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賃上げムードに流されるな

前屋毅フリージャーナリスト

■賃上げを期待してはいけない

経済界の代表者たちが「賃上げ」に前向きだという報道だ。ムードづくり先行、という気がしてならない。

今月17日に安倍晋三首相が政労使会議の席で賃上げ要請したのに対し、日立製作所の川村隆会長が会合後の記者会見でベースアップ(ベア)について「一つの選択肢」と述べた。その会見でトヨタ自動車の豊田章男社長も、「労組から依頼が来ると思うので、そのとき考えてみたい」と語ったという。

この発言をとらえて、新聞各紙は「前向き」と報道しているのだ。『日本経済新聞』(10月17日付 電子版)は「両社は労使交渉で産業界のリード役となっており、年明けから本格化する企業の賃上げ交渉に影響を与えそうだ」と、煽るような書き方になっている。

しかし両氏の発言は、「否定もしないが、肯定もしない」という範囲にとどまるものでしかない。「前向き」とするには、ちょっと無理がある。

両氏の発言は、来年4月の消費増税にあわせた法人減税などの企業支援に悪影響をおよぼさないように、「あえて安倍首相に逆らわなかった」と受け取ったほうがいい。10月10日に米倉弘昌経団連会長が茂木敏充経済産業相に対し、改善した企業収益を「(従業員の)報酬引き上げにつなげたい」と発言したのと同じである。

このときも『日本経済新聞』(10月11日付 電子版)は、「経団連会長が労働組合の要求が本格化する前に賃上げに前向きな方針を示すのは異例だ」と賃上げに前向きな流れになったような書き方をしている。その一方で同記事は、「法人減税を打ち出した政府に配慮したためだが、賃上げは各企業の労使交渉で決まる」とも指摘しているのだ。

つまり新聞も、財界や大企業の大物たちの発言が「ムードづくり」でしかないことを承知のうえで書いている。その意味では、ムードづくりに加担していることになる。

そのムードに流されて、「賃上げになるのだから消費しよう」と考えるのは危険だ。否定も肯定もしていないのだから、日立製作所やトヨタ自動車、経団連加盟企業が賃上げに踏み切らなかったとしても、彼らが責任をとらされることはない。

泣きをみるのは、ムードに流されて消費に走ったものの当てにしていた賃上げがなくて生活が苦しくなる消費者といういことになりかねない。ムードで消費が拡大すれば、喜ぶのは安倍首相であり、企業だ。

■大事なのは利益の適切な還元

そもそも、いま、ベアについて政労使会議でとりあげること自体に違和感がある。日立製作所やトヨタ自動車がベアを廃止したのは2008年だが、先駆けとなったのは1997年の三井金属だった。

そのときの三井金属の説明は、「ベアではなく業績によって労働条件を決める」というものだった。つまり業績が良ければ賃金も上げるが、逆ならば減らす、というものだったのだ。

そうした考えがひろがり、ベアが廃止されていったはずである。しかし企業側は、いつのまにか利益がでても賃金として還元せずに内部留保にまわす傾向を強めていった。一部の従業員の賃上げをする一方で、一部の従業員の賃金は下げるという「格差」で労働コストの節約に懸命になっている。

収益を従業員へ適切に還元するということを企業は真剣に考えてこなかったし、そこへの問題意識も薄れていった。いま問題にしなければならないのは、そこである。政治と経済界のトップだけでベア復活だ、賃上げだと騒いでいるのは本質的な議論ではなく、ただのムードづくりでしかない。そこに踊らされないで、もっと根源的なところに目を向ける必要があるはずだ。

フリージャーナリスト

1954年、鹿児島県生まれ。法政大学卒業。立花隆氏、田原総一朗氏の取材スタッフ、『週刊ポスト』記者を経てフリーに。2021年5月24日発売『教師をやめる』(学事出版)。ほかに『疑問だらけの幼保無償化』(扶桑社新書)、『学校の面白いを歩いてみた。』(エッセンシャル出版社)、『教育現場の7大問題』(kkベストセラーズ)、『ほんとうの教育をとりもどす』(共栄書房)、『ブラック化する学校』(青春新書)、『学校が学習塾にのみこまれる日』『シェア神話の崩壊』『全証言 東芝クレーマー事件』『日本の小さな大企業』などがある。  ■連絡取次先:03-3263-0419(インサイドライン)

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