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高校「国語教科書」に台湾文学作品が掲載、どんな小説か 採用された背景とは

田中美帆台湾ルポライター、翻訳家
「歩道橋の魔術師」作者呉明益氏(写真提供:太台本屋 tai-tai books)

 今年5月、国語教科書の老舗、明治書院のサイトで新しい検定教科書の目次が発表された。中原中也、夏目漱石、森鴎外など、団塊ジュニア世代である筆者の高校時代と変わらぬ名前の中に、新鮮な名前が登場した。台湾現代文学を牽引する小説家・呉明益氏、翻訳は故・天野健太郎氏である。台湾文学としては「快挙」といえる事態だ。

 作品名は「歩道橋の魔術師」という。原著は2011年に台湾で発売された。翌年には、台北国際ブックフェアの小説部門で大賞を受賞、2020年には台湾人の漫画家2人によってコミック化され、さらに2021年2月には、全10話でテレビドラマ化。日本で翻訳版が出されたのは今から7年前で、昨年には河出文庫から文庫本が刊行されている。

 舞台となったのは、1980年代の台北・西門町にあった「中華商場」という名の大型ショッピングモール。『歩道橋の魔術師』は、そこに突如として現れたマジシャンをめぐって編まれた連作の短編集である。本書の冒頭に収録された同タイトルの1篇が、このほど教科書に採用された当該の文章である。

 採用されたのは『文学国語』(明治書院)である。高校の国語教科書の採用検討は4月1日〜9月16日に行われ、2023(令和5)年度から使用されていくことになっている。

 「文学国語」という教科名に、馴染みがないのは当然だろう。何しろ新しい科目である。まずは、この経緯を振り返ってみよう。

学習指導要領改訂がくれた契機

 来年春から適用されるのは、新しい学習指導要領を前提とした授業だ。

 遡ること2014年、中央教育審議会が学習指導要領改訂の審議を開始していた。16年の答申を経て、18年に新しい指導要領が公示され、ようやく足かけ8年かけて教科書使用、という地点にたどり着いた。

 高校国語としては、次のように枠組みそのものが大きく変更される。

    現行      

必修 国語総合(4) →現代の国語(2)

            言語文化(2)

選択 国語表現(3) →論理国語(4)

   現代文A(2)  文学国語(4)

   現代文B(4)  国語表現(4)

   古典A(2)   古典探求(4)

   古典B(4)

 このうち「文学国語」については、「主として「思考力、判断力、表現力等」の感性・情緒の側面の力を育成する科目として、深く共感したり豊かに想像したりして、書いたり読んだりする資質・能力を重視して新設した選択科目である(「国語編 高等学校学習指導要領(平成30年告示)解説」)」と定義されている。

 こうした流れの中で制作された1冊に、「歩道橋の魔術師」が収録された、というわけだ。

小説の技術的に優れた作品

 では、なぜ「歩道橋の魔術師」が選ばれたのだろうか。

 同教科書編集委員の1人である橋本陽介氏は、現在、お茶の水女子大学で中国現代文学史などを教える大学教員で、中華圏の文学作品には数多く触れてきた。それだけでなく、高校の教育現場での経験も持つ。その著作『ノーベル文学賞を読む』(KADOKAWA)では世界文学に対する造詣の深さが、『使える!「国語」の考え方』(筑摩書房)からは授業への具体的実践の高さが伝わる。

 「中華圏の小説はそれなりに読んできましたが、初めて呉明益さんの小説を読んで、これはもう素晴らしいなと思いました。教材としてちょうどいい長さで、技術的にも非常に優れています。さらに、天野健太郎先生の翻訳がとにかくうまい。まず原文の読み込みがすごいし、日本語として自然だし、原文のそのテクニックをうまいこと生かした上で、優れた日本語にしていると感じました」

 絶賛である。作品の採用が決定する前、指導先の大学と高校で「歩道橋の魔術師」を生徒に読ませたが、反応も評判もよかったという。

 「国語の授業的な観点で言えば、非常にノスタルジックな小説です。大人になった語り手の視点があって、子どものころの僕の視点があって、両者を往復している。この往復にノスタルジーがあるんですけど、その表現とか、この往復の仕方が文章の表現として非常に優れています。小説文ですので、授業でどう捉えるかを抜きにして、読むだけでもかなりいろんな気づきがある。それだけでも載ってる意味があるだろうと思います。海外文学は、読んでいると、あちこち引っ掛かりが出てくると思うんです。文化的な面の違いや日本のものではない食べ物が出てきますし、しかも時代的にも少し前です。小説を通じて異文化を理解してほしいですね」

 同教科書の目次を見ると、台湾だけではなく世界を視野に入れたと思われる文章があちこちに並ぶ。世界への扉を開く内容に、心底、ワクワクした。筆者は個人的に、高校時代にこういう内容で習いたかったと思うほどだ。

グローバルに読める作品の登場

 次に、小説、文芸作品全般において「歩道橋の魔術師」はどのように位置づけられるのか。

 編集者として普段から膨大な文学作品に触れているだけでなく、同社からは数多くの教科書採用作品が誕生している新潮社で、現在『波』編集長を務め、著名な作家陣の担当でもある楠瀬啓之氏にお話を伺った。まず、近年の傾向について、次のように話す。

 「今、海外では、日本の女性作家の人気が高い傾向にあります。これは、日本の女性作家が日本に固有の問題を扱っていながら世界的な普遍性を持つに至った、ということができます。また、その国の人情や風俗、その国の課題を知るには、エンタメ作品に触れるのがいい、と言われます。そういう意味では、近年、台湾の、純文学だけではないさまざまなエンタメ作品が翻訳出版されているのは、とてもいい傾向にあると感じています」

