「1票の格差」が生む不公平スパイラル 逆転の発想を求む
「春のセンバツ」から始まった定数訴訟
2・43倍まで広がった「1票の格差」を是正せずに行った昨年12月の衆院選について、東京、札幌両高裁が「違憲」判決を言い渡した。同選の定数訴訟(1票の格差訴訟のこと)は全国14の高裁・支部で審理され、今月中に判決が出る。
大阪市の橋下徹市長は違憲判決に「司法判断は重い」と政治に「0増5減」など早急に格差を是正するよう求めた。議席数を単純に5つ減らす「0増5減」についても札幌高裁は「最高裁判決が求めた改正とは質的に異なる」と批判したが、「0増5減」で格差を「合憲」の範囲内にとどまる1・8倍に縮めることができる。
橋下市長は大阪府立北野高校時代に全国高校ラグビー大会出場を果たした。定数訴訟の草分けも橋下市長と同じ北野高校出身の弁護士だ。戦後の1949年4月、選抜高等学校野球大会で全国優勝した野球部のメンバーだった山本次郎氏である。
山本氏は北野高校の同窓会と定数訴訟が生きがいのような人で、取材におうかがいすると、いつも「酒中に真ありや」と表情を崩して、ウィスキーをストレートでふるまってくれた。
定数訴訟のきっかけが面白い。
北野高校の野球部OBが集まった時、原則として各都道府県から1校が出場する夏の甲子園(北海道、東京は2校)は「不公平」と議論になった。
現在、過密府県は181~190校、過疎県は25校の代表で、格差は7倍を超える。山本氏らは「大阪から夏の甲子園に出るのは難しい。衆院選の1票でも都会は随分損をしている」と言い出した。
1972年衆院選の1票の格差は4・99倍もあった。「1人で5票分はひどすぎる」。山本氏は後輩の数学者に格差を最小限に収める数式を立てさせ、格差是正が可能なことを証明した。法廷での山本節も冴え、76年、最高裁で初の「違憲」判決を勝ち取った。
それから36年、昨年の衆院選は高裁で「違憲」と判断された。
東京高裁は「判決確定から一定期間が経過した後に議員を失職させる判決も検討の対象になる」と無効判決の可能性をちらつかせた。最高裁が「違憲状態(違憲の疑い)」と判断した2009年衆院選の格差2・3倍を上回る2・43倍で総選挙を行った政治に司法は業を煮やしている。
不平等の乗数効果
最高裁は違憲ラインを明らかにしているわけではない。
過去の最高裁判決から判断すると、衆院選で3倍以上が「違憲」、2倍以上が「違憲状態」、それ未満が「合憲」、参院選では6倍以上が「違憲」、5倍以上が「違憲状態」、それ未満が「合憲」とみられている。
先の衆院選で有権者が最も多かったのは千葉4区、少なかったのが高知3区で、格差は2・43倍。
一般財団法人・アジア太平洋研究所の報告書「衆院選における1票の価値・1票の格差の貨幣換算化」が興味深い。
一般会計から国債費を除いた約68兆4千億円を分子にすると、国会議員1人当りの年間予算責任額は947億円。これを衆院の小選挙区の有権者数で割って、「1票のお値段」を算出する。
高知3区は45万6千円、千葉4区は19万1千円だった。実に26万5千円の格差だった。
過疎県では高齢化が進んでいる。65歳以上人口の割合は高知県が29%。千葉県は22%。日本の政治は「都会」より「地方」、「若者」より「高齢者」を重視している。
予算や条約承認、首相指名など「衆院の優越」が認められているので、最高裁は参院の格差に甘い。参院は地域代表の要素が強いと格差に寛容な向きもある。
しかし、「衆参ねじれ」が浮き彫りにしたように日本の参院には強い拒否権が与えられている。
10年参院選で有権者が最も多かった選挙区は神奈川県、少なかったのは鳥取県で格差は5倍。65歳以上人口の割合は鳥取県が26・4%、神奈川県は20・6%。投票率は鳥取県65・8%、神奈川県55・6%で、約10ポイントの開きがあった。
参院では鳥取県に次いで有権者が少ない島根県から選ばれた自民党の青木幹雄元官房長官がかつて「参院のドン」と呼ばれ、政策決定に重要な影響を及ぼした。
参院はドンが棲む「権力の府」なのだ。
米下院は人口比例で代表を選出するため、数式に当てはめて議席が配分される。格差は1・26倍。英下院はワイト島やスコットランド地方の島の選挙区を除くと、格差は1・92倍。
各州から2人を選出する米上院の格差は06年時点でなんと70倍を超えていた。これは米国が連邦制をとっているためで、「1票の平等」より「各州の平等」が優先された結果だ。
新たな「1票の格差」が必要だ
衆院と参院に残る「1票の格差」はもともと都市と地方の格差に配慮したものだった。その格差が地方へのバラマキを可能にし、必要以上に立派な橋や道路、公民館を誕生させた。
これから注視しなければならないのは、世代間格差である。
ニッセイ基礎研究所の中村昭氏が「若者に1人5票の選挙権を与えよう!」と提言している。
中村氏の報告によると、05年時点の日本、米国、英国、ドイツ、フランス、スウェーデンの政策分野別支出をみると、高齢・遺族分野は日本53・6%、他の5カ国平均は37・7%。逆に、家族分野は日本4・2%、他は9・5%だった。
1950年時点で、20~30歳代は人口の53・5%、65歳以上は9・1%にすぎなかった。2010年で20~30歳代は30・2%、65歳以上は27・8%。30年には20~30歳代は23・4%、65歳以上は37%に達する。
政治の場で若者の声は高齢者に押しつぶされる。年金、医療など高齢者のための政策が優先され、子育てなど若者向けの政策は後回しになりがちだ。
少子高齢社会という先細りの流れを変えるためには、世代間格差を逆転する未来志向の「1票の格差」が必要ではないだろうか。
選挙権年齢も18歳が世界の主流で、英国などでは16歳への引き下げも検討されている。
それに対して日本は20歳のまま。若者は「自分たちの1票で世の中を変えることはできない」というあきらめを抱き始めている。
「都市」から「地方」の流れを「高齢者」から「若者」の流れに変える逆転の発想が政治に求められている。
司法に追従するのが政治の役割ではあるまい。
新しい地平を切り開くのが政治の可能性だと思う。
(おわり)