クリス・インペリテリ/超絶テクニカル・ギターの野獣覚醒【前編】
ギターを極めてデビュー35年。人間の限界に挑戦するテクニック、メロディとスピードを兼ね備えたヘヴィ・メタル・サウンドで絶大な支持を得てきたクリス・インペリテリが率いるインペリテリのキャリアを辿るアンソロジー・アルバム『Wake The Beast: The Impellitteri Anthology』が2022年10月、海外でリリースされた。デビューEP『インペリテリ』(1987)から『ウィキッド・メイデン』(2009)まで、クリス自らが選曲した本作はCD3枚・全33曲で綴るギター・オデッセイであり、“野獣覚醒”というタイトルに相応しい殺傷力を持っている。
その音楽の旅路を集約した『Wake The Beast』発表に合わせて、クリスがインタビューに応じてくれた。全2回の記事で、その道のりを彩ってきたさまざまな出来事を振り返ってもらおう。まずは前編を。
<インペリテリは“バンド”。イングヴェイよりもヴァン・ヘイレンに近い>
●アンソロジー『Wake The Beast』の収録曲はどのようにして選んだのですか?
俺が好きな曲、ファンがライヴで盛り上がる曲、さらにアメリカやヨーロッパでは入手困難なアルバムからの曲、日本盤オンリーのボーナス・トラック...インペリテリの歴史を代表する曲とレア・トラックの数々をリストにしていったら、CD3枚分になってしまったんだ(笑)。今度新しいマネージャーと組むことになって、アンソロジーを出すことも彼が提案してきたことだったけど、彼は長年のインペリテリのファンで「ファンだったら絶対この曲を聴きたいよ!」というアイディアを幾つも出してきた。日本の熱心なファンからすると「全曲聴いたことがある!」という感じかも知れないけど、音楽はトップ・クオリティだし、新しい選曲や曲順で、フレッシュな聴き方が出来るよ。
●ImpellitteriはLとRが混在して、我々日本人にとっては名前を発音することすら困難ですが、それにも拘わらずあなたの音楽は日本で愛されています。それは何故だと考えますか?
アメリカやヨーロッパのメディアとのインタビューでよく訊かれるんだ。「何故日本や韓国など、アジア圏で人気があるのですか?」ってね。正直、これだ!というひとつの理由を挙げることは出来ない。でも日本の音楽リスナーがインペリテリの音楽をハートで感じてくれることは嬉しいし、誇りにしているよ。ファーストEP『インペリテリ』(1987)を作ったとき、目指していたのはディープ・パープルとアイアン・メイデンとジューダス・プリーストにステロイド注射をしたようなサウンド、俺のクラシカルな高速ギター、ロブのロブ・ハルフォードやブルース・ディッキンスンのようなパワフルなヴォーカルだった。低予算だったし、ほとんどスタジオ・ライヴ形式でレコーディングしたんだよ。だから当時のバンドのライヴの熱気をそのままテープに収めることが出来た。あのEPは世界各地で絶賛されたんだ。アメリカではギター雑誌だけでなく一般音楽誌で絶賛されたし、イギリスの“Kerrang!”誌でも最高評価の“KKKKK”だったよ。これから本格的に世界侵攻を始めるというときにロブが脱退することになって、正直ショックだったけど、アルカトラスを解散させて間もなかったグラハム・ボネットに声をかけた。彼とは気が合って、『スタンド・イン・ライン』(1988)を作ったんだ。グラハムはハード・ロック/ヘヴィ・メタル界ではビッグネームだった。イギリスの“ダウンロード・フェスティバル”の前身フェスだった“モンスターズ・オブ・ロック”フェスの第1回(1980年)でヘッドライナーを務めたのが、グラハムのいた頃のレインボーだったんだからね!日本の音楽ファンはそんなバズっぷりを察知してくれたんだと思う。かつてリッチー・ブラックモア、マイケル・シェンカー、イングヴェイ・マルムスティーン、スティーヴ・ヴァイというトップ・ギタリストと組んできたグラハムの新しい相棒のクリス・インペリテリという奴は何者だろう?と興味を持ってくれた部分はあるんじゃないかな。グラハムには感謝している。『Wake The Beast』にも『スタンド・イン・ライン』からの曲が入っているよ。
