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サウジアラビアでラスト騎乗を迎える福永祐一騎手の現在の心境とは?

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
サウジアラビアでの福永祐一騎手

日本国内でのラストラン

 2月19日の東京競馬場で、国内最後の騎乗を終えた福永祐一騎手。この地で日本ダービー(GⅠ)を三度も制した名手のラストを目に焼き付けようと、府中には4万6千人を超えるファンが集まった。未だに尾を引く新型コロナ騒動の余波で、来場制限もかかる中、久しぶりに大勢のファンが詰めかけたのだ。

 ペリエールの手綱を取った第9レースのヒヤシンスSは、結果的に国内最後の勝利となる競馬。直線、敢然と抜け出すと、大きな拍手が彼を包み込んだ。

19日の東京競馬、ペリエ―ルで勝利して国内最後の口取りを行なった福永祐一騎手(右)
19日の東京競馬、ペリエ―ルで勝利して国内最後の口取りを行なった福永祐一騎手(右)

 「直線での大きな拍手は聞こえていました。応援してくれたファンの皆さんには感謝しかありません」

 JRA史上歴代4位となる2636勝目を挙げたジョッキーは、そう言って当時の心境を振り返った。

 また、メインのフェブラリーSではオーヴェルニュに騎乗。残念ながら12着に敗れたが、最後まで大一番の依頼を受けた事に対しては、次のように語った。

 「継続して次も乗れるという立場ではないのに、大きなレースに乗せてもらえた事は本当にありがたいです」

 今の彼を知る人には信じられないかもしれないが、デビュー当初の何年かは、東京や中山といった関東圏のレースではなかなか騎乗馬が集まらなかった。悔しい思いは当然あったはずだが、そんな時も彼は次のように言っていた。

 「上手くないから仕方ないです」

 私は当時、今でいうエージェントのハシリのような形で、彼が関東圏で乗る時はお手伝いをさせていただいたのだが、他人の立場に立ってモノを考えられる彼が、当方を慮ってそのセリフを口にした事は想像に難くない。

デビュー後まだ数年の頃の福永(右)。中央は師匠の北橋修二元調教師
デビュー後まだ数年の頃の福永(右)。中央は師匠の北橋修二元調教師

やがてトップジョッキーに

 そんな天性の優しさにジョッキーとしての技術が伴った後の彼の活躍は皆さんご存知の通り。エイシンプレストンでの香港や、シーザリオとのアメリカンオークス制覇など、海外でもビッグレースを勝利し、リーディングジョッキーも掌中に収めた。今回のサウジアラビアで、外国人記者から“最も思い出に残っているレース”を問われた彼は「ジャスタウェイで勝ったドバイ(14年)」を挙げたが、実際には一つに絞るのは困難だった事だろう。そのくらい、彼の残した実績は枚挙に暇がない。

思い出のレースとして挙げた14年、ジャスタウェイで勝利したドバイデューティフリー(現ドバイターフ)
思い出のレースとして挙げた14年、ジャスタウェイで勝利したドバイデューティフリー(現ドバイターフ)

 全てのホースマンが目標とするダービーに関してもそれは同様。18年、ワグネリアンとのタッグで初めて日本ダービーを制すと、20、21年にはコントレイルとシャフリヤールで連覇し、先述した通り最終的にダービージョッキーの称号を三度も手にした。初めてダービーに騎乗した1998年、思いもしない形で逃げてしまい、馬群に沈むと顔面蒼白になった青年の面影はどこにも無くなった。

18年にはワグネリアンで日本ダービー(GⅠ)を制し、ついにダービージョッキーに
18年にはワグネリアンで日本ダービー(GⅠ)を制し、ついにダービージョッキーに

デットーリも「もったいない」

 当然、競馬界への貢献は表出する部分だけでなく、しない部分も含めて計り知れず、故に彼の騎手引退を悲しむ声は非常に大きい。冒頭に記した日本でのラストライドフィーバーも、そんな皆の気持ちが具現化されたモノだろう。

 そんな彼が日本での最後の騎乗を終えた翌20日には機上の人となり、現在は現役最後のレースを控え、サウジアラビアにいる。現地23日には同じく今年で引退するL・デットーリや、近いうちでのリタイアを口にしたJ・モレイラと顔を合わせ、今週末が最後の騎乗である事を伝えると、デットーリは次のように言った。

 「リタイアするのは聞いたけど、トレーナーになるのは知らなかった。彼はまだ若いのにもったいないね。最後に一緒に乗れるのを誇りに思うよ」

サウジアラビアでデットーリ(左)とモレイラ(右)と。
サウジアラビアでデットーリ(左)とモレイラ(右)と。

中東でのラストライドについて……

 改めて最後の騎乗がサウジアラビアとなった事を問うと、福永は言った。

 「最後の週に依頼されたのがたまたまサウジアラビアという事で、自分としてはたとえどこでもジョッキーとしての仕事を全うするまで、です」

 日本から遠く離れた中東でのラストランとなっては、その姿を目に焼き付けたくても出来ないファンや関係者が多くいるのは火を見るよりも明らかであり、残念がっているのは本人よりも周囲の人達なのかもしれない。

 3月4日には阪神競馬場で引退セレモニーが行われるとの事だが、競馬場に呼ぶのなら一週くらい、いや、せめて一日でも特例で騎乗を認めるくらいは出来なかったのだろうか。もし、そうしたとしても誰も文句を言わないだろうし、JRAも「むしろ英断」と株を上げる事が出来ただろう。福永祐一の貢献度を考慮すると、そのくらいしていただきたかった。こうなった以上は、中東で、最後まで怪我なく無事にジョッキーライフを終えていただきたいと願うばかりだが、そんな事を思ったのは私だけではないはずだ。

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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