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コロナ禍でも続々と誕生している「街のビール屋さん」 その先駆者が目指す世界とは

千葉哲幸フードサービスジャーナリスト
ブルワリーパブの先駆者である能村夏丘氏(筆者撮影)

コロナ禍となって活況を見せている飲食業の一つに「ブルワリーパブ」が挙げられる。ブルワリーパブとは、ブルワリー(ビール醸造施設)を持ったパブ(酒場)のことだ。

日本におけるクラフトビールは1994年4月の酒税法改正、いわゆる「地ビール解禁」によって製造が始まった。これには村おこし的な要素も加わり「地ビールブーム」が巻き起こった。その後一時期沈静化したが2000年代の後半から再び注目されるようになった。地ビールという名称は「クラフトビール」に取って代わった。

クラフトビール人気のポイントは大手メーカーのビールと比べると香りが立って個性がはっきりとして多種多様であること。そこで飲み比べが楽しい。コロナ禍の前に開催されていたビアフェスはどこも盛況で、集まる人々の多くは20代30代の男女であった。クラフトビールとは酔っ払うための飲み物ではなく嗜好品なのである。この愛好者はこれがある場所にやってきて、そこにはコミュニティができていく。――こういうことがクラフトビール人気についての筆者の認識だ。

現在活況を見せているブルワリーパブは、コロナ禍で中小企業の挑戦を支援する国の事業再構築補助金の制度が大きく後押ししている。当人もクラフトビール愛好者である飲食事業者が、自分でオリジナルのビールをつくりたいと思っていても設備投資には大層なお金がかかることで二の足を踏んでいた。これが新制度を活用することで夢が実現するということだ。

このようなブルワリーパブ事業を切り開いてきた人物の足跡をたどりながら、今新しい飲食ビジネスが生まれてきていることを紹介しよう。

「街のビール屋さん」発想で展開

その人物とは能村夏丘(のうむら・かきゅう)氏。肩書は株式会社SAKE-YA JAPANの取締役である。能村氏は2010年に株式会社麦酒企画を立ち上げ、ブルワリーパブやクラフトビールレストランを展開してきた。2018年1月に業務用酒販店の株式会社柴田屋酒店(本社/東京都中野区、代表/柴泰宏)の傘下となり、現在の社名に商号変更した。

能村氏が現在の仕事に携わるようになったきっかけは、2003年2月に広告代理店に入社して、大手ビールメーカーのセールスプロモーションを担当することになったこと。同社の業務用の拡販を発信し、寝ても覚めてもこのことを考えていた。

いつしか能村氏にとって、ビール醸造家となることが目標として定まっていった。この世界で起業しようと決意したときに、岡山でクオリティの高いブルワリーパブを営んでいる醸造家の永原敬(さとし)氏と巡り合った。能村氏は永原氏に弟子入りしてビール醸造や免許の取得の仕方をはじめブルワリーパブ運営にかかわる全てを学んだ。

そこで、麦酒企画を立ち上げ、2010年12月に1号店となる高円寺麦酒工房をオープン。18坪33席の店で、うち3坪をブルワリーに充てた。調理は夫人が担当しメニューレシピは永原氏から指導を受けた。

JR高円寺駅北口から徒歩で5~6分の場所にある「高円寺麦酒工房」は地元の人々から親しまれ、遠方からの来客も多い(筆者撮影)
JR高円寺駅北口から徒歩で5~6分の場所にある「高円寺麦酒工房」は地元の人々から親しまれ、遠方からの来客も多い(筆者撮影)

オープンしてにわかに客数が安定してきた。2011年に入り、日曜日には30万円を売り上げた。ビール製造量は2万ℓ、全量この店で使い切っていた。

この年の夏ごろから「自分も醸造家になりたいです」と、門を叩く若者たちが訪れるようになった。また、来店客の中には千葉や埼玉などからJRを1時間半ほど乗り継いでやってくる人もいた。

そこで能村氏がひらめいたことは「街のビール屋さん」ということ。「ビール目的でわざわざ来てくれるお客さんがいっぱいいるのだから、自分が住んでいる街に一軒、ふらりと立ち寄る『街のビール屋さん』があると楽しいのでは」と考えた。

「街のビール屋さん」発想は即実践に移していった。高円寺から隣町に広げていくことにし、2012年7月阿佐ヶ谷に出店、その後、荻窪、中野と展開した。

能村氏の元にやってくる醸造家希望者は、能村氏の元で技術を磨いて巣立っていき東京都内のブルワリーのリーダーとなっている。能村氏の「街のビール屋さん」発想は東京のクラフトビール文化をつくり上げた。

酒販店の傘下となり構想が広がる

麦酒企画が柴田屋酒店の傘下となり、SAKE-YAとしてリスタートした背景には柴田屋グループとしてのビジョンが存在する。これについて柴田屋酒店の取締役副社長であり株式会社SAKE-YA JAPAN代表取締役の柴健宏氏が解説してくれた。

柴田屋酒店は創業が1935(昭和10)年という歴史がある。2000年に入り現在の経営陣が引き継ぐことになり、「飲食業界を応援する」というスタンスを採るようになった。その一環で社会活動を手掛け、経営者の勉強会である「太陽の会」や接客担当者の技能コンテスト「S1サーバーグランプリ」を推進した。 

