「いだてん」、菅原小春(人見絹枝役)と萩原健一(高橋是清役)の渾身の演技に泣いた
大河ドラマ「いだてん〜東京オリムピック噺(はなし)〜」を毎週振り返るレビュー 第二部オリンピックを東京に呼んだ男・田畑政治(阿部サダヲ)編。26話は、並外れた身体能力をもつ人見絹枝(菅原小春)の活躍
26回「明日なき暴走」(演出:大根 仁) あらすじ
30歳で死ぬとバーのマリー(薬師丸ひろ子)に占われた田畑(阿部サダヲ)は残り人生2年しかないと、怖いもの知らずに大物政治家・高橋是清(萩原健一)を説得し、6万円もの多額の寄付を獲得する。田畑悲願の水泳チームは11人の選手がアムステルダメオリンピック(1928年)に参加することになった。
関東大震災で行方不明になったシマ(杉咲花)が見出した人見絹枝(菅原小春)も、女子陸上種目が初めて正式採用され、オリンピックに参加。期待を背負っての参加だったが入賞ならず、このままでは、やっぱり女はダメだと思われる、日本の女子スポーツの夢が絶たれてしまうと悲壮なまでの責任感で、予定になかった(しかも一度もやったことのない)800メートル種目に参加し、晴れて銀メダルを獲得する。それで火がついたか、高石勝男(斎藤工)以下水泳チームも続々好成績を残す。
ショーケン(高橋是清)を丸め込む、人たらし田畑
まず、わずか6分間のアヴァンタイトル(オープニングに入る前部分)がめまいがするほど濃密だった。
田畑は、亡くなったショーケンこと萩原健一演じる高橋是清に機関銃のようにまくしたてオリンピックのための資金を出させる。
スポーツと政治を切り分けていた高橋に、民衆の寄付に頼っていた嘉納治五郎(役所広司)を古いと否定し、「富める国はスポーツも盛んで国民の関心も高いんですよ。金もだして口も出したらいかがですか」と言う田畑。そして、スポーツはお国のためにはならないが、若者の希望になるので、その感情を、国を豊かにするために生かすも殺すも先生方次第だとメフィストフェレスのような悪魔的なささやきで高橋の心を掴む。まったく人たらしである。
頭のキレの良さを発揮した田畑だったが、肝心のオリンピックには同行できずがっかり。そこへ、兄危篤の報が来て実家に帰る。
「アニ きとく ナニ?」(田畑)
「アムスじゃなくてハママツ行っちゃったよ」(志ん生〈ビートたけし〉)
などとだじゃれで盛り上げた後、田畑は26回の主役・人見絹枝にバトンを渡す。
人見絹枝が女子スポーツ界のために走る
人見絹枝は、恵まれた体格によって陸上で目覚ましい活躍をするも世間は無理解で、女だてらに陸上などと色眼鏡で見る。「化物」などと口さがない(田畑も「化物」と言っている)。
世間の評価に傷つく絹枝に「あなた、ご幸福ですか?」と二階堂トクヨ(寺島しのぶ)は聞く。
「あなたはメダルもとり、結婚もする。どちらか片方だけではだめ。どっちも手に入れてはじめて女子スポーツ界に革命が起こるんです」
「私は競技スポーツが好きじゃない。オリンピックもしかり。平和は平等をうたいながら、女は陸上競技に出場すら許されない。言語道断」そう言いながら、強い体に品やはじらいのある人見絹枝にはオリンピックに出てほしいと絹枝は願う。髪留めを留めてあげて、甘いお菓子シベリアを渡す(それをもって絹枝はシベリア鉄道でアムステルダムへ行く)。おしゃれして甘いものを食べてもスポーツで結果を残す、そんな夢をトクヨが託したのだ。
演じる菅原小春はダンサーなだけに、競技の前の柔軟の柔らかさなど目を瞠るものがあった。セリフ演技ははじめてらしいが、豊かな身体表現で負けたとき膝を抱えて泣く姿など感情が倍増して伝わってくる。事前に何度も流れた予告編でもここが印象に残った。この回の演出、大根仁は、撮影している時に、「これは自分の力を超えた、とんでもないものができあがるな」と確信し、現場のスタッフの雰囲気からもそれを感じたという。
対してトクヨのほうは髪の毛も坊主にして、史実によれば生涯独身だった。嘉納治五郎や金栗四三と同じくトクヨは前時代の者で、絹枝はその先を行く者だ。といって嘉納や金栗やトクヨがダメなわけではなくてそういう時代でベストは尽くした。あとは進化という時の流れで一歩先行く人により良いことになっていく祈りを託す。
演じる寺島しのぶは前にもレビューで書いたが、女が歌舞伎役者になれないしきたりに耐えてきた背景をもつ俳優だから、このどうにも超えられない壁を自覚しながら生きている者の思いがにじみ出るように見える。
