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誰もがTOKIOの山口達也さんにはなれないー親子断絶防止法案の問題点(3)

千田有紀武蔵大学社会学部教授(社会学)
(写真:アフロ)

今週の女性週刊誌が、TOKIOの山口達也さんの暮らしぶりを伝えています。ご存知かもしれませんが、山口さんは今年の8月に離婚をしました。離婚の準備が始まってからは、すでに3年が経過しているということです。なんと3億5千万円と推定される都内一等地の豪邸を妻子に譲り、自分はそこから歩いて数分の家賃19万円ほどの1DKの単身者に暮らしているそうです。専業主婦だった妻には蓄えもないことを前提に、生活とをいろいろな意味で援助していくというのです。近くに住むことで、子どもたちをサポートすることも可能になります。結婚生活が離婚という結果に終わっても、その後もずっと妻子をサポートしていく。こういった関係は、とても素敵に見えます。子どもたちは熱を出すこともあるでしょう。ひとりで対応できないことも、起こるでしょう。そういうときに、事情を知り、子どもにも愛情をもってくれているひとが近くにいてくれることは、本当にありがたいことです。少なくとも、コミュニケーションが離婚後もとれる関係であれば、多くのひとにとって、理想的な結婚後の生活じゃないでしょうか。

親子断絶防止法が、国会に提出されようとしています。離婚後、子どもの面倒をみている親に、別れた親に子どもを会わせることを義務付ける法律です。また共同親権を導入し、子どもの居場所を別れた親にも知らせることにもするようです。

山口さんのような関係を実現することは、とても素敵に思えます。しかしすべての人間が、山口さんたちのようにはなれません。法律というのはすべてのひとに適用されることを前提としてつくりますから、「関係がうまくいっていない家族にとって、法律ができたらどうなるか」をいうことを念頭において、考えなければなりません。善意からつくったとしても、「意図せざる結果」が起こることもあるのです。

この法律ができたら、子どもを連れて逃げることができなくなるにもかかわらず、子どもの虐待やパートナーに対するDVに対して「配慮する」というだけで、具体的に何をするのかがまったくあきらかになっていません。民法の一部改正が行われてからは、裁判所はパートナーへのDVがあるため近寄ってはいけないという「接近禁止」が出ている状態でも、子どもが嫌がり恐怖を覚えている場合でも、とにかく会わせるようにという審判がでている現状を考えれば、DV被害者を支援するひとたちを含め、多くのひとが危惧を覚えてるのは、理由のないことではありません*1。

面会交流の実現が難しいものに、非監護親である父親の婚姻中のDV・モラハラ(モラルハラスメント=精神的DV)のケースがあります。DVやモラハラによる離婚のケースは、父親側が離婚後もモラハラの一環として、親権者変更や面会交流を求めて調停や審判、訴訟を連発するといった「裁判所を利用したモラハラ」を押し進めて来ることもあります。

婚姻中には妻子に目もくれず、妻に暴言を吐き、自分の好きなことだけをやっていたような父親が離婚となった時に逆ギレのように攻撃してくることがあり、このケースでは母親も完全に面会交流の拒否を行いますし、さらに家裁でも高裁でも面交を認めないこともあるために、さらに逆上して訴訟を連発するという悪循環に至る場合もあるのです。

こういったモラハラ系の父親は自分が精神的DVをしていたという自覚がなかったり、その行為をDVと認めないことも多いです。そのために、いつまでも関係性を変えることができずに、双方が対立したままとなります。まずは自分がしていたことが良くないことであったということを認め、今後の関係性を変えなければ、母親側も面会交流などは認めないでしょう。そのことを子どもに説明してしまえば、子どもも父親に会いたいとは言えなくなってしまいます。

こういった対立にある親たちの間に立つのが、「子どもたち」です。

DVの被害に遭っても、何が何でも面会交流が必要だとは言いませんし、押し付けもしません。実際に、面会交流を口実に子どもに嘘を吹き込むケースや、現在の生活を根掘り葉掘り聞き出そうとするケースや、元妻に嫌がらせをしたいがために面会交流を強行に求めるケースや、現住所を知りたいがために子どもを利用するケースなど、非常に困ったケースもあるのが現実ですから、簡単には成立できない夫婦もいるでしょう。

まずはそこまでのケースでなければ、面会交流を始めてみて、そこから考えていくという方法もあります。

アメリカでは、子どもに対する社会権としての「子どもの権利」というものが認められておらず、面交は子供の権利ではなく、「非監護親の権利」と考えられています(アメリカとソマリアは「子どもの権利条約」に批准していない世界でたった2つの国です)。欧米ではDVの夫にも面交させなくてはならないという考え方までありますが、さすがに日本では難しいでしょう。

