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現在の政治状況や東京五輪問題にも重なる!「きまじめな人々」の「ぼんやりした戦争」で描こうとしたこと

水上賢治映画ライター
「きまじめ楽隊のぼんやり戦争」の池田暁監督   筆者撮影

 現在ロングラン公開中の映画「きまじめ楽隊のぼんやり戦争」は、川を一本挟んで戦闘状態にある町を舞台に、川の向こう側にいるまったく知らない敵とぼんやりと戦うひとりの兵士と、戦争下にある住人たちの毎日がブラック・ユーモアたっぷりに描かれる。

 自らの立場しか考えていない町長、パワハラ・セクハラ問題発言オンパレードの音楽隊指揮者、もはや何のために戦っているか定かではない兵士、お上の言うことを盲目的に信じる町民などなど。

 実に用意周到、現代の日本社会にも通じる問題が盛り込まれた人物たちが織り成す物語は、戦争の無意味さを悲惨さ、愚かさを浮き彫りにする。

 そういう意味で、痛烈な反戦映画といっていい。

 その一方で際立つのが、これまで発表した作品が国内はもとより世界で高い評価を受けてきた池田暁監督のオリジナリティあふれる演出だ。

 独特のセリフ回し、くせになる魅力を放つ個性豊かな登場人物たち、オフビートな笑いを誘う演出などの手腕は、アキ・カウリスマキ、ロイ・アンダーソンといった異色の才能をもつ監督たちになぞられる。

 ただ、もし本作が戦争映画もしくは、異能の監督のマニアックな作品というイメージに色付けされて、遠ざけられていたら実にもったいない。

 あえていうが本作は、大衆映画だ。

 本作は、かつての岡本喜八監督作品をほうふつとさせるような社会風刺と娯楽性が同居した大エンターテインメント作といったほうがふさわしい

 今週から始まるキネカ大森の公開を前に、池田暁監督のインタビューからその魅力を紐解く。(全3回)

着想の出発点は、自宅の窓から見えた川

 まず本作の出発点はどこにあったのか?池田監督は「1本の線から始まった」と明かす。

「自宅の窓から一本の川が見えて、よくその向こう岸を想像していたんです。

 日常の何気ない景色の中に一本の線があるというだけで、様々なことが想像できる。

 こちら側と向こう側があって、あちらからこちらを見るとどんな風にみえるのかなとか。

 たった1本の線で、まったくちがったことがみえるのではないかなと。

 これが今回の作品の着想の出発点でした」

いま日本にいる僕らが戦争とどうむきあっているのか

 そこから発想が膨らんでいったという。

「日本は海に囲まれていてあまり意識はしないのかもしれないんですけど、朝鮮半島にしても、イスラエルにしても結局、1本の線をひいてあちら側とこちら側で争いが起きている。

 そこから、いま日本にいる僕らが戦争とどうむきあっているのか、これは第二次世界大戦に限るというより、今現在もリアルタイムで各国で起きている紛争や内乱、クーデターなどを含め、どう目線の先に映っているのかをひとつ考えてみたいと思いました。

 なぜそういうことを考えたかったかというと、あくまで僕個人の感覚ですけど、あらゆるところで自分以外は他人事みたいな意識が進んでいるのではないかという思いがありました。

 たとえば日本国内のことは気になるけど、諸外国のことは関心ないとか、身内に関しては守るけど、他人には容赦しないとか。

 そんな方向に世の中であり、人の気持ちが動いているように僕の目には映って、ちょっと危機感を覚えたといいますか。

 それで、作品を通して、いま戦争が僕らの中ではどう見えているのかひとつ考えてみたいと思ったんです。

 なので、『戦争映画』となると、いまから70年以上前に起きた戦争につなげられてしまうのですが、そうではなくて。

 先の大戦のときに起きたことを反映させているところはあるのですが、今の僕らの目に『戦争』はどう映っているのかについて考察したいと思いました

「きまじめ楽隊のぼんやり戦争」より
「きまじめ楽隊のぼんやり戦争」より

以前よりも社会に目を向けたところがあります

 このような意識をもって練り上げられた物語は、間違いなく『戦時』を描いている。ただ、そこのみにとどまらない。

 忖度だらけの政治、精神論で突き進む組織の危うさ、有無もいわせない絶対的な上下関係、モノ言えぬ社会など、ここ数年で起きている日本の政治状況や現在の東京五輪問題などに共通項を見出さずにはいられない。