●日本にはメロディとスピードが大好物のヘヴィ・メタル・ファンがたくさんいるので、インペリテリが受け入れられる土壌があったのだと思います。
日本の人々はインペリテリの音楽がエモーショナルで意味があるものだと受け止めて、ファミリーとして迎え入れてくれた。日本のリスナーは真剣に音楽に耳を傾けてくれるし、ライヴでは最高に盛り上がってくれる。みんな礼儀正しいし、良い関係が長年ずっと続いているのは本当に嬉しいね。2011年にアニメタルUSAという日本向けのプロジェクトをやったとき、ルディ・サーゾといろいろ話す機会があったんだ。彼はオジー・オズボーンやホワイトスネイク、クワイエット・ライオットなどで世界中を回ってきたけど、俺と意見が一致したのは、日本のファンが最高だということだった。もちろん他の国のファンが良くないわけではない。でも日本に来ると、自分の家に帰ってきたような気がするね。
●ギター・ヒーローというとしょっちゅうシンガーの首を切るイメージがあり、例えばイングヴェイ・マルムスティーンは世界中のシンガーをクビにしてしまったため自分で歌うことになりましたが、あなたの『Wake The Beast』は1987年から2010年の20年以上の軌跡を網羅しながら、シンガーが3人しかいないことに驚かされます。特にロブ・ロックとは現在に至るまで長いパートナーシップを続けていますが、彼と一緒にやっていられる秘訣は何でしょうか?
まず第一に、インペリテリはひとつの“バンド”なんだ。俺の名前を付けているけど、ソロ・プロジェクトだったことは一度もない。全メンバーが最高の音楽を作るべく、力を合わせているんだ。だからロブの存在は、俺と同等に重要なんだよ。俺とロブはデビュー前からバー・バンドで一緒にやってきた。いろんなアーティストの曲をカヴァーしたり、オリジナルを書いてきたんだ。彼とは長年の友人だし、音楽的なルーツも似通っているから、波長が合う。もちろんグラハムも凄いシンガーだけど、ロブとやるのが一番安心だし、自分たちを限界までプッシュすることが出来るんだ。俺が曲を書くとき、頭の中でロブの声が聞こえる。そして彼が歌うと、頭の中で聞こえたのとまったく同じ、あるいはそれ以上の凄いヴォーカルが飛び出すんだ。そういう意味で、インペリテリはイングヴェイやスティーヴ・ヴァイよりもヴァン・ヘイレンに近いかもね。デイヴ・リー・ロスやサミー・ヘイガーがヴァン・ヘイレンにおいて重要な位置を占めていたのと同じように、ロブはインペリテリで重要な位置を占めているんだ。
●カーティス・スケルトンというシンガーが『ペダル・トゥ・ザ・メタル』(2004)で歌いましたが、彼はどこから見つけてきて、その後どこに行ったのですか?
カーティスは当時バンドのドラマーだったグレン・ソーベルに薦められたんだ。彼は優れたミュージシャンだった。ヴォーカルはもちろん、ドラムスも叩けたし、ギターも弾けたんだ。グラハムと『システムX』(2002)を作った後、俺たちはそれぞれが新しいことにチャレンジしようという時期に入っていた。『ペダル・トゥ・ザ・メタル』は1990年代スタイルのメタルを意識したオマージュというか、ほとんどパロディに近いものだったんだ。イン・フレイムスやディスターブドのような、ね。「パンク」という曲ではラップ・ヴォーカルを入れたり、アイアン・メイデンで有名なデレク・リッグスにアートワークを描いてもらったり...もちろんギター・ソロは入っているけど、インペリテリとしての“正式な”アルバムとは考えていなかった。いずれロブが戻ってくることを確信していたんだ。これまで彼とは何度も衝突してきたけど、それは兄弟ゲンカのようなものだった。カーティスと組むことになったのは、彼がやっていたバンドが北米“オズフェス”ツアーに出演していたからなんだ。良いシンガーだし、1枚一緒にやってみようと考えた。彼は物静かな人物で、深く知り合うには至らなかったのが残念だ。今ではテキサスに住んでいるらしい。しばらく連絡していないけど、たまにInstagram経由で「元気?」とかメッセージをやり取りしている。音楽は続けているみたいだよ。
<“俺のギター・ソロはもっと速くなるぜ!”>
●『スタンド・イン・ライン』(1988)内ジャケットの“ファンのみんな!俺のギター・ソロはこれからもっと速くなるぜ!”というメッセージは伝説となりましたが、どんな意図があったのですか?
