アルゼンチンのメッシは、バルサのメッシと別人なのか?
6月16日、スパルタクスタジアム。ロシアW杯の初戦、アルゼンチン代表リオネル・メッシは憂鬱そうに見えた。気負いのせいだろうか。試合が始まっても、一種の暗さが消えない。
FCバルセロナでプレーしているときとは、様子がまったく違う。顔つきが強張っていた。
「ボールが来ない」
単純にその歯がゆさがあるのだろう。ボールを受けにバックライン近くまで下がる。しかし、それは敵ゴールから離れることを意味した。決定的な仕事ができない。そういうジレンマも彼の心をかき乱すのだろうか。
結局、強引に何度か突破を試みたものの、牙城を崩せなかった。自らのパスからどうにかPKを得たものの、もともと、メッシはPKを得意としていない。蹴ったコースは甘く、GKにセービングされた。
アルゼンチンは伏兵アイスランドに1―1で引き分けている。
そして第2戦、クロアチア戦はさらなる悲劇が待っていた。0―3となすすべなく敗北。グループリーグ最下位に沈み、決勝トーナメント進出が絶望的な状況になった。
メッシはこの日も精彩を欠いている。思い通りにいかないことに苛立ち、ラフなプレーで止めにきた相手選手に激昂する場面もあった。どんなチャージにも動じない。それがメッシだけに、異常な光景だった。
世界サッカー史上最高の選手、メッシに何が起こっているのか?
メッシを擁護するマラドーナ
「アルゼンチンでは、レオがマークを外していてもパスが入らない」
そう語っているのは、ディエゴ・マラドーナだ。86年W杯では5人抜きで得点を決め、世界の頂点に立った男はメッシを擁護した。
「クロアチアにアルゼンチンがいいようにひっぱたかれるなんて、あってはならない。でも、レオはできるだけのプレーをしただけだ。すべてがレオの責任のようにされるが、チームメイトたちの問題を全て解決できるわけではない。アルゼンチンはチームとしてどのようにプレーするのか、伝わってこないからね」
アルゼンチンはプレースタイルが確立されていない。結果、メッシに依存するものの、メッシを生かすメカニズムがないのが現実だ。
その結果、メッシはボールを求め、ピッチを彷徨うことになる。プレーに連続性が生まれない。「勝利こそ全て」というアルゼンチン人の典型であるメッシにとって、受け入れがたい風景が目の前に広がるのだ。
「メッシはアルゼンチン代表でプレーするとき、気持ちが入っていない!」
国内ではそういう批判が根強い。メッシの走行距離は90分間出場した選手で、最も少ない7・1km。うつむいたまま、とぼとぼ歩く様子も非難の的になった。リーダーとしてふさわしくない、という意見もある(敗戦後は相手選手と健闘を讃えることもなく、ロッカールームへ)。
しかし、それ以上にプレーが噛み合っていない。クロアチア戦、メッシのパス本数は27本だった。バルサでは50本近い。受けたパス本数は半分以下。数字は雄弁に語る。
では、なぜバルサでプレーするときのメッシが別人のように映るのだろうか。
バルサのオートマチズム
「バルサは特別なオートマチズムがあるチーム」
そう言われる。あるポジションにボールが入ったら、周りはどう動き、ボールをどう動かすか。ほとんど算術的なオートマチズムがある。
メッシはそのオートマチズムが植え付けられた育成組織で育った。その最高傑作と言えるだろう。コンビネーションの中で技術を用い、城門の錠前を打ち破る。実際、バルサの選手としてはあらゆるタイトルを手にしている。
バルサでは、メッシが欲しいタイミングでパスが入るし、メッシが走って欲しいタイミングで選手がスペースに入る。オートマチズムに心地よさがある。メッシは激闘の中でも、表情を輝かせ、笑顔さえ漏れる。
一方で、そのオートマチズムは実は複雑で、どんなに優れた選手でも1年目は適応に苦しむ。シンプルに見えるパス交換も、阿吽の呼吸の中で高い技術を発揮せねばならず、フィットするのは簡単ではない。ただ高度なコンビネーションであるがゆえに、敵を叩く武器になるのだ。
バルサだからこそメッシは輝き、メッシがいるからこそバルサは輝く
もっとも、バルサのオートマチズムで育った選手は、「他のチームで成功しない」という問題を抱えている。バルサのパスのメカニズムが特殊すぎるからだ。他のチームでは、リズムがずれる。「なんでそこで長いボールを蹴る」「もっとつなげよ」と不満を覚える。多くの場合、そのズレを解消できずにチームを去ることになる。
「バルサだからこそメッシはこれほどに輝き、メッシがいるからこそバルサはこれほど輝く」
そういう式が成り立つかもしれない。
オートマチズムはメッシにとって、羽ばたくための翼のようなものだろう。
アルゼンチンでは翼をもがれたままだ。
6月24日、メッシは31歳の誕生日を迎えている。過去、最も苦味のあるケーキを口にしたに違いない。
アルゼンチン人としての矜持
2006年1月、筆者はメッシのインタビューをしているが、少し意外な返答があった。
―今までのキャリアで、一番嬉しかった瞬間は?
「アルゼンチンUー20代表で優勝したときだね。具体的に言えば、(2005年に)オランダで行われたワールドユース(現在のUー20W杯)、ナイジェリアを相手にPKを決めて勝った瞬間さ。アルゼンチン人にとって、水色のユニフォームで勝つというのは超が付くほど特別なものなんだ。たぶんその感覚は、他の国の人には伝わらないだろうけどね」
当時のメッシは表情の変化が乏しく、思いを言葉で説明するのを嫌うところがあった。しかし水色のユニフォームを纏い、PKを決めて勝った一場面を思い出したとき、少年はうっとりした表情を浮かべていた。そして当時、すでにバルサでデビューし、栄えあるリーグ優勝も経験していたが、メッシはアルゼンチンU―20代表で勝ち取ったタイトルの瞬間を選んだ。
メッシにとって、どれだけアルゼンチン代表のユニフォームが重いのか。それは計り知れない。2016年、コパ・アメリカ決勝で敗れ、批判にさらされたとき、メッシは代表引退を表明している。
「アルゼンチン人として勝利し、頂点に立つ」
それのみが正義で、それが果たせなかったとき、罪深さを感じたのだろう。
その後、メッシは代表引退を撤回。キャプテンとして、今回のW杯に臨んでいる。
6月26日、メッシは背水のナイジェリア戦に挑む。
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