販売力の強みとして「専門性」に着眼しワインを強化、同時に取引のあるお客にソムリエ資格取得を推奨し、ソムリエ資格取得対策講座を運営。それが日本酒へ広がりジャパン・サケ・アソシエーション(JSA)という団体を立ち上げて資格制度もつくった。柴氏はこう語る。

「ワイン、日本酒に加えて醸造3品の一つであるビールもしっかりとやっていこうよと。自社でブルワリーをつくることで学びとなるということから、じゃあ誰に相談しようかと。それが麦酒企画の能村さんだった」

柴田屋酒店ではかねて高円寺麦酒工房をユニークな業態として着眼していた。そこで2017年に能村氏に相談して、柴田屋グループとしての構想を詰めていった。

「能村さんは『街のビール屋さん』という言葉を使う。街には『パン屋さん』とか『豆腐屋さん』があって、これと同じように『ビール屋さん』を展開していきたいと熱く語ってくれた。私たちはこれを一緒に手掛けることによって、私たちのモチベーションである『飲食業界を応援する』ことにつながると考えた」(柴氏)

こうして東京・新中野の本社1階の物販店を改装しブルワリーを開設、隣の酒販店&テイスティングバーや2階のレストランで出来立てのクラフトビールを飲めるようにした。

ブルワリーパブ開業・運営支援を推進

さて、コロナ禍でSAKE-YA JAPANとなりSAKE-YAブランドを立ち上げてから、同社ではクラフトビール事業を整えるようになった。

麦酒企画時代から展開しているビール工房業態は12~30坪で現在7店舗(1月末現在)となっている。一方の「SAKE-YA」はブルワリーパプと酒販店を合体したハイブリッド業態。酒販店で購入したワインや日本酒などは抜栓してブルワリーパブの中で飲むことができる。2020年11月に20坪の西荻店(東京都杉並区)をオープン。2021年4月に60坪の喜多見店(東京都狛江市)をオープンした。

小田急線喜多見駅のガード下にある「発酵ビストロ SAKE-YA KITAMI」。ブルワリーパプと酒販店のハイブリッド業態で地元客に親しまれている(筆者撮影)
小田急線喜多見駅のガード下にある「発酵ビストロ SAKE-YA KITAMI」。ブルワリーパプと酒販店のハイブリッド業態で地元客に親しまれている(筆者撮影)

ビール工房業態では直営店の店舗展開からブルワリーパブの開業と運営の支援へシフトしてきている。

ブルワリーパブの開業と運営に際して事業者が向き合うことになるポイントには、税務署との関係性、ブルワリーの設備関連、ブルワリーができてからは原材料の仕入れ、ビールの樽の洗浄といったことが挙げられる。

同社が行うブルワリーパブ支援とは、これらの流れに即している。まず、税務署に醸造免許申請するために必要となるさまざまな書類を準備し作成。ブルワリーのレイアウトやつくり込み。大きな袋に入った原材料を小分けにして届ける。ビール樽の洗浄。このように「ブルワリーパブ事業者がこの事業に専念できる環境を保つためのお手伝いを行っている」(柴氏)。開業を検討している事業者に向けて、開業に向けたセミナーを2ヶ月に1度開催している。これらの支援先は同社の既存店と同じ12~30坪の店を想定している。

この支援事業でブルワリーパブを運営している事例に東京・上野の「シノバズブルワリーひつじあいす」が挙げられる。同店はこのエリアにドミナント展開する長岡商事株式会社(本社/東京都台東区、代表/前川弘美)が2021年12月17日オープン。同社は先代が1963(昭和38)年に創業し、この地に「上野仲町通り 純喫茶プリンス」を出店したことにはじまる。1982年には4階建てのビルを設けて和食居酒屋を営業していた。今回のブルワリーパブはこのビルの中に出店した。いわば本店をブルワリーパブにつくり変えた。

昨年12月、上野仲通りにオープンした「シノバズブルワリーひつじあいす」。地元の人々からの後押しも手伝ってオープンした(筆者撮影)
昨年12月、上野仲通りにオープンした「シノバズブルワリーひつじあいす」。地元の人々からの後押しも手伝ってオープンした(筆者撮影)

本店である和食居酒屋をブルワリーパブに切り替えた理由について、同社の前川氏はこう語る。

「今回のコロナ禍で上野仲町通りが中心となるイベントをさまざま実践してきた。その一環でオリジナルクラフトビールもSAKE-YAさんにつくってもらった。これがきっかけとなり、街の人々も背中を押してくれてブルワリーパブを開業することができた」

このブルワリーパブも「街の人々からの応援」が大きなポイントである。能村氏が2010年に初めてブルワリーパブを開業した「街のビール屋さん」の思いは、クラフトビール事業を推進する中で脈々と受け継がれている。

地元に居て、ふらりと立ち寄って、クラフトビールを軽く飲むというのが「街のビール屋さん」の醍醐味(筆者撮影)
地元に居て、ふらりと立ち寄って、クラフトビールを軽く飲むというのが「街のビール屋さん」の醍醐味(筆者撮影)

フードサービスジャーナリスト

柴田書店『月刊食堂』、商業界『飲食店経営』とライバル誌それぞれの編集長を歴任。外食記者歴三十数年。フードサービス業の取材・執筆、講演、書籍編集などを行う。

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