乳がんステージIVと闘う亜利弥’が引退試合「胸いっぱい、最高です」
出場した全レスラーが主役の大会
乳がんステージIVと闘う女子プロレスラー亜利弥'(ありや)の引退興行が4月7日、東京・新宿フェイスで開催された。
全6試合に参戦したプロレスラーは、亜利弥'にゆかりのある26名。大ベテランが貫録を見せれば、飛び技の名手はリングを異次元空間に変えた。筋骨隆々のレスラー同士のぶつかり合いに観客はどよめき、わずか10秒ほどの登場ながらしっかり笑いを取った選手にも大きな拍手が起こった。
以前、亜利弥’はこんなことを言っていた。
「プロになりたての頃、トーナメントで優勝して新人王になったんですが、そのとき思ったんです。『私はトップじゃないほうがいいな』と。トップの子と共闘したりしながら、支えてあげるのが私なんじゃないかと」
時おり、リングサイドでセコンドとして見守る亜利弥’の前で、レスラーたちはそれぞれの個性を存分に発揮した。登場したレスラー全員が、この日の主役だった。
「死んでもいい」では絶対にいけない
メインイベントは、14名参加の「バトルロイヤル」だった。1分ごとに選手が次々とリングに上がり、フォールを奪われたりリングの外に落とされたりしたら退場。最後に残った一人が勝者となる変則ルールだ。
亜利弥’は、しょっぱなの一番目に登場した。
「かっこいいことを言ったら、『死んでもいい』という覚悟だったんですけれども、そういう事故は絶対に起こしちゃいけないと思って、本当に気持ちを強く持って、一発の受け身に集中して、怪我だけはしないようにと思って試合にのぞみました」
試合後そう語ったように、相手の手荒い技を熟練の受け身で耐え続けた亜利弥’は、仲間たちの援護を受けて最後の相手からフォール勝ちを奪った。「途中でスタミナも気力も切れてしまって、もうダメだと思ったけど、仲間が全員励ましてくれたので、立っていられました」
ジャガー横田ファミリーからのメッセージ
試合後の引退セレモニーでは、男女の別なく先輩、後輩レスラーたちの花束贈呈の列が続いた。治療費の足しになればと金一封を手渡す姿も少なくなかった。
列の最後は、入門時代に厳しい指導を受けたプロレスの師匠、ジャガー横田と木下博勝医師夫妻、そして息子の大維志(たいし)くんだった。
リング上でマイクを持った木下医師は、受け身を何度も取った亜利弥’の体を気づかった後、「心から」という言葉が似合う口調で語りかけた。
「亜利弥’がいてくれたから、僕はジャガー横田と結婚できました。大維志(たいし)も生まれました」
すると、父からマイクを受け取った10歳の大維志くんが続けて言った。
「僕からも一言。ベビーシッターしてくれてありがとうございました」
総合格闘技戦に出場した亜利弥’が、「この二人ならいいカップルになるかもしれない」という予感とともに、リングドクターの木下医師と亜利弥’の応援で来場したジャガーを引き合わせたのは2002年のことだ。2年後に結婚した二人の間に2006年、大維志くんが誕生。亜利弥’は生後2週間目から約1年間、大維志くんのベビーシッター役を引き受けていたという。
愛息からマイクを引き継いだジャガーが、愛弟子に最後のメッセージを贈った。
「亜利弥’、21年間プロレスとボクシングと本当に頑張ってきました。私はそばでずーっと頑張りを見ていました。性格的には格闘技に向いていないので、格闘技では頂点の頂点には立っていないけれど、あなたの頑張りはみんなの勇気になったし、今が本当にすごく逞(たくま)しい気がする。強いし。病気にも勝ってるんだもん。これからは第二の人生、また持ち前のガッツで、病気に絶対に打ち勝ってください」
「孤独」とは無縁のファイナルリング
「亜利弥’」というリングネームは、本名の「(小山)亜矢」の間にジャガー横田の本名「(横田)利美」の一文字を入れるというアイデアがベースになっている。「間に私の一文字を入れたら、プロレスのセンスが上がるかもよ」という茶目っ気から、師匠のジャガーが考えてくれた。
名前の最後に「’」を加えたのも理由がある。
「私は団体行動が苦手で、いつも一人で行動したい。だから、あえて『成功はするけど孤独になる』という画数にしたんです」
21年間のプロレスラー生活を卒業した今、リングネームに託した願いの半分はかなえられなかったことになる。
引退興行を決断した日からずっと、友人や親しいレスラーたちがサポートしてくれた。試合オファーを快諾してくれた選手はもちろん、雑用だけのために手弁当で駆けつけた選手やスタッフもいる。出会いのきっかけを作ってくれた亜利弥’に感謝してやまないファミリーもいる。
「胸いっぱいで、もうリングに上がりたいとは思わない」というほど満たされたファイナルリングは、「孤独」どころか仲間の思いであふれていた。
木下医師が亜利弥’に贈ったメッセージの最後は、そんな仲間たちを含め、会場にいたおそらく全員の気持ちを代弁したものだった。
「亜利弥’、必ず来年の桜も一緒に見ようね」
第二の人生に向けての亜利弥’の奮闘も、周囲の応援やサポートも、ここからがスタートだ。