MVP投票の「1位票は最多」だったのに、MVPを受賞できなかった選手たち
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ナ・リーグとア・リーグのMVPは、1位票の数ではなく、1位から10位までの各順位票に割り当てられている、ポイントの合計によって決まる。
現在のような、1位票が14ポイント、2位票~10位票は9ポイント~1ポイントとなった1938年以降、最多あるいは最多タイの1位票を得ながら、ポイントで他の選手の後塵を拝し、MVPを受賞できなかった選手は、見落としがなければ、11人を数える。
![筆者作成](https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/t/iwiz-yn/rpr/unenatsuki/00324337/image-1668671273954.png?fill=1&fc=fff&fmt=jpeg&q=85&exp=10800)
直近の11人目は、5年前のジョーイ・ボトー(シンシナティ・レッズ)だ。1位票はジャンカルロ・スタントン(当時マイアミ・マーリンズ/現ニューヨーク・ヤンキース)と同数の10ながら、スタントンに2ポイント及ばず、MVPを逃した。
ホームランを比べると、スタントンの59本に対し、ボトーは36本なので、大きな差があるが、出塁率は、スタントンにボトーが大差をつけた。.376と.454だ。OPSも、1.007と1.032と僅差でボトーが上回った。パーク・ファクター(球場の特性)などを踏まえたOPS+は、169と167なので、わずかにスタントンが勝る。
得票とポイントの内訳は、スタントンが、1位票10=140ポイント、2位票10=90ポイント、3位票5=40ポイント、4位票3=21ポイント、5位票1=6ポイント、6位票1=5ポイント。ボトーは、1位票10=140ポイント、2位票9=81ポイント、3位票4=32ポイント、4位票5=35ポイント、5位票2=12ポイントだ。
2017年のボトーは2位だったが、なかには、MVPどころか、2位にもなれなかった選手もいる。1951年のアリー・レイノルズ、1952年のジョー・ブラック、1955年のアル・スミスは、いずれも最多タイの1位票を得たものの、順位は3位に終わった。
また、11人中7人は、野手ではなく投手だ。1944年のディジー・トラウトの場合、受賞したのも投手のハル・ニューハウザーだが、他の6人は、1位票が同数あるいは少ない野手にポイントで上回られた。1966年のサンディ・コーファックス、1969年のトム・シーバー、1999年のペドロ・マルティネスは、いずれもこの年にサイ・ヤング賞を受賞している。6人中3人ではない。1955年まで、サイ・ヤング賞はなかった。
なお、11人のうち、他の年にMVPを受賞したのは3人だ。ミッキー・マントルは1956~57年と1962年、コーファックスは1963年(サイ・ヤング賞と同年受賞)、ボトーは2010年に選出されている。
5年前のスタントンとボトーを含め、受賞者と2位が僅差の投票結果については、今月上旬にこちらで書いた。