生物学の歴史を紡いだ東大臨海実験所の旧館、解体へ
青春が消える…
ついにその日がくる…私たちはそのニュースを衝撃とともに受け止めた。
5月1日、東京大学三崎臨海実験所にある旧本館(日本海洋生物百周年記念館)と水族・標本棟が解体されるというニュースが明らかになったのだ。
ああ、我が青春が消える…
大学の同級生たちはそんな言葉をSNSに書き込んだ。なぜなら、私たち東京大学理学部生物学科動物学専攻の卒業生は、東大のどの学科より臨海実験所に実習に行き、旧本館に慣れ親しんだからだ。実習にとどまらず、この実験所で研究した者もいる。
かくいう私も、卒業研究をこの実験所で行った。研究自体は別の建物で行ったが、旧本館の横にある大正時代からあると言われていた建物(通称グリーンハウス)に寝泊まりし、旧本館の前を通って研究室に通っていた。実験がうまくいかずうなだれた私を、この古い建物は何もいわず受け止めてくれた。
青春が消えるのは私たちばかりではない。日本の近代生物学の黎明期を支えた臨海実験所の象徴的な建物がなくなるのだ。日本の生物学の青春が消えると言っても過言ではない。
生物学の歴史を紡ぐ
以下三崎臨海実験所の歴史から、簡単に旧本館と水族・標本館の歴史を振り返ってみたい。
水棲生物が豊富な三浦半島に臨海実験所が作られたのは1886年(明治19年)。海に臨んだ研究施設としては世界最古とされる。1897年(明治30年)に戦国時代に滅んだ三浦氏の居城跡である現在の地に移転。亡霊が出るといわれ人が寄り付かなかった場所だという(私は亡霊に遭ったことはないが)。以来臨海実験所でさまざまな生物学的研究が行われた。世界各国の研究者も訪れるなど、広く知られた研究所となった。
関東大震災で実験所一帯は壊滅的な被害を受けたが、1932年(昭和7年)に水族館が建設され、追って1936年(昭和11年)に旧本館が完成した。しかし、戦禍が実験所を覆う。1945年に実験所は軍に接収され、敗戦後は米軍に接収された。
接収に際し、東大動物学の講師だった團勝磨が書き残した、旧本館は科学施設であり壊さないでほしいというメッセージ(The last one to go)は、生物学史に刻まれている。
近隣に油壺マリンパークができたこともあり、1970年(昭和45年)に水族館は閉鎖された。
1993年(平成5年)に新しい研究棟ができたのち、旧本館および水族館(水族・標本室として改修)は広く実習の場として利用されてきた。東大関係者だけでなく、全国の学生がここで実習を行ってきたのだ
しかし、2016年(平成28年)、旧本館は立ち入りが禁止された。
思い出だけでは食えないが…
YOMIURI ONLINEの記事によれば、2つの建物は耐震工事や保存が不可能と判断されたとのことで、数年以内に解体されるという。
個人的な気持ちを言えば、歴史的建築物の解体はとても残念に思うし、残して欲しいと思う。しかし、こうした建物を保存するのにはお金がかかる。思い出だけでもは食えないのも現実だ。合理的に考えれば、保存にかかる資金を新しい建物に投入したほうが、お金を有効に使えるのは間違いない。技術的に不可能ならば諦めるしかない。海沿いの建物が劣化が激しいのは理解できるし、地震が多いこの国では、耐震性の問題は大きい。建築の専門家でない私のような者が口出しすべき問題ではないのかもしれない。
神戸にある甲南病院でも、歴史的な病棟が取り壊されるという。
歴史的建造物の保存は簡単ではないという。
しかし、歴史がない建物ばかりでは味気がない。建物の外観を残す方法もあるようだ。
知人の中には、建物が保存されるなら寄付をしたいという者もいる。もちろん私も同じ気持ちだ。
どのような結論になるにせよ、東大は付近の住民、行政、そしてこの実験所を愛する人たちと十分議論した上で建物の行く末を決めて欲しい。