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9.12 にマイク・タイソンとのエキジビジョンマッチを控えるロイ・ジョーンズ・ジュニアの素顔

林壮一ノンフィクションライター/ジェイ・ビー・シー(株)広報部所属
ミドル、スーパーミドル、ライトヘビー、そして03年3月1日にはヘビー級王座を獲得(写真:ロイター/アフロ)

 数週間前から注目を集めている<マイク・タイソン(54)のリング復帰>だが、9月12日開催が正式に決まった。8ラウンドのエキジビジョンマッチとはいえ、タイソンは本気で闘うつもりらしい。その対戦相手に選ばれたロイ・ジョーンズ・ジュニア(51)もまた、真剣にトレーニングを積んでいる。

プロモート会社「TRILLER」から配布されたオフィシャルポスター
プロモート会社「TRILLER」から配布されたオフィシャルポスター

 1999年7月17日、私はネバダ州の避暑地に建てられた高級ホテル「シーザス・タホ」のスイートルームで、ジョーンズをインタビューした。同じ年ということで、話が弾んだ。その時、彼は強過ぎて相手が見当たらない苦悩を語った。

 盗まれた勝利 幻の金メダリスト

 ロイ・ジョーンズ・ジュニアは、あの夏の日を一生忘れられないと言った。1988年、韓国・ソウル。当時、19歳だったロイ・ジョーンズ・ジュニアは、アメリカボクシング界期待の星として、ソウルオリンピックに出場。前評判通りに勝ち上がり、当然のように決勝に進出する。

 ファイナルでも、圧倒的優位に試合を運んだ。にもかかわらず、彼は銀メダリストとされてしまう。

 判定が告げた勝利者、即ち彼の決勝の相手は、開催国である大韓民国の選手だった。

 この一戦を目にした全ての人が、今尚、真の金メダリストはロイ・ジョーンズ・ジュニアだと唱え、さらに五輪ボクシング史上最悪の出来事として、この判定を挙げる。

 「ホームタウンデシジョン以外の何物でも無いさ。勝利を盗まれ、深く傷付いたよ。でも、あの経験は間違いなくオレを強くしたね」

 インタビュー時、ジョーンズは統一世界ライトヘビー級チャンピオンであり、リカルド・ロペス、若きフロイド・メイウェザー・ジュニアを抑えてパウンド・フォー・パウンド最強とされていた。

 184センチの長身に、引き締まった肉体、そして鋭い眼差しは、世界王者ならではの威厳を漂わせていた。また、快活な喋りは、なるほど、現役選手でありながら、HBOの解説者に抜擢されたことを理解させた。

 「アメリカ合衆国において、世界チャンピオンとなる人間の99パーセントは貧民街の出身」と言われるが、ジョーンズに関しては、それが当て嵌まらなかった。彼は中流家庭で育ち、ジュニアカレッジにも通った、知性溢れる王者だった。

 この現役最強王者は1カ月と少し前、ライトヘビー級のタイトルを統一し、リフレッシュ休暇から戻ったばかりであった。

 ジョーンズは1969年1月16日、フロリダ州ベンサコーラで誕生した。元プロボクサーの父親の影響で、自然とボクシングに親しむ。幼い頃からスポーツ万能だった彼はフットボール、バスケットボールでも才能を発揮する。

 「ガキの頃は、フットボールの選手になりたかった。でも、しばらくして、より成功を掴めるのは、ボクシングかバスケットだろうって思い直した。確か、10歳の時だった。親父と一緒にビデオで見たモハメド・アリvs.ジョー・フレジャーの試合に魅せられちゃってね。オレもあんな素晴らしいファイトをやってみたかった。その上、自分の才能を確信していた。14歳の時には、世界王者となるのに必要な要素を全て備えているって、感じていたからね」

 数々のアマチュアの大会で、好成績を収め、オリンピック代表選考会でも、無類の強さを見せつける。ジョーンズは、まさに夢に向かって順風満帆に進んだ。

 「USAオリンピックチームに入れたことが、ボクシングをやって来たなかで、一番嬉しかった思い出だよ。何てったって、最初の槍舞台だったから」

 そのオリンピックでは、政治的な理由で苦汁を飲まされたジョーンズだが、翌年プロに転向すると、連勝街道を驀進する。4年の間に22連勝を飾り、IBF世界ミドル級タイトルを獲得。すぐにそのタイトルを返上すると、より重いクラスへ転向し、スーパーミドル、ライトヘビーと、全く危なげなく3階級を制覇した。

 プロ入りしてから私が行ったインタビューまでの間に、ジョーンズが手にした世界タイトルは、5つを数えた。戦績、41戦40勝33KO1失格負け。この失格負けも、ソウル五輪同様、レフリーの不可解なジャッジメントによるものだが、半年後に、同じ相手を1ラウンドで沈めていることを考えても、彼を脅やかす存在は、見受けられないと言ってよかった。

 「デビュー当時は、苦しい試合もあった。最近の相手だって、皆いい選手だよ。でも、負ける気はしない。それだけオレは、完成されたファイターだから。ソウルの時みたいな妙なカが働かない限り、オレを敗者にするのは難しいよ」

