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【ホークス新人名鑑・Q&A】6位吉田賢吾は練習の虫!「午前2時40分に起きてグラウンドに」

田尻耕太郎スポーツライター
入団発表で決意を語る吉田捕手(筆者撮影)

 吉田賢吾捕手。背番号64。屏風浦クラブ~横浜市立浜中学校(軟式野球部)~横浜商科大学高校~桐蔭横浜大学。右投右打。神奈川出身。180cm、90kg。

 大学リーグ戦ではMVP2回、ベストナイン4回、打点王3回、首位打者1回など。打撃が魅力の捕手。コンタクト能力が非常に高い右打者。打率が残せる中距離タイプだが本塁打もあり、将来の主軸として期待が持てる逸材。守備を鍛えてレギュラー争いに加わってもらいたい。

 中学の主な卒業生にEXILE・HIRO、向井理、井上真央。特技はボウリング。性格はとにかく明るく前向き。好きな食べ物は肉、スイーツ、ラーメン。嫌いな食べ物はアスパラ、グリーンピース、ナス。座右の銘は山溜穿石。小さなことの積み重ねを大切にしているから。

【一問一答】

――出身中学校(横浜市立浜中学校)は有名な人が多い。

「会ったことはないです」

――周りに有名人は?

「ライオンズ捕手の岡田(雅利)さんは親戚にあたります。遠い親戚かどうか、詳しくはわかりませんけど。直接会話したことはないですが、姉に連絡がいって、母から『甲斐拓也さんによろしくね』と連絡したみたいです」

――身近にプロがいると憧れも感じる。

「大学の2つ上に西武ドラフト1位の渡部健人さん、1つ上に巨人育成から支配下になった菊池大稀さんがいて、そういう選手が身近でプレーしていたので、このくらいまでいけばプロになれるという目標設定もしやすかったし心強かったです」

――人生の転機は?

「野球の技術面だけではなく、人間的に成長できたのは横浜商大高校に進学したから。また、大学でも進学してすぐに監督さんにオープン戦に連れて行ってもらい、レベルの高い選手、体の大きな選手を間近で見たことで、まずは体づくりを徹底していこうと思いました。小さいことを積み重ねる大切さを学んだ4年間でした」

――高校で学んだこと。

「在学中はランニングメニューもしんどくて理不尽と思うことも正直ありました。あまり野球をやった覚えがなかった。生きて帰るのに必死なくらい厳しい3年間でしたが、大学に入ってからその経験が本当にありがたかったと気づかされました。そういったところで人間的なものを磨かせていただいたので、大学では技術面に専念できました」

――理不尽?

「練習のやり直しとか、ホームルームの最後の号令からやり直されたり、遠征先から歩いて帰らされたり。どんなに遅い時間でも変な試合をすると戻って練習したこともありました。でも、それが今はとても生きています。当時はふざけんなと思っていましたが(苦笑)」

大学で「本塁打35本くらい」

――通算本塁打は?

「高校は15本、大学は公式戦だけで15本。公式戦以外を含めると35本くらい。大学は2年秋から出場させてもらい、2年生秋と3年生春のリーグ戦では本塁打はなく、神宮大会で初本塁打打ってから、次のリーグ戦(大学3年秋)で5本、次で6本、次で3本という形で、最後の関東大会で1本打ちました」

――本塁打急増の理由は?

「胸を張って練習やってきたという自信もありますが、同級生に平野という練習量がすごい選手がいて、その彼と1年生の頃から朝6時半にグラウンドに行って全体練習の前に練習するのが習慣づきました。リーグ戦の前も、出発の1時間半前から打つために午前2時40分に起きてグラウンドに行くこともありました。お互いにいいところも悪いところも指摘し合いながら成長してきました」

――とにかく明るく前向きなところも持ち味。

「声や言動で引っ張っていくキャプテンだったと思う。なので、周りに指摘するからには自分が一番やらなきゃいけないと思っていました。一番やっていない人にはついていかないと思うので。何かをやるには常に一番を目指してやってきました」

スポーツライター

1978年8月18日生まれ、熊本市出身。法政大学在学時に「スポーツ法政新聞」に所属しマスコミの世界を志す。卒業後、2年半のホークス球団誌編集者を経てフリーに。「Number web」でのコラム連載のほかデイリースポーツ新聞社特約記者も務める。2024年、46歳でホークス取材歴23年に。 また、毎年1月には数多くのプロ野球選手をはじめソフトボールの上野由岐子投手が参加する「鴻江スポーツアカデミー」合宿の運営サポートをライフワークとしている。

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