どっちかじゃなくてどっちも
絹枝に託されたのは、男か女か、どっちかじゃなくて、どっちも兼ね備えた者としての可能性。
どっちも。これは、田畑がやたらと連発する「そう! 違う!」にも現れている。
24回のレビューでも描いたが、「CDになれ」(レコードやカセットテープのA面B面ではなく統合したものの意味)という「池袋ウエストゲートパーク」で宮藤官九郎の書いたセリフ。ほかにも「死にますん」(死ぬか死なないかわからない)というのもあった。このように対立概念を勢いで混ぜてしまうのが宮藤官九郎の脚本の爽快さで、田畑政治や人見絹枝のような過去の概念にとらわれない人物を描くうえでハマるのである。
「そう! 違う!」「そう、関係ない いやあるじゃんねえ」「参加することに意義、ないわあ」とけたたましく意味をひっくり返しながら田畑は、監督やスタッフの大切さを説く。嘉納たちを古さのひとつに、監督や関係者が選手に全部背負わせるからプレッシャーに押しつぶされて実力が発揮できないのだと鋭い指摘する。ここでもまた達者な口で、絹枝をオリンピックに出場させることを決めてしまう。そのとき田畑の意見を聞いていた野口(永山絢斗)がオリンピックで800メートルに挑む絹枝のケアをしはじめる姿を見ると、過去の失敗を経て進化していく段階を踏んでいるのだとこみあげるものがある。いい話だ。
死を想う。
男顔負けの活躍をして、世界に出て「中傷」を「称賛」にひっくり返し、凱旋した絹枝とトクヨはレースのカーテンのある部屋で、花の飾ったテーブルで、シベリアを食べる(女形も歌舞伎でやっている中村勘九郎演じる金栗も最初のオリンピックでは押し花をつくって乙女ぽく、強さと優しさを見せていた)。ピアノの伴奏に合わせてトクヨが教えてきた可憐なダンスを踊る絹枝。その姿を見て「もう化物なんて呼ばせないわ」と満足げなトクヨ。
印象的なピアノ曲は「おばあさんのポルカ」で、踊りは「万歳遊び」という名称だそう。
だが、26回は、絹枝は結婚よりもまずもうしばらく走ると頑張った末、オリンピック出場した3年後、24歳の若さで亡くなってしまうという語り(ナレーション森山未來)で幕を下ろす。
田畑という救世主が現れ、女子スポーツも水泳も好調かと思ったところ、なんとも切ない終わり方だ。でもこの物悲しさこそいい。悲しみと楽しみも繰り返しやってくる。
「人は死ぬ、ゆえに幸福ではない」というセリフはカミュの戯曲「カリギュラ」のセリフだが、人は死ぬけれど、幸福への意思は続く。そのためにも、オリジナルの登場人物・シマが描かれているのだと思う。
そして、偶然ではあろうけれど、田畑が「30歳で死ぬ」から生き急いでいるというようなことを言うのを聞く役なのが萩原健一。そんなふうに見えない気迫をテレビから感じるが、このとき病を抱えていて、「いだてん」に出演した後、亡くなった。日本映画界、ドラマ界、音楽界に多大なる貢献をしてきたスターは68歳という年齢的に死ぬにはまだ早かった。徹底した役作りする真面目さも含んだ危うさ、それでいて華のある俳優は稀有でほんとうに惜しい。でもその死を、意思を引き継いでいくしかないのが人間なのだとしみじみ思った26回。
圧倒的な重みのあった萩原健一の出番は田畑にお金を出して、これで終わりなのだろうか。広報さんに訊ねたところ「編集の兼ね合いもあるためいつまでとお答えすることはできないのですが、今後も出番はございます」とのこと。楽しみ。
それにしても、旅先で女だからといって洗濯や縫い物をさせられた絹枝。「ひでえ扱いですな」(志ん生) ほんと、それ。
二十七回は絹枝の拓いた道に続く水泳選手・前畑秀子(上白石萌歌)の登場! また気分があがった。
大河ドラマ『いだてん〜東京オリムピック噺(ばなし)〜』
NHK 総合 日曜よる8時〜
脚本:宮藤官九郎
音楽:大友良英
題字:横尾忠則
噺(はなし):ビートたけし
演出:井上 剛、西村武五郎、一木正恵、大根仁
制作統括:訓覇 圭、清水拓哉
出演:阿部サダヲ、中村勘九郎/綾瀬はるか 麻生久美子 桐谷健太/森山未來 神木隆之介/
薬師丸ひろ子 役所広司 ほか
第二部 第二十七回「替り目」 演出: 大根仁 7月14日(日)放送
「いだてん」各話レビューは、講談社ミモレエンタメ番長揃い踏み「それ、気になってた!」で連載していましたが、
編集方針の変更により「いだてん」第一部の記事で終了となったため、こちらで第二部を継続してお届けします。