 こんな台詞をサラリと吐いてしまうジョーンズの悩みは、歯ごたえのある敵が見付からないことであった。ライバルの不在は、彼が人気選手となる上で、少なからず障害となった。あまりにもワンサイドであるジョーンズのファイトは、ファンからすれば、盛り上りに欠けるものであるらしい。

 ジョーンズはパウンド・フォー・パウンド最強として認められてはいるが、観客動員数でもトップという訳ではなかった。彼が初めて世界タイトルを手にしたIBFミドル級タイトルマッチでは、バルセロナ五輪の金メダリストとして颯爽とプロに転向した、オスカー・デラホーヤの前座としてリングに上がらねばならなかった。

 ジョーンズ程の実力者が、あまり人気のないチャンピオンであるのは、強過ぎるのと同時に、彼のプロモーションに問題があると言わざるを得ない。米国ボクシング界において、五輪金メダリストとは、計り知れない商品価値を持つ。既に星条旗を背負って世界一の称号を掴んだ彼らは、国の英雄として注目を浴びながら、その後の選手生活を続けることが出来る。

 モハメド・アリ、ジョー・フレジャー、ジョージ・フォアマン、シュガー・レイ・レナード、そしてデラホーヤと、一つの時代を築いた名チャンプは五輪の勝者というケースが多く、その歴史的背景が、さらに金メダリストの価値を輝かせる。

 金メダリストは、大プロモーターと有利な条件で契約を結び、保護された状態でキャリアを重ねていく。大物プロモーターの政治カは、時にジャッジやレフリーにまで影響を及ぼし、クロスファイトなら大抵の場合、勝ちを呼び込める。また、メディアへの露出度の高さがファンを増加させる。

 つまり、いかなる理由であれ、<幻の金メダリスト>となってしまったジョーンズは、それなりの扱いしか受けて来なかったのだ。彼は、強さだけでは太刀打ち出来ない、プラスアルファの力をソウルに置き忘れてしまったのである。ジョーンズが、あの敗北を取り戻すには、前人未到の勝利が必要なようであった。

 どんな時も負ける要素の無い格下と戦わねばならない彼は、インタビュー中、遠くを見詰めながら

 「最近は、闘う気持ちを作るのが本当に難しい……」

 と、溜め息をついた。

 勝って当然の試合を、ただこなしているだけーーーーー。

 第三者からすれば贅沢な悩みに聞こえるが、彼の表情からは苦悩が伝わってきた。

 五輪の敗北を取り戻すための終りなきチャレンジ

 そんな彼は、モチベーションを維持する方法としてNBA開幕前に行われていたUSBL(United States Basketball League)に、選手として名を連ね、リング外でもアスリートとして活躍する場所を設けていた。

 1996年6月15日には、昼間、ポイントガードとしてUSBLの公式戦に出場し、およそ6時間後にIBFスーパーミドル級々イトルマッチのリングに上がるという離れ業をやってのけた。勿論 、対戦相手を血祭りにし、その類い稀な能力をアピールした。

 「オレにしか出来ないことだろうね、『ふざけやがって!』なんて感じる人もいたみたいだけど。自分なりに課題を作って、チャレンジしているんだ」

 このインタビューの1カ月前、ライトヘビー級王座統一という目標クリアしたジョーンズは、次のステップとして、当時のWBA/IBFヘビー級王者、イベンダー・ホリフィールドに挑戦する意志があると語った。

 「ミドル級王者だったオレが、ヘビー級に転向するのは、正直言って無理ってもんさ。でもホリフィールドが相手なら、話は別だよ。彼は素晴らしいファイターだけど、オレのスピードに付いて来られるかな? 十分勝算はある。一試合だけヘビー級に上げて、ホリフィールドとグローブを交えてみたいね」

 この試合が実現すれば、ジョーンズは間違いなく、人気面でもトップの世界チャンピオンとなるに違いない。衰えを隠せないホリフィールドと彼を比べた場合、ジョーンズにやや分がありそうだと感じるのは私だけではなかった。

 

 ミドル級(72.5キロ以下)から、ヘビー級(86.1キロ以上)までを制する可能性のある男など、ロイ・ジョーンズ・ジュニアをおいて他にいない。

 「しばらく、この目標を追い掛けてみるよ。オレにとって、一番稼げるのは、ボクシングビジネスだし、もう少し、リングに上がっていたいから」

 ジョーンズのキャリアにおいて、最も大きな躓きが1988年の夏だった。その悔しさをバネに、彼はプロでの成功を誓って突き進んだ。しかし、不運なことに、満たされない日々が続いていた。

撮影:著者
撮影:著者

 長く最強でありながら、「悲運の」という枕詞で語られた男、ロイ・ジョーンズ、ジュニア。ホリフィールド戦は実現しなかったが、2003年3月1日、ホリフィールドを下してWBAヘビー級王者となった、ジョン・ルイーズを大差判定で下し、最重量級チャンプとなった。

 引退から2年半。嬉々として9月12日に向け調整を続けるジョーンズは、今回のタイソン戦を新たなチャレンジと捉えているようである。

ノンフィクションライター/ジェイ・ビー・シー(株)広報部所属

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

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