なぜ素材に豚骨を使っていても“非豚骨”と呼ばれるのか。摩訶不思議なラーメン用語を解説
素材としての非豚骨、ジャンルとしての非豚骨(否豚骨)を理解する
最近、特に福岡のラーメンシーンでよく聞くようになった“非豚骨”というラーメンのカテゴリー。文化的存在として今なお、どっしりと根付く“豚骨ラーメン”ありきの言葉であり、実に豚骨の聖地・福岡らしい表現だと思っている。しかしながら、現在この“非豚骨”という言葉は、広く“豚骨ラーメン以外のジャンル”という意味合いで使われていることが多い。つまり、スープの素材に豚骨は入っているけども、メニュー名が醤油や塩、味噌ラーメン、また中華そばなどであったら一様に“非豚骨”と呼ばれている印象だ。特に豚骨(ゲンコツ)、鶏ガラの肉系清湯(澄んだスープ)で、上記のメニュー名などであると非豚骨と称されている場合が多い(作り手が発しているわけでなく、あくまで食べ手の捉え方、発信の仕方においてだ)。「豚骨が入っているのに非豚骨」。熱心なラーメンファンでなければ摩訶不思議な話であろう。
ここでは、現在の非豚骨の多くは「素材としての非豚骨でなく、ジャンルとしての非豚骨(否豚骨)である」ことを理解してほしいのが第一。そして、九州のラーメンカルチャーを25年間研究してきた筆者的非豚骨の沿革、また、この本質を今理解する重要性について書かせていただく。ラオタの戯言ぐらいな感じでゆったりと読んでもらいたい。
まず「非豚骨」という言葉は、少なくとも筆者が駆け出しのライターであった約25年前からあった。そのほか、似たようなカテゴライズで「脱豚骨」という言葉も存在。これらは、現在の福岡のラーメンシーンとも同じように「豚骨vs何々ラーメン」という構図の中、豚骨王国をおびやかす、台頭勢力筆頭として生まれた言葉である。
そして筆者的にここが、現状の非豚骨という総称に違和感をもっている根っこ部分なのであるが、当時の書き手はしっかりとした取材を通じて、スープの素材にも豚骨を使っていない正真正銘の非豚骨だけをそう表現していたことが多かったように感じる。実際筆者は今でも、「当然、素材においての非豚骨だけを非豚骨と表現する」ということが矜持だ。
そこからSNS時代に入り、メニュー名で非豚骨と判断された投稿が多くなるように。はからずとも“ジャンルとしての非豚骨”を指す場合が多くなってきたのだ。筆者の感覚であるが、現在福岡で食べ手が一般的に非豚骨と捉えているラーメンの8割ぐらいは素材に豚骨が入っている。澄んだ清湯系スープで「醤油ラーメン」「塩ラーメン」というメニュー名でも鶏ガラと合わせほとんど豚骨(ゲンコツ)を煮込んでいるのだ。豚のゲンコツは強い旨みや程よいパンチを出してくれる素材だからである。完全なる非豚骨は、“鶏白湯”や“鶏ニボ”“鶏・水”など、福岡でもそこまで多くはない。特にここ何年かは「福岡ラーメンの新規出店舗数、非豚骨店が豚骨店を超えた」のようなニュースも目にしたりするが、これこそジャンルとしての非豚骨のカウントである。
ここで声を大にしたいのは、筆者は現状の非豚骨シーンに憂いている訳ではなく、味も含めて、もちろん愛しているということだ。自分のこだわりを押し付けたい訳ではない。むしろ広い意味での非豚骨というキャッチーな言葉が広がっていくことはラーメン業界の底上げにつながることであり嬉しく思う。
しかし懸念が1点。ワールドワイドな広がりをみせる日本のラーメン文化という面から見ると、これだけ使われるようになった「非豚骨」という言葉を外国人ラーメンファンはどう理解するのか、私たちはどんな言葉に訳し伝えるか。直訳するとWithout pork bones、Not tonkotsu などとなり誤解を与えるし、漢字を理解する人も字面を見れば間違いなく“素材としての非豚骨”をイメージするだろう。ハラル圏なども考慮に入れれば問題はより重要だ。(スープが完全非豚骨であっても、チャーシューは豚のパターンもあるのでしっかり伝えるべきだと考える)。
非豚骨ではなく否豚骨。現在のラーメンシーンでは後者の意味合いの方が強くなってきているだろう。福岡、九州の誇る財産、ラーメンの魅力、歴史が世界規模で正確に伝わるよう力を入れていきたい。