。

 「自分の中で理論を作っていって、そこの理論にもっていけたので(離脱したときも)早期に復帰できました。理論を知らなかったら、考えなくていいことまで考えてしまうので。自分に必要なところ、自分の中での理論を投球動作につなげていったので、ある程度、再現性が高くできるようになった。もちろんトレーニングやエクササイズとかも自分の中に引き出しは持ってますし、勉強もしてきたので」。

 自身の動作をしっかりわかった上で、さまざまな学んだことを自分の中に落とし込んだ。その理論に基づいてやったことで、手応えがあったという。

 また、そこからの気づきもあり、それは今後につながる。

 オフの現在はウエイト中心のトレーニングをしている。「複雑な動作的なことはなくて、二次元の動き。これが三次元的に入ってきたら、代償動作も出てきやすくなる」。今はしっかりと筋肉を鍛えることが重要だという。

■岩崎優に教わった「感じる」ということ

 しかし離脱もありながら、44試合に登板したのは大きい。しかも勝ちパターンの一角という重要な任務をこなした。

 「自信にはなったのかなと思います。負け試合で行ってもそれは自分の仕事なので、そこはゼロで抑えなくちゃいけない。でも今年すごく感じたことがあって、負けてる試合と勝ってる試合、同じように投げたらダメだなって。それもザキさん(岩崎優投手)とかにアドバイスもらって、本当に自分の中で感じることができたんで」。

 どんな場面でも0点に抑えることが、リリーバーに課された仕事だ。だが、その状況によって相手の出方も違うし、攻め方も変わってくる。

 「相手がどう思っているのか、余裕があるのかないのか。自分たちが余裕あるからと余裕ある配球をしてたら、相手が余裕ないときはいいけど、余裕があったら打たれるときもあるんで」。

 相手の状態を素早く察知することが重要なのだ。

 毎登板後、岩崎投手とは“反省会”をする。

 「ザキさんから来てくれるときもあれば、僕から『ちょっといいですか』みたいなときもありますし、2人のときもあれば、隣にサダさん(岩貞祐太投手)がいてくれたりするときもあります。(話の内容は)点を取られる、取られないもあるんですけど、0点に抑えてももちろん反省はあります。『そこで感じることが大事だ』って、ざきさんに言われました」。

 「複数年活躍してる選手なので、いろんな引き出しがある」という先輩と一緒に振り返ることで、登板の一つ一つが血肉となる。「自分が今年感じた部分と、また来年はこう感じなきゃいけないという部分がある」と、確実に自身の引き出しを増やすことができた。

■左ピッチャーの感覚が合う

 そういえば入団時、「吉田さんは左(投手)だけど、なんか感覚が似てるんですよ」と話したことがあった。

 「僕、右ピッチャーの感覚があんまりわかんなくて(笑)。左ピッチャーの感覚がすごい合うんですよ。吉田さんもだし、ザキさんもサダさんも左ピッチャー。僕もすごく不思議に思っていて(笑)」。

 「どこをどう動かすか」「いいときはこういう感じ」など、人それぞれ持っている感覚が似ていると感じるときが多々あるという。

 「似ているのがたまたま左ピッチャーなのか…不思議ですよね」。そう言って首を傾げる。感覚が合うからこそ、吉田氏の指導も岩崎投手や岩貞投手のアドバイスもより響くのかもしれない。

恩師の吉田豊彦氏
恩師の吉田豊彦氏

■昨年との違い

 今季は「試合の中での不安だったり、緊張とかっていうのも、あんまり感じることがなかった」という石井投手。それは「技術がついてきたから。ある程度のメンタルって、僕の中では技術でどうにかなると思っている」と胸を張る。

 「不安が0ではないですよ、もちろん。でも自分に矢印を向けないで、相手に向けていくように。最初はできなかったんですけど、徐々に、場数を踏んでできるようになりました」。

 見事なメンタルコントロールだ。

 「まぁそれでもシーズン中にコンディションが悪かったりすると、矢印がだんだん自分に向いてきたりするんですよ。それは自分で気づけますし、そういうときは意識的に相手に向けるようにします。そこは去年までの自分とは違いますね」。

 その進化は結果にも大きく表れている。

■優勝決定試合での登板

 とくに思い出深いのは「9月14日の、あの優勝が決まったときかな」という。1点リードの八回、無死二塁の場面で登板し、長野久義選手を三ゴロに抑えて島本浩也投手にバトンを渡し、役目を全うした。