 確かにこの1、2年で、台湾プロレスをテーマにした『リングサイド』(林育徳著、三浦裕子訳、小学館)、ミステリ作品としては『台北プライベートアイ』(紀蔚然著、舩山むつみ訳、文藝春秋)、はたまた『図説 台湾の妖怪伝説』(何敬堯著、甄易言訳、原書房)など、バラエティ豊かな作品群が日本に向けて紹介されている。そうした傾向も踏まえつつ、氏は明治書院の『文学国語』をこのように評価する。

 「国語科の教科書の定番である、中島敦の山月記、漱石のこころなどを押さえる一方で、現代的イシューである多様性や都市、あるいは歴史といった切り口の作品を掲載するなど、目配りが効いているし、現代文という枠組みを広げている。『歩道橋の魔術師』は、1980年代を舞台に、台湾が高度消費社会へと移行する時代の人間の感性や生活がしっかり描かれています」

 そうした文学作品が台湾から出てきたことは、一体、どんな意味を持つのだろう。

 「私たち日本人が、いまイギリスのロックを聴いたり、アメリカの映画を観たりする時と同じように、消費社会としてある程度成熟した社会の文学であれば、多少のローカリティはあっても国境を超えて同時代の作品として読むことができます。村上春樹さんの作品が広く海外で読まれるのと同じで、呉明益さんもまた、そういう社会で共通して読める作品だ、ということです」

 呉明益氏の別作品『自転車泥棒』(天野健太郎訳、文藝春秋)は、イギリスでも権威のあるブッカー賞にノミネートされたことがあるのを、思い出した。

「私たち」から「私」へと脱皮した作家

 改めて、台湾文学において「歩道橋の魔術師」はどのように位置づけられるのか。台湾文学研究者の赤松美和子氏は次のように語る。

 「2003年に『虎爺』という作品を発表した直後、台湾の研究者との間では、新しいタイプの作家が登場したと呉明益さんの話題になりました。私の研究対象の中心は、彼以前の作品です。それは台湾が民主化に向かう1990年代の台湾を見たことが大きな要因だと思っています。呉明益さんとそれ以前の作家の作品には、社会との関係性に大きな違いがあります。例えばそれは主語にも表れています。戒厳令期に書けなかった自分たちのアイデンティティを今書かなければと思った作家たちは90年代に『私たち』という主語をよく使いましたが、呉明益さんが使うのは『私』であり、一人称単数です。自由が当然になると、文学が社会を背負う必要がなくなり個人の物語に集中できるようになったのです」

 文学作品における主語は、読み手に対する没入感にかかわってくる。「私たち」と括られると、客観として存在する読み手は世界に入ることができにくいが、「私」や「彼」「彼女」といった不特定の誰かであれば、読み手は自分を投影することができる。だからこそ、『歩道橋の魔術師』に対して日本の読者もノスタルジーを感じることができるのだろう。

 ましてや、90年代の台湾社会は「民主化」の大きな波の中にいた時代だ。そのなかで紡がれていた文学もまた、熱さを伴っていた。ただ、その熱さは同時に、読み手に対して社会的文脈への理解を求める作品であったのに対し、呉氏の作品は、そうした理解を必要としないからこそ、誰でも、国を超えても読むことができるようになった。両者の違いを、赤松氏は「それまでの文学が37.5度くらいの熱を持った作品だとすると、呉明益さんの作品は36度前半の平熱」と指摘したうえで、最近の傾向を次のように話す。

 「呉明益さんの登場以降、たとえば『ブラックノイズ 荒聞』(張渝歌著、倉本知明訳、文藝春秋)のように、社会的文脈も書き込みながら、改めて台湾の歴史を上手に語り直す作品も出てきました。2000年代以降、ストーリーテリングの力が劇的に向上してきたように感じます」

台湾と日本の理解格差の突破口に。

 赤松氏は、研究者以外にも、高校生、大学生、一般に台湾を広く知ってもらおうと活動する台湾研究者ネットワーク「SNET台湾」の代表の1人でもある。その点からも、呉明益氏が教科書に現れたことには大きな意義がある、という。

 「研修で伺った高校の先生から『図書館に呉明益作品を入れました。今度、またお話にいらしてください』と連絡を受けたんです」

 つまり、教科書採用は、教科書だけにとどまらない。教員側も、教科書に掲載された1篇をもって授業するわけにいかない。授業のための参考資料はどうしたって必要だし、相応の準備が求められる。これまで、学校教育現場ではほとんど教えられてこなかった「台湾統治」を、小説を通じて知るきっかけにもできる。実際、コロナ前の高校の修学旅行先として、台湾は人気エリアのひとつだった。小説での接点を突破口として、より深い理解へと広がる可能性を秘めている。

 台湾文学が日本の国語教科書に採用された——やはり、大きな事件ではないか。大きな希望と期待を抱くこの一歩。さらなる展開を期待したい。

台湾ルポライター、翻訳家

1973年愛媛県生まれ。大学卒業後、出版社で編集者として勤務。2013年に退職して台湾に語学留学へ。1年で帰国する予定が、翌年うっかり台湾人と国際結婚。上阪徹のブックライター塾3期修了。2017年からYahoo!ニュースエキスパートオーサー。2021年台湾師範大学台湾史研究所(修士課程)修了。訳書『高雄港の娘』(陳柔縉著、春秋社アジア文芸ライブラリー)。

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