出典:面会交流と夫によるDV・モラハラ問題

上の文章は面会交流をサポートし促進するための機関、面会交流支援室「ぐっどペアレンツ・いわて」からとってきました*2。面会交流がなぜうまくいかないのか、現場を知っているひとたちの言葉ですので重みがあります(ちなみに「まずはそこまでのケースでなければ、面会交流を始めてみて、そこから考えていくという方法もあります」という部分に、私は賛成してはいません)。

「『別れたDV夫に子どもを会わせたくない…』親権を持つママの苦しみ」という記事では、「俺が稼いでいるんだ!」「おまえが男ならボコボコにしてる!」「子どもはおれが見る。おまえは精神病院に一生入っていろ!」などと暴言を吐く、元夫の精神的DVに耐える日々を送った木村百合さん(仮名・40歳)のケースが紹介されています。弁護士のアドバイスで別居をすると、即座に夫の側から離婚調停を申し立てられてしまい、離婚後は月に1~2回、元夫と子どもを会わせることになりました。

「元夫は、離婚成立後にむき出しの包丁や割れた食器、切り刻まれた家族写真などが入った荷物を送りつけてきたような人です。調停で私が出すことに決まった離婚届を勝手に届けてしまうなど、身勝手なところも結婚していた頃のまま。とても夫と直接、話したり、顔を合わせるなんてできませんでした」という相手との面会交流は察してあまりあります。面会交流によって、夫は結婚していた時から浮気していたこと、また、新しいパートナーを子どもにママと呼ばせていることも知ります。パートナーと夫は、子どもの行事にも現れます。元夫と面会交流の内容に不信感を持ち、第三者機関や元夫と百合さんを担当するカウンセラーに訴えても、「子どもの面会交流が何より大切」と、百合さんの気持ちは後回しにされてしまい、「『子どもふたりを見るにはパートナーの援助が必要』という元夫の事情も理解すべき」と諭されしまう始末。

よくある話ではありますが、重要なのは以下の言葉です。

「私にとって面会交流は、かたちを変えたDVの継続のようです。相変わらず元夫に振り回され、『子どもとの生活を奪われないか』といつも怯えています。*3

出典:「別れたDV夫に子どもを会わせたくない…」親権を持つママの苦しみ

面会交流が、実際に子育てをしている親にどのような影響があるのかを考えていく必要があります。もちろんDVの申し立てに、一部のひとが主張するように虚偽のものもあるでしょう。実際に面会交流を拒否するにはそれしか手段がないのですから。その事実は否定しません。しかし先に出てきたように、自覚のないDVの場合は、なかなか事情が困難だと感じます。「自分の給料を全部使って何が悪い」と本気で思っているひとに、それは経済的DVにあたるといわれてもなかなか理解はされません。「おまえが男ならボコボコにしてる!」という正直な気持ちを言っただけで、相手が勝手に怒ってDVだとかモラハラだとか「いいがかり」をつけてくると本気で考えている相手を、説得するのは困難です。悪意があるならまだ、気がつけるかもしれません。しかしそうでない場合、そのひとの考え方、存在そのものから否定することにしか、なりません。また気がついたとしても、そう簡単に「治る」のであったら、加害者も苦しみません。そうでないからこそ、皆が大変な思いをしているのです。他の人間関係と同様、親子だって距離を取ることが必要なときはあるのではないでしょうか。

アメリカの共同親権は、父親(男性)運動としてカリフォルニアで始まりました。しかし当初は想定されてはいなかったDVへの対応を余儀なくされ、DVを規定にいれた法改正がなされています。ついでにいえば、子どもの連れ去りにかんするハーグ条約も当初は、DV加害者親の連れ去りのほうを想定されていたのです。むしろモデルとしている共同親権のほうが、見直しをされる時期に来ているとすらいえるのではないのでしょうか。家族の教科書にはよく書かれている、「面会交流や共同親権は、子どもの権利ではなく親の権利なのだ」ということは、研究を始めたころにはわかりませんでしたが、今は痛感しています。

この法案について語られ始めるようになってから、離婚を経験しても両親と会っていないことで子どもの健全な育成に阻害されるという根拠のない考えに、多くの離婚家庭の子どもたちが傷ついていることを、私たちは理解するべきだと思います。むしろ会いたくないという意思を無視して、無理やり葛藤のある夫婦関係に投げ込まれる子どもたちは、傷ついています。いくら子どもでもその意思を尊重してあげるべきではないでしょうか。また面会交流をしていながら、養育費を払われていない子どものシニカルな視線は、想像以上のものがあります。口では「愛している」といっているのに、身銭を切るという行動ではそれを否定しているのですから、当然と言えば当然ですが。

