元名騎手の子息が調教師試験に合格。彼が目指す厩舎とその理由に隠されたジョッキー時代の苦い思い出とは
名騎手だった父の背中を追い、自らもジョッキーに
12月7日、新規調教師試験の合格発表があった。合格者は美浦2人、栗東3人の計5人。その中に加藤士津八の名前があった。
1985年2月2月生まれの現在32歳。父・和宏、母・ゆかりの下、2人兄弟の長男として育てられた。
父・和宏は現在調教師。往年のファンには日本ダービーや有馬記念を勝った名騎手としてその名は記憶されていることだろう。
そんな家庭に育ったから、幼稚園に通う頃には「騎手になりたいと思っていた」。
小学5年生になると美浦トレセンの乗馬苑で乗馬を始めた。競走馬上がりの馬に本格的に乗るのは初めて。持っていかれてラチに激突したり、幾度となく落馬も経験した。
「それでも騎手になりたい一心だったので辞めたいと考えたことはありませんでした」
怖い思いもしたし、痛い目にも遭ったが、父を始めとした周囲にはただの一度も「怖い」とか「痛い」とは言わなかった。
中学卒業時に競馬学校を受験し、合格。入学時15人いた同期は卒業時には9人に絞られたが、加藤もその中に残ってみせた。
「騎手に憧れましたから、学校まで受かったのに辞める気はありませんでした」
思うようにいかず、もがき続けたジョッキー時代
そうした甲斐もあり、2003年3月1日には無事、国枝栄厩舎から騎手デビューを果たした。
しかし、加藤士津八の騎手生活は決して華々しくはなかった。
1年目に7勝を挙げるが、その後、なかなかその数字を上回ることができない。
国枝の下ではピンクカメオやマツリダゴッホ、マイネルキッツといったG1ホースの調教に跨らせてもらい「時計に拘らず、馬の気持ちを考えた走らせ方、仕上げ方」などを教わったが、残念ながらそれが騎手の成績として反映されることはなかった。
5年目の07年はついに未勝利に終わった。
その07年にはヨーロッパへ飛び、かの地の競馬を視察。視野を広めるよう努力した。障害戦に活路を求めた時もあったし、中国競馬での騎乗にも積極的に臨んだ。
「競馬だからいつ、どこでチャンスが訪れるかわかりません。その時に備え、準備だけは怠らなかったつもりです」
それでもなかなか勝てないと乗り鞍が減るのは道理。調教だけ乗ってレースには乗れない日が続くとさすがに精神的に潰れそうになることもあったと言う。
ある日、起きた「傷ついた出来事」とは……
そして、そんなある日、事件が起きた。
ある厩舎に入厩した若駒は、牧場であまり馴致されておらず、士津八が一から教え込まなければいけないような馬だった。
「1カ月以上、毎朝乗って教育し、少しずつデビューできそうな状態になっていきました」
その馬を管理する調教師は「レースでも士津八が乗れるよう、オーナーを説得する」と言ってくれた。
しかし、デビューを目前にして、彼から伝えられた。
「ごめん。オーナーが首を縦に振ってくれなかった」
頑張ってきたけど、結局競馬では成績の良い他の騎手が乗ることになった。
悔しいことではあったが、ここまではまだある話だった。士津八を打ちのめす出来事はこの後に起きた。
デビューを前にしたこの馬の最終追い切りと偶然、出あわした士津八。追い切りに乗ろうとする騎手に対し、調教助手が言った言葉に耳を疑った。かりにその騎手をA騎手とすると、調教助手は言った。
「オーナーには入厩以来ずっとA騎手が乗って教え込んでいると伝えてあります!」
当時の気持ちを述懐する士津八の表情は今でも曇りがちになる。
「あの時はさすがに傷つきました。今まで自分がしてきたことは、闇に埋もれちゃうんだなって思うと悲しかったですね」
騎手を引退。調教助手に転身した時に出会った1頭の牝馬
父が現役騎手時代にやっていたように、士津八もレースに乗る前は自宅や調整ルームの自室を綺麗に片付けていた。いつ命を絶たれてもおかしくない競馬へ行くためにそうしていた。いわば、競馬では隣り合わせの“死”を覚悟して乗りに行っていたのだ。
しかし、そんな覚悟を持ってしても、騎手として大成することは出来なかった。11年末、士津八は現役を引退。加藤和宏の下で調教助手に転身した。
幼い頃からの夢だった騎手の道は諦めたが、その時から「次は調教師」という決意を持って生きる道を進むことにした。
そんな中、ハナズゴールに出会った。
12年のチューリップ賞では後に年度代表馬となるジェンティルドンナを破ってみせた。13年には京都牝馬Sを制し重賞2勝目。そして14年にはオーストラリアへ遠征。G1オールエイジドSを優勝し、厩舎にとっても初となるG1制覇を成し遂げてみせた。
このオーストラリア遠征中、最初から最後までハナズゴールの調教をつけたのが士津八だった。
「オーストラリアでは朝ハナズゴールに乗って、下りてからは調教師試験に向けた勉強をする毎日でした」
調教師試験に合格。目指す調教師像はあの事件に影響を受けていた
そんな経験も生きたか、ついに難関である調教師試験を突破した。士津八は父の和宏のことを「加藤先生」と言い、次のように話した。
「加藤先生は61歳。定年まではまだまだあります。これから一緒に助け合ってやっていけたら良いと考えています」
通常通りならこれから1年少しの技術調教師を経て、19年春の開業となるだろう。果たしてどんな厩舎を目指すのか、聞いてみると、士津八は表情を崩すことなく次のように答えた。
「スタッフの陰の努力も汲み取ってあげて、人を傷つけない調教師として厩舎を引っ張っていきたいです!!」
騎手としては決して成功したとは言えなかったが、だからこそ人の痛みを痛いほど分かる人間になれた。そんな彼だからこそ、と言える厩舎を築いてくれることだろう。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)