 権力者やトップを皮肉りながら、問題の本質をブラックユーモアをもって鋭く突き、まさに現代を懸命に生きる名もなき人々の心に届く作品になっている。

 ここまで大衆性をおびた作品になっていることは正直なところ驚きだ。

 というのもこれまでの池田監督作品は、どちらかというと一部の人に熱狂的に愛される映画で、そこで描かれる世界も『わかる人はわかる』というものだった気がする。

 なので、おそらく池田作品を知っている人ほど、この大衆性を獲得している物語には驚くに違いない。

「万人受けを狙うような意識はまったくないんですけど、ちょっとした僕の中での意識の変化はあったと思います。

 おそらく『戦争』というところに着目したところでそうなっていたんでしょうけど、以前よりも社会に目を向けたところがあります。以前よりも少し社会に目がいくようになったといったほうがいいかもしれない。

 だから、自分がふだんの社会生活で感じたことを素直に投影させているところがかなりある。

 たとえばよこえとも子さんが演じている兵舎の受付人の対応とか、見てくださった方によく言われるんです。『ああいうお役所的な対応ってほんとうにありますよね』と。

 あれは僕も近いことを体験したことがあって、それをデフォルメして受付の女性に投影した。

 そういう誰しもが経験したことがあることを、わりと各人物に盛り込んでいったんですよね。

 それで、今回は、多くの人に身近に感じてもらえているのかなと。

 いままで僕の意識が内向きだったのが、ちょっと外向きになったのかもしれません(笑)」

『メトロポリス』と、『モダン・タイムス』が無意識下にあったかなと

 当初は考えていなかったが、創作においてもしかしたら影響を受けたかもしれない作品にはこの2作品を上げる。

「僕は誰かの作品に影響されたすることがあまりないんですけど、今回は『メトロポリス』と、『モダン・タイムス』が無意識下にあったかなと。

 『メトロポリス』はコメディではないですけど、人間の滑稽さを映し出している点において、共通するところがある。

 チャップリンの『モダン・タイムス』は、確か小学生のときにみたんですけど、そのときは変なおじさん、つまりチャップリンが大変な目にあって、それがおもしろくて最後まで笑わされて終わるみたいな印象だった。

 ところが、大人になってみたときに、まったく違う、社会や権力について鋭く批評した作品であることに気づいた。

 それからけっこう僕の中で『モダン・タイムス』は理想的な映画になっていて。

 別にそんな深いことを考えなくてもおもしろくみることができる。でも、思考をめぐらせると実に多くのことを考えさせらえる。

 こういうものに自分の作品もできたらなと思うところがあったんです。

 それがさきほど指摘してくださった、大衆性につながっていくのかなと。

 『モダン・タイムス』みたいに作ったなんておこがましくてとても言えないですけど、無意識ながら視野に入っていた気がします」

(※第二回に続く)

「きまじめ楽隊のぼんやり戦争」ポスタービジュアル
「きまじめ楽隊のぼんやり戦争」ポスタービジュアル

「きまじめ楽隊のぼんやり戦争」

監督・脚本・編集・絵:池田 暁

出演:前原滉、今野浩喜、中島広稀、清水尚弥、橋本マナミ、矢部太郎、片桐はいり、きたろう、嶋田久作、竹中直人、石橋蓮司ほか

東京・キネカ大森にて7/2(金)~15(木)公開、

大分・玉津東天紅にて7/6(火)~11(日)公開、ほか全国順次公開中

最新の劇場情報は、こちら

場面写真およびポスタービジュアルは(C)2020「きまじめ楽隊のぼんやり戦争」フィルムプロジェクト

映画ライター

レコード会社、雑誌編集などを経てフリーのライターに。 現在、テレビ雑誌やウェブ媒体で、監督や俳優などのインタビューおよび作品レビュー記事を執筆中。2010~13年、<PFF(ぴあフィルムフェスティバル)>のセレクション・メンバー、2015、2017年には<山形国際ドキュメンタリー映画祭>コンペティション部門の予備選考委員、2018年、2019年と<SSFF&ASIA>のノンフィクション部門の審査委員を務めた。

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