「ゆとり世代」を「ダメ世代」と断定したに等しい文科省
やはり、文部科学省(文科省)は「ゆとり教育」について最大の「誤解者」でしかなかったようだ。
5月10日に馳浩文科相は、「ゆとり教育との決別を明確にしておきたい」と語った。そして、2020年度から始まる小中高校などの新学習指導要領で「学ぶ知識の量」を減らさないことを確認する文書を発表した。
1998年の指導要領で文科省は、教える知識量を減らす「ゆとり教育」へと舵を切った。知識の詰め込みになっている状況を改善し、子どもたちが自ら学び、それを自らの力にしていく教育に改めることが狙いだった。
しかし、教科書が薄くなるなど教える知識量が減ったことだけが注目され、批判が起きた。これに慌てた文科省は、手のひらを返して「ゆとり教育」を否定する方向へ再び舵を切った。
本来の目的だった、子どもたちが自ら学び、力にしていく「ゆとり教育」が実践されていれば、「学力批判」など起きなかったはずである。にもかかわらず批判が大きくなったのは、本来の目的を文科省が周知させることができず、そのため学校現場で本来の「ゆとり教育」が実践されたなかったためである。
残されたのは、「ゆとり教育で知識量の少ない子どもを育てた」という誤った認識だけだった。そして文科省は、詰め込む知識量だけを増やして、手っ取り早く教育の成果がでているようにみせかける方向をとったのだ。
おかげで、「ゆとり教育」で育った子どもたちは「知識量の劣る世代」、「役に立たない世代」といわれる風潮ができあがっている。「詰め込む知識量」だけを基準にした誤った判断でしかない。
今回の文科省の発表は「詰め込む知識量」でしか学力を判断しない、薄っぺらい教育観を露わにしたにすぎない。そして、自ら方針を決めながら、「ゆとり教育」の本質をまったく理解していないことを認めたことになる。
なにより文科省の姿勢は、「ゆとり世代」を「ダメ世代」と断定したに等しい。自らの責任と努力不足を棚に上げておいて、「ダメ世代」としてかたづけてしまおうとする態度は、まったく理解できない。