この記事を書いてから、月に1回や2回、週末に会うだけで満足できると思うのかという意見をもらいます(別に私が主張している基準でもないのに私に聞かれても困りますが。SNSで一方的に執拗に意見をぶつけられるのですが、元パートナーの方に同じようなことをしていないか、ちょっと心配になってしまいます…)。子どもの養育にあたっていなければ想像がつかないかもしれませんが、養育している親からすれば月に1回の面会でも大きな負担です。多くの場合、親は週に5日は働いているでしょう。子どもも週に5日、下手をしたら6日、学校に通っています。週末は休息をとりたいところですが、せめてものおけいこ事でスイミングに行ったり、平日には行けなかった病院に通ったり、学校公開行事にいったり、運動会、学芸会、学童の会合、地区の清掃、PTAの会議、地域の行事の手伝いなどなど、いろいろな用事が詰まっています。子どもも、宿題をしたり、上履きを洗ったり、友達と遊んだり、お祭りに参加したり、多くの用事があります。親御さんもひょっとしたら休日出勤もあるかもしれません。そのうえで、週末の1回でも、面会交流の調整、送り迎えを含めて、じゅうぶんな負担なのです。そこを理解してあげるべきではないでしょうか。子育てにあたっていない自分の感覚―たかが月1じゃないかと、仕事と子育てで忙殺されている子育て親の感覚は、全然違うということに対する配慮が必要なのではないでしょうか。

また葛藤の高い夫婦の場合、面会交流を支援する機関を使わざるを得ません。これは首都圏に集中しており、地方にはそもそもあまりありません。このような状態のまま、この法案が通ってしまえば、どういう状態になるか、考えるだけでも恐ろしいです。またさらに、費用の問題もあります。例えば代表的なFPIC(公益社団法人 家庭問題情報センター)の費用は、付き添い型で15000円から25000円、連絡調整などだけの受け渡し型で10000円から15000円です。これが母子家庭にどれだけの負担か、考えて欲しいと思います。原則折半のため、じゅうぶんな収入があっても、母子家庭に支払いを要求する父親だっているのです。まずはこういった機関を充実させ、誰にでも利用できるようにして面会交流を促進できるように地方自治体に命じることこそが、国の役割ではないでしょうか。国家が面会交流を父母に命じるのは筋違いです。

山口さんたちの関係は、単独親権で、面会交流を義務付けていなくても、可能になっています。有意義な面会交流ができるようなサポートを、国には望みたいと思います。

これは2016年10月26日「子どもの立場に立って、離婚後の親子関係を考える」院内集会での発言をもとに、構成した記事です。

親子断絶防止法案の問題点―夫婦の破たんは何を意味するのか

離婚した親に求められる覚悟―親子断絶防止法の問題点(2)

*1)その実態については、可児康則さんの「面会交流に関する家裁事務の批判的考察―『司法が関与する面会交流の実情に関する調査』を踏まえて」『判例時報』2299号13-27頁(2016年9月)で読むことができる。

*2)いっさい改変は加えていないものの、必要な部分だけ引用してきたため、ぜひ原文をお読みください。

*3)記事では、「『元夫は子どもを取ろうとしているのではないか』との不安が募りました。日本は単独親権制度ですから、離婚した場合、どうしても子どもを『取る』『取られる』という発想になりがちです」という百合さんの言葉が紹介されていますが、共同親権になれば、合法的に夫も住む場所からなにから、子どもに口をだす「権利」を正式に持ちますから、百合さんの苦悩はもっと深くなったはずです。

*4)共同親権もDVによって改正をよぎなくされたことなどは、親子断絶防止法全国連絡会などが理論的支柱にしている「片親疎外」などの概念を論じる棚瀬一代さんの『離婚で壊れる子どもたち 心理臨床家からの警告』(光文社2010年)等の本にも詳しく掲載されている。

武蔵大学社会学部教授(社会学)

1968年生まれ。東京大学文学部社会学科卒業。東京外国語大学外国語学部准教授、コロンビア大学の客員研究員などを経て、 武蔵大学社会学部教授。専門は現代社会学。家族、ジェンダー、セクシュアリティ、格差、サブカルチャーなど対象は多岐にわたる。著作は『日本型近代家族―どこから来てどこへ行くのか』、『女性学/男性学』、共著に『ジェンダー論をつかむ』など多数。

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