あのメッセージにはすごい反響があったね(笑)。当時の批判や嘲笑はまあ、予想したことだった。EP『インペリテリ』が出たとき、世界各国の雑誌で“世界最速ギタリスト!”とか書かれたんだ。自分がそうではないことは自覚していたけどね。速く弾くだけだったらもっと速い人がいくらでもいるよ。それに俺はオリジネイターでもなかった。俺の前にはイングヴェイ・マルムスティーンがいたし、さらにその前にはアル・ディ・メオラやジョン・マクラフリンがいたんだ。『スタンド・イン・ライン』を作った頃は速弾きギターが持て囃されていた時期で、LAでショーをやると物凄い数のお客さんが来たよ。俺は単なるスピードの向こうにある、自分の音楽を聴いてもらいたかったけどね。アルバムを出す前に、レコード会社に「内ジャケット用にメッセージが欲しい」と言われたんだ。面白くてクレイジーなものが良いってね。当時はまだ1980年代だった。そういう時代だったんだよ(笑)。それでブッ飛んだメッセージを載せたんだ。あれ以上速く弾いたら1音1音が潰れて、フレーズを聴き取れなくなってしまうけど、そこまでシリアスに考えなかった。むしろシリアスだったのは、アンチの方だった。“センズリ野郎!”とか“死ね!”とか真顔で批判されて、それも含めてみんなで大笑いしたよ。
●1980年代前半は音楽の演奏テクニックとテクノロジーが飛躍的に進歩した時代ですが、『スタンド・イン・ライン』をひとつのピークとして、それ以降は生々しい音を志向するブルースやアンプラグドが再評価されるようになり、1990年代のグランジ・ブームへと繋がっていった気がします。実はあのメッセージはテクニックやテクノロジー競争の虚しさをカリカチュアライズした、音楽の歴史を変えた一言だったのではないでしょうか?
ハハハ、自分が音楽の歴史を変えたとしたら、光栄に感じるよ(笑)。実際のところ、俺はちょうど良いタイミングでデビューしたと思う。1980年代には星の数ほどメタル系のシュレッド・ギタリストが登場したけど、正当な評価を受けたのは5人ぐらいだった。イングヴェイ・マルムスティーン、ポール・ギルバート、俺...あと2人はパッと名前が浮かばないけど、とにかく少数だったんだよ。大半は雑誌“ギター・プレイヤー”の新人発掘コーナーを熟読しているようなファンに認知されただけだった。俺はすごく幸運だったんだ。いろんな大物ミュージシャンから「あの黒いEPを持っています!」と言われるし、つい数日前も買い物に出かけたら、雑貨屋で「あなた、ギターを弾く人よね。見たことがあるわ」と声をかけられたばかりだ。
●1980年代のメタル系シュレッド・ギターといえばマイク・ヴァーニーの“シュラプネル・レコーズ”が中心的なレーベルでしたが、あなたは“シュラプネル”と接点を持たなかったほぼ唯一のテクニカル・ギタリストではないでしょうか?
うん、お互いのことを人間的に好きになれなかったんだ。マイクは俺のことが嫌いだったし、俺も彼のファンというわけではなかった。あのレーベルとは関わりたくなかった、絶対に。俺は常にバンドのギタリストとして音楽で自分を表現してきた。エース・ギタリストがバック・バンドを雇ってテクニックをひけらかす、というのは俺のやり方ではないんだ。レコード店にインペリテリのアルバムを置くなら、“テクニカル・ギタリスト”のコーナーではなく、ヴァン・ヘイレンやホワイトスネイクの『白蛇の紋章』、オジー・オズボーンの最初の2枚のアルバムなどと並べて欲しい。
●『スタンド・イン・ライン』から続く『グリン・アンド・ベアー・イット』(1992)は4年という間隔が空きましたが、それは何故だったのでしょうか?もちろんたくさんのギターが入っていましたが、テクニカルなシュレッド・ギターがやや抑えめだったのは、当時のツァイトガイスト(時代の精神)を意識したのでしょうか?