 「展開的に投げるのかな、どうかなっていう感じだったので。でも結果的に投げられて、勝ちに貢献できた…っていうことは、自分であんまり言いたくないんですけど。勝って優勝できたので」。

 謙虚に語る。

 優勝の瞬間は実感がわかなかったそうだ。日本シリーズでは3連投し、いずれも無失点だった。日本一の瞬間も同じく実感はなかったという。

 だが、終わった今、「なんかすごいことしたんだな」という感慨が、じわじわと押し寄せてきていると笑顔を見せる。

■未遂に終わった『勝ちマッスル』

 今季、やり残したことが一つある。4月8日の東京ヤクルトスワローズ戦。1点リードの八回に登板して三者凡退に抑え、3ホールド目を挙げた。待っていたのは初めてのヒーローインタビューだ。

 お立ち台に上がる前、合言葉を言おうと決めた。インタビューの締めで自身が「勝ち」と言ったあと、ファンに「マッスル」と呼応してもらい、拳を突き上げるのだ。だが、アナウンサーから「締めをお願いします」の振りがなく、実現できなかった。

 「やりたかったっすね。振りがなくても僕から『ちょっといいですか』って自分のタイミングで言えるときはあったのに…チキって言えなかった」。

 残念そうに肩を落とす。満員の甲子園球場だ。初めてのお立ち台で自分から割って入ることは、なかなかできるものではない。

 リベンジを誓った1か月後の5月11日、初勝利でお立ち台に上がろうとしたが、腰を痛めて断念。またもや日の目を見なかった。

 来季こそは叫んでほしいし、『勝ちマッスルタオル』まで期待してしておこう。

■挑戦することと、変えないこと

 来年はさらに今年以上の活躍を期待されるが、石井投手は「今年の初めと変わらない気持ちでいきたいなっていうのは思っています。今年成績を残したから周りに期待されるとか、それって自分で考えることじゃない」と冷静に受け止めている。

 「自分はほんとにやれることしかできないんで。やれないことをやろうと思っても…そりゃできることもあるかもしれないですけど、それは再現性が絶対に出ないので。本当にやれることをやる」。

 そのとおりだ。周りがどうというのは、自分が関知できることではないし、それによって自分のやることが変わるわけではない。自分は自分のやるべきことをやるだけだ。

 「このオフシーズン、新しいこと、自分に必要だなって思うことは取り組んできているので、そこができるようにしたいというのはあります。挑戦することと、変えない勇気も必要だというのもありますし」。

 新たなことも、継続することも、すべては今の自分に必要かどうかだ。そこは自身と向き合い、やっていく。

■「まだまだ投げたい!」

 新しいグラブに刻んだ『まだまだ投げたい!』。師匠の現役最後の言葉であるとともに、「僕も同じ思いです。もっと投げたいんで。今年ももっとできたと思うから」と、自身の心の叫びでもある。

 だから来季はもっと投げる。今年以上に投げる。そう誓う。

 そして、ずっとずっと先の話だが…。

 「引退するときにね、どういう形でなるかわからないですけど。クビになるのか、引退セレモニーをしてもらえるのか。そのくらいの選手になれるかどうかわかんないですけど、そうなれたら、ほんとにこの言葉を言って野球を辞めたいなって思ったりしています(笑)」。

 吉田豊彦氏の思いを受け継ぎ、石井大智は投げて投げて投げまくる。

いつも明るい笑顔の石井大智
いつも明るい笑顔の石井大智

(撮影はすべて筆者)

フリーアナウンサー、フリーライター

CS放送「GAORA」「スカイA」の阪神タイガース野球中継番組「Tigersーai」で、ベンチリポーターとして携わったゲームは1000試合近く。2005年の阪神優勝時にはビールかけインタビューも!イベントやパーティーでのプロ野球選手、OBとのトークショーは数100本。サンケイスポーツで阪神タイガース関連のコラム「SMILE♡TIGERS」を連載中。かつては阪神タイガースの公式ホームページや公式携帯サイト、阪神電鉄の機関紙でも執筆。マイクでペンで、硬軟織り交ぜた熱い熱い情報を伝えています!!

土井麻由実の最近の記事