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【光る君へ】紫式部は本当は清少納言が嫌いだった?実際にはどんな関係?(相関図・家系図)

陽菜ひよ子歴史コラムニスト・イラストレーター

NHK大河ドラマ『光る君へ』。世界最古の女性文学『源氏物語』の作者・紫式部(演:吉高由里子)と、平安時代に藤原氏全盛を築いた藤原道長(演:柄本佑)とのラブストーリー。

このドラマ『光る君へ』において、視聴者の関心の一つにまひろ(紫式部)とききょう(清少納言=演:ファーストサマーウイカ)が、それぞれ「どうやって執筆を始めるか」が挙げられるだろう。先週5/26の放送で、ついに清少納言は『枕草子』を書き始めた。

◆『枕草子』の書かれた背景

◎日本三大随筆の一つにして「をかしの文学」

清少納言の『枕草子』は、今さら言うまでもないが、現代でいう随筆集(エッセイ集)である。鴨長明の『方丈記』、兼好の『徒然草』と並んで日本三大随筆と呼ばれる。

彼女は鋭い観察眼を生かして、自身の美意識や感性を、ピリリとスパイスの利いた言葉で表現。彼女が心惹かれるものを「いとをかし」(現代的いえば「とっても素敵」「ときめくわ!」)と書くことが多かったため「をかしの文学」と呼ばれている。

あまりにも有名な冒頭、第一段「春はあけぼの」では、「春は夜明け」「夏は夜」と、清少納言の四季論が展開される。ほかに清少納言が宮中で見聞きしたことや、人物評なども、なかなか手厳しい言葉も交えて書かれる。

中宮定子(演:高畑充希)の女房(侍女)だった清少納言。彼女はドラマ内同様、相当な「定子推し」で、『枕草子』には定子のサロンの華やかな様子が生き生きと描かれるのだ。

◎ドラマ内でも描かれた「雪見の場面」

ドラマでも描かれた雪見のシーンは、「春はあけぼの」同様に『枕草子』の有名な場面(第二八〇段「雪のいと高う降りたるを」)である。

当時、教養ある人々は有名な和歌や漢詩の一部を用いて対話をするのが「粋なお遊び」だった。教養深く聡明な定子はある雪の朝、清少納言に尋ねた。

「少納言よ。香炉峰の雪はどんなであろう」

そう定子に問われた清少納言は、サッと簾(すだれ)を高く巻き上げ、目の前に雪の庭がパッと広がった。定子は(満足げに)笑った、とある。

もとの白居易(はくきょい・別名/白楽天)の『白氏文集』に「香炉峰の雪は簾を上げて眺める」とあるため、ここは「簾を上げる」が正解。大好きな中宮に認められて、得意げな清少納言の顔が浮かんできそうな一文。

まるで今、現在形で書き留めたかのようなみずみずしく明るい筆致だが、実は枕草子に書かれたこれらのことは過去のできごとなのである。

◎明るい筆致とは真逆のつらい境遇の中で生まれた作品

ドラマと同様、清少納言が『枕草子』を書き始めたのは、すでに定子の父・藤原道隆(演:井浦新)が没し、定子の実家・中関白家が没落の一途をたどるようになってから。

成立時期は正確には不明。ドラマで現在描かれる996年にはすでに多くの部分が書かれたと考えられており、定子が崩御した1001年ごろには完成したとみられている。

『枕草子』には一貫して「定子に起きた悲劇」ついて書いていない。たとえば、定子が、中宮大進の平生昌(なりまさ)の家に行ったり、女房たちが縫いものをしたりする様子などがコミカルに描かれる。

しかし実際には、帰る実家のない定子が、身分の低い生昌の家で出産せねばならず、女房たちの縫っていたのは道隆の葬儀のための装束であった。そのようなみじめな様子や不安などは決して書かれることはなかったのだ。

◎中宮定子とそのサロンのすばらしさを永遠に残した

ドラマ内で定子のもとに集っていたのは主に中関白家の人々だったが、実際には多くの貴族たちが定子のサロンを訪れた。『枕草子』には藤原斉信(ただのぶ・演:金田哲)や藤原行成(演:渡辺大知)と清少納言の仲のよい様子が描かれている。

斉信も行成も道長政権において重要な働きをする人々であるため、伊周の失脚とともに定子のサロンからは足が遠のいたことだろう。

ドラマの中で斉信は清少納言に「定子には見切りをつけろ」と助言していた。なんなら「スパイとして俺に奴らの動きを報告しろ」とまで言っている。道長一派である彼らと親しくしすぎたせいで、実際に清少納言はいじめにあったと伝わる。

でもそんなことでは負けないのが我らが清少納言。彼女は敬愛する定子と愛してやまないサロンを永遠に残すために、筆を執ったのだ。

ここでざっと、紫式部と清少納言を含む家系図を確認してみよう。

紫式部が名門・藤原北家の血を汲む家柄なのに対して、清少納言は清原氏の出身。
紫式部が名門・藤原北家の血を汲む家柄なのに対して、清少納言は清原氏の出身。

◆『源氏物語』の書かれた背景

◎世界最古の大河小説にして「あはれの文学」

『源氏物語』についても一応おさらい。

『源氏物語』は、「世界最古の小説」だといわれている。しかもほぼ日本古来の言葉(大和言葉)のみで書かれた大長編小説である。原文は非常に難解であるが、現代語訳でも読了できる人はまれだといわれる。

作者は別人説や数人説など諸説あるものの、現在では