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ダヴィデ・アストーリの悲報から2年、カルチョは「永遠のキャプテン」を忘れない

中村大晃カルチョ・ライター
2018年3月7日、ダヴィデ・アストーリのユニフォームに手を添えるファン(写真:ロイター/アフロ)

3月4日、フィオレンティーナのキャプテンを務めていた元イタリア代表のダヴィデ・アストーリが亡くなって2年を迎えた。

ウディネーゼ戦に向けた遠征中、宿泊していたホテルの部屋で亡くなっているのが見つかったアストーリ。31歳という若さでの、あまりにも突然の死だった。

悲報から2年が経ち、新型コロナウイルスの影響でリーグが混乱していることもあって、命日であることにフォーカスしての報道は、以前と比べて取り扱いが大きくはないように感じる。

だがもちろん、アストーリに思いをはせる人は多い。

『スカイ・スポーツ』は特別番組を用意し、『スポーツ・メディアセット』も彼にささげる動画を投稿した。

フィオレンティーナは「永遠に」とツイートし、命日に全員を集めて練習場で追悼している。

本拠地アルテミオ・フランキには「永遠にキャプテン」との横断幕が掲げられた。

同じく古巣のカリアリも、練習前に黙とうしている。

以下、一部であり、拙訳で恐縮だが、SNSやメディアでの関係者の言葉を紹介したい。

ロッコ・コミッソ(フィオレンティーナ会長)

「この日、我々は我々のキャプテン、ダヴィデ・アストーリを思い出す。私はこの青年と知り合うことに恵まれなかった。だが、すべての人が常に素晴らしい言葉で彼のことを話してくれた。今日は彼の家族、大切な人たち、チームメート、友人…ダヴィデの悲劇的な死に泣いたすべての人たちのことを思う。ヴィオラファミリーはずっとそのキャプテンのことを忘れない」

カリアリ(古巣)

「君がいなくなって2年。チャオ、ダヴィデ」

「君の偉大さは君を不滅にする。君の教えは常に我々とともにある」

ローマ(古巣)

「君はずっと我々と一緒だ」

クレモネーゼ(古巣)

ジェノア

「ずっと我々全員の心に」

レッチェ

「親愛なるダヴィデ、我々はピッチで、我々のヴィア・デル・マーレ(スタジアム)で、また君と会いたかった。対戦相手としてでも、それはたいしたことじゃない。まだ君にそこにいてほしかった!我々は君を忘れていない」

ステーファノ・ピオーリ(フィオレンティーナで指導)

「ダヴィデは特別な人で、模範的なキャプテンだった。いつも適切なタイミングに適切なことを、状況に見合ったトーンで言っていた。常に、誰に対しても寛大で惜しみなく、プロとして完璧だった。いつでもすべてのことに真剣に取り組んでいた。その最高の笑顔で!グランデだ」

ボルハ・バレロ(元チームメート)

「僕らは決して君のことを忘れない」

ジョルジョ・キエッリーニ(元チームメート)

「ずっと僕らと一緒」

マッシミリアーノ・アッレグリ(カリアリで指導)

「素晴らしい思い出がある。彼の最高の特徴はカリスマ性とバランス感覚だった。大きな愛情と喜びで彼のことを覚えている。彼のことはずっと忘れない」(『Firenzeviola.it』にて。抄訳)

アンドレア・バルザーリ(元チームメート)

「代表でロッカーが近く、彼とはよく話した。サッカーのことは少しで、それ以外が多かった。彼は旅行が大好きで、旅のことやどこがお勧めか話したよ。フィレンツェのこともね。レストランや行くべきところを聞いて、彼は街のすべてを説明してくれた。彼とのそのフィーリングを覚えている」(『Firenzeviola.it』にて。抄訳)

フェデリコ・キエーザ(元チームメート)

「ダヴィデ、あなたはずっと僕らと一緒だ」(インスタグラムにて)

ヘルマン・ペッセッラ(元チームメート、フィオレンティーナ後継主将)

「チャオ、ダヴィデ。君が恋しい」(インスタグラムにて)

レオナルド・ボヌッチ(元チームメート)

「どこにいても、僕たちは決して君を忘れない」(インスタグラムにて)

最後に、妻のフランチェスカ・フィオレッティさん(francesca_fioretti)のインスタグラムでの投稿を紹介したい。娘のヴィットリーアちゃんを抱いて海岸に立つ後ろ姿のモノクロ写真には、短い一文が添えられている。

「ヴィットリーア、あなたはこの世界における私にとって唯一の確かな場所。永遠に」

親日家でもあったアストーリだけに、日本でも多くの人が命日に彼を思った。もちろん、日本だけではない。世界の大勢の人々が、彼に思いをはせた。カルチョは、アストーリを忘れない。

命日の翌日、延期されていた第26節が今週末に開催されることに決まった。フィオレンティーナは8日、敵地でウディネーゼと対戦する。

カルチョ・ライター

東京都出身。2004年に渡伊、翌年からミランとインテルの本拠地サン・シーロで全試合取材。06年のカルチョーポリ・W杯優勝などを経て、08年に帰国。約10年にわたり、『GOAL』の日本での礎を築く。『ワールドサッカーダイジェスト』などに寄稿。現在は大阪在住。

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