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ネット甲子園 第3日 馬淵節、炸裂。「パンツまでびっしょり」

楊順行スポーツライター
この夏も甲子園が熱い!(写真:岡沢克郎/アフロ)

「どっかで(ヒット)エンドランをかけたろう、思ってたんよ」

 藤蔭(大分)に6対4と競り勝った明徳義塾(高知)・馬淵史郎監督は、そう振り返る。両者無得点で迎えた4回表、1死から四番の安田陸が死球で出ると、奥野翔琉のフルカウントから8球目にエンドランを敢行。これがものの見事に決まり、奥野の打球がライトの頭上を越える三塁打となる間に、安田は楽々と先制のホームを踏んだ。7回にも、1死二塁から今釘勝のカウント1-1からの3球目にエンドランが成功し、二走の小泉航大が4点目のホームを踏んでいる。

 明徳・馬淵監督は63歳、藤蔭・竹下大雅監督は26歳。対戦が決まったときから馬淵監督、「自分の息子より若いやんか。やりづらいわ、闘志がわいてこん」と盛んにジャブの口撃を送っていたが、いざ試合になると、

「向こうが盛んにエンドランをかけてきたからね。それならこっちも、とストライクを欲しがるカウントで(エンドランを)かけたら、たまたま当たった」

 と、息子より若い監督と張り合う気持ち満々。これには竹下監督も、「こちらがやりたいことをすべてやられてしまった。さすがは伝統校です」と脱帽したものだ。

セオリーあり、ひらめきあり

 2点リードの9回の守りでは、「どうも2番手の山田(圭祐)が先頭をフォアボールで出しそうなイメージがあって」、ひらめきで左腕・新地智也に継投。その新地が9回をゼロでしのぎ、馬淵監督に甲子園通算51勝目をもたらした。前横浜の渡辺元智、帝京・前田三夫両監督に並び、歴代4位タイの数字である。

「まあ、長いことやってるからね。でも前田さんはまだ(監督を)やっているから、また抜かれるかもわからんよ」

 熱中症対策など、近年の甲子園での新たな取り組みに話題が向き、試合中は暑くないですか? と問われると、

「試合中は暑さを感じないね。それだけ集中しとるんやろうね、アドレナリンが出てね。それでなきゃ、ピッチャーもあんななかで投げられんわ。でも試合が終わって気がついてみたら、パンツまでびっしょりや(笑)」

 ホントに、この人と話しているとおもしろい。

 1997年、明治神宮大会で当時横浜(神奈川)の松坂大輔(現中日)を初めて目にしたときは、

「ありゃ、バケモンやと思った。スピンがちごうたね」

 もっとも……別の機会に、98年に松坂と甲子園で対戦した印象を聞くと、

「いや、あの年は高知で藤川(球児・高知商、現阪神)を見とったから、松坂にも驚かんかったね」

 こんなふうに会うたびに内容が変わるから油断もスキもないのだが、それもまあ愛嬌だ。2002年夏、初めて甲子園を制したときは、多少の照れ隠しもあったのか、

「もう長いことこっちにおるから、早う高知に帰ってうまいカツオを食いたいわ」

 05〜06年、不祥事で一時監督を辞していたとき。

「謹慎中は八十八霊場でも回ろうかと思うたけど、それにはまだ若いし、引退してからでもいいやろ。だけど野球から離れて手持ちぶさただから、司馬さんの本は全部読み返したね」

 こんな具合である。ちなみに馬淵監督は、司馬遼太郎を愛読する。

やってみなわからんよ

 さて、2回戦は例年6月に定期戦を行っている智弁和歌山との対戦が待っている。

「まあ、大変ですよ。力は、だれが見ても智弁が上。今年の練習試合は1敗1分けで、引き分けは池田(陽佑)君が投げて1対1だけど、あのときからは池田君もずいぶん成長しているし、打線は当然強力だしね。こっちは、県大会もそうだったように、食らいついていくだけや。でも、野球はやってみなわからんよ」

 そういえば、思い出した。

「力の絶対値だけで勝負が決まるんなら、スピードガンコンテストとホームラン競争で勝負すればええ。でも野球は、それだけじゃないからね」

 というのも馬淵語録のひとつだった。

 明徳と智弁の甲子園での対戦は過去2回。明徳が優勝した02年の夏、決勝で当たったのが智弁和歌山だったし、14年のセンバツでは、引き分け再試合寸前の延長15回、明徳が3対2とサヨナラ勝ちしている。つまり、馬淵監督と高嶋仁・智弁和歌山前監督との対戦成績は馬淵の2勝なのだ。気心の知れた2人。そういえば、14年センバツで勝ったあとの馬淵監督の談話も秀逸だった。

「高嶋はん、スクイズしてすんまへん」

 智弁が1点を勝ち越した延長12回の裏、執念のスクイズで明徳が追いついたことをさしてのものだが、2人の丁々発止の駆け引きが垣間見られておもしろい。果たして、中谷仁監督率いる智弁和歌山との、甲子園初対戦は……。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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