日本人のあなたが外国人として逮捕される日。
日本出国の窓口は一緒くたになっているが、入国審査のゲートは大きく二種類ある。一つは「日本人」、もう一つは「外国人」である。余談ながら外国人の英語表記は今では「foreigner」になっているが私が日本に初上陸した頃は、「alien」となっていたことを懐かしく思い出す。
10年ほど前から日本国籍である筆者が持っているたった一つだけのえんじ色パスポートの表紙には、美しい菊の紋章がしっかりデザインされている。2週間ほど前に海外から日本に戻って来たのだが、国籍の正しい自覚はあるため入国審査の段階では当然「日本人」カウンターを目掛けて進む。しかし、私の行動を憚る男性が現れた。入国管理局の職員であると思われる。進もうとも、ずっと何回も「貴方は違う」と繰り返す。避けて通ろうとしても、追っかけてくる。最後には目の前に立ちはだかり私を押さえ込んだ。
一連の流れ、みなさんはここで何が起きているか想像できますか?これは、私の肌の色で判断して国籍は日本人のはずがないと決め付けて私を外国人の枠に引っ張り込もうとしているのである。これは、今年の8月7日付けの日本の玄関口成田空港での話である。私のような日本人はいないはずと決め付けているのは、何も無知なド素人ではない、知識豊富で日本国家のエリートのはずの法務省職員である。私ごときの場合は、このような経験も前向きに考えれば、人前で喋ったり書いたりとネタにもなるので歓迎しても良いが、このような事が、誰彼かまわずに日本の彼方此方で起きているとしたら、私達は一度立ち止まって考える必要がある。
空港での出来事から一週間も経たぬ内に、同じようなことがこの社会において珍しく無いということが伝わってきた。13日、日本国籍を持った日本在住の20歳の男性が、出入国管理法違反、つまり旅券不携帯容疑の罪で茨城県警牛久署に誤認逮捕されたのである。警察側の言い訳によると、
13日午後、JR常磐線ひたち野うしく駅近くのマンションの管理人から「不審な外国人がいる」と駅前の交番に通報があった。駆けつけた署員が男性から事情を聴き、外国人なのに旅券を常に持ち歩いていないと判断し、同日午後5時10分ごろに現行犯逮捕した。 (8月14日産経新聞・朝刊)
何の罪も犯していない20歳の青年を、昼ごろから警察に連行し(警察発表では任意同行となっているが…)、5時過ぎに逮捕した。逮捕から約7時間後に釈放したのだから実際には総拘束時間は10時間超えている可能性も考えられる。ちなみに誤認逮捕の被害者の男性は日本国籍の父とフィリピン国籍の母の間に生まれ、国籍法上22歳までにどちらかの国籍を選択できるようになっており、逮捕された時点では実際には二重国籍である。
今回の事件から何が見えてくるのか?
(1)事件の発端となった、電話連絡してきたという「通報人」と警察双方で一致した「不審な外国人」の「定義」についてまず問い、整理する必要がある。一人の青年が、一般市民によって不審者と決め付けられ、警察がそれに輪をかけて対処した今回の件は「日本の多数派と権力が一緒になって少数者虐めをした」と指摘されても言い訳はできない。
(2)今回の警察の失態の原因は、他ならぬ本人たちの「無知」と凝り固まった「思い込み」に基づいた終始にわたる言動にあったことが明確である。被害者は、警察に「どこの国の人?」と日本語で質問され、「フィリピンと日本の二重国籍」であると伝えている。そこで警察は入国管理局にフィリピン旅券での出入記録の有無を問い合わせており、記録が無かったため逮捕したとなっている。フィリピン旅券での入国の記録が無かったのならば、誤認逮捕された被害者の「日本人」としての出入記録をなぜ問い合わせをしなかったかという事も、警察の犯した大きな過ちではないか。あくまでも「外国人」と決め付けた偏った捜査に執着するあまり、現場では逮捕された被害者の声に耳を傾けるという最低限の人権すら保障されてないことが明確である。
(3)早急に改善に取り組む必要性のある課題も見えてくる。誤認逮捕された被害者は、自分から「国籍は日本とフィリピン」であることや「友達に会いに駅前に来た」などと警察に伝え、伝わっているはずにも関わらず、警察の言い分だと、逮捕後に通訳を通して初めて日本人であることを知るようになったと言っている点、ここでも警察の決め付けた言動の怖さが改めて感じると同時に、逮捕する前になぜ通訳を活用しないのかという制度的な大問題を指摘できる。
(4)合わせて今回の件に関してメディア側にも問題がある。ここで伝わってくるのは一方的に警察の言い分のみであって、被害者の声が不在である。日本社会が犯した過ちの改善と再発防止を本気で考えているのであれば被害者青年の言葉こそ最も参考になるだろう。なぜ日本のメディアがその点を疎かにしているのか、自問自答する必要があろう。
このような誤認逮捕は昨日今日はじまったものではない。実はもっと酷いケースもある。2006年02月25日、埼玉でも誤認逮捕があった。逮捕されたのは、女性で容疑は今回と同じく旅券不携帯であった。
午後7時40分ごろ、川口市内の路上を歩いていた女性にパトロール中の署員3人が職務質問。署員は女性の容姿が東南アジア出身者に似ており、名前や国籍を尋ねたところ、小さな声で「日本人です」と言ったきり何も話さなくなったため、署に任意同行した。女性は署でも日本語の質問に対し無言を通したため、同署は「外国人」と判断。パスポートの不所持を確かめて同容疑で逮捕した。
女性は逮捕後に家族の名前を紙に書き、母親に確認すると娘と分かって誤認逮捕が判明した。母親は「娘は知らない人とは話をしない性格」と話していたという。 (毎日新聞2006年2月28日)
つまり、日本社会において、日本人であっても外国人として逮捕される可能性は充分にあると理解する必要がある。「誤認逮捕に至り、おわびする。再発防止に努める」と警察責任者は謝っているが、一般の人は謝っても許されないことでも、人を深く傷つけようとも、権力のある側が行ったことならば、謝罪だけで済む話なのだろうか。一つははっきり予言できる。このまま放っておけば今後このような問題が多発するということである。
公僕をする任務を担っているといえ、権力を持たされている人間にこそ正しい知識を伝え、人権教育を施す必要がある。日本の公務員、筆者の個人的な経験からだと、特に「入国管理局員」および「警察」に対して行っている「犯罪者予備軍扱いとしての外国人」という偏った視野の狭い教育を正し、国際感覚を伴った視野の広い教育を行う必要がある。
最後になるが、「日本人」であってもあなどってはならない。あなたは日本人であってもいつの日か「外国人」と決め付けられ逮捕される可能性は充分にあるということを心に留めておく必要がある。合わせて是非、日本の社会において常日頃「外国人」というだけで心身とも窮屈な思いをしている者もいるということに思いを馳せて頂きたい。
※ 参考資料として筆者が書いた下記の記事も合わせて読んでいただきたい。
■日本に必要なのは、「割り算ではなく、掛け算の発想である。」
■阪神・淡路大震災から日本が得たもの〜「ボランティア」と「多文化共生」の誕生日としての1.17
■「オレオレ詐欺」の次は「オレガイコクジン」-「外国人」を悪用する「不良日本人」