『スタンド・イン・ライン』を発表した後、世界中をツアーしたんだ。北米、ヨーロッパ、そして日本でプレイしたよ。最終公演はサンフランシスコのアリーナで、パット・トラヴァースとのダブル・ヘッドライナー・ショーだった。たくさんのお客さんが来て、すごい盛り上がりだったよ。その後、グラハムは結婚関係のことでオーストラリアに戻ることになった。そうしたら当時のマネージャーから電話があって、アイアン・メイデンの北米ツアーのサポートに起用されると言われたんだ。やった!と思ったけど、グラハムはアメリカに戻らないと言われた。それでアイアン・メイデンとのツアーは実現しなかったんだ。その時点で『スタンド・イン・ライン』を発表してから3年ぐらい経っていて、俺は徐々に音楽シーンが変化してきたのを感じていたんだ。ガンズ&ローゼズみたいなバンドは人気があったけど、メタルはポピュラーではなくなっていた。『グリン・アンド・ベアー・イット』では自分の新しい可能性を模索していた。それで楽曲を練ることにしたんだ。「パワー・オブ・ラヴ」ではホワイトスネイク時代のジョン・サイクスみたいな路線を取っていたし、「ホェン・ザ・ウェル・ランズ・ドライ」はガンズ&ローゼズっぽかった。俺自身には迷いもあったんだ。もっとストレートなパワー・メタルをやるべきじゃないか?ハロウィンみたいな...とかね。でも当時のマネージメントの意見も聞いて、こういうアプローチになった。良いアルバムだと思うし、「ボール・アンド・チェイン」はデフ・レパードをヘヴィにしたみたいで、今でも気に入っている。後悔はないけど、日本のファンからは拒絶反応もあった。『インペリテリ』EPみたいにストレートなメタル・サウンドを求めるファンが多かったんだ。それで次の『ヴィクティム・オブ・ザ・システム』(1993)ではスピード・メタルとギターをフィーチュアしたんだ。
●『ヴィクティム・オブ・ザ・システム』はミニ・アルバムながら、バンドとしてのインペリテリの音楽性を決定づけた重要な作品ですね。
『ヴィクティム・オブ・ザ・システム』の頃はクイーンのヘヴィ・サイドに注目していたんだ。「タイ・ユア・マザー・ダウン」や「シアー・ハート・アタック」もそうだし、「ヴィクティム・オブ・ザ・システム」のリフは「ストーン・コールド・クレイジー」っぽいだろ?俺とロブにベーシストのジェイムズ・プーリが新たに加わって、最高にパワフルな作品になった。『ヴィクティム・オブ・ザ・システム』はロサンゼルスの“ワン・オン・ワン・スタジオ”でレコーディングしたんだ。俺たちが入る直前まで、同じ“スタジオA”でメタリカが『ブラック・アルバム』をレコーディングしていた。エンジニアのマイク・タッチはボブ・ロックと一緒に『ブラック・アルバム』を作ったばかりで勢いに乗っていたし、新たなノウハウも身につけていた。俺たちのレコーディングでも素晴らしいサウンドを捉えてくれたよ。スネア・ドラムもラーズ・ウルリッヒのものを使っているんだ。エディ・ヴァン・ヘイレンがくれた初期型の“5150”アンプを全面的に使っているし、最高のサウンドだった。日本のファンも気に入ってくれて、インペリテリが日本市場で確固たるポジションを占めるようになったのがこの作品で、続く『アンサー・トゥ・ザ・マスター』(1994)はさらなる成功を収めたんだ。
後編記事では引き続き『Wake The Beast』の時代を掘り下げながら、クリスの最近の動向、2023年にリリースされるニュー・アルバムなどについて訊いてみたい。
【アーティスト公式ウェブサイト】
【海外レコード会社公式サイト】
Global Rock Records
https://www.globalrockrecords.com/press/impellitteri_160922.html
【日本レコード会社公式サイト】
ビクターエンタテインメント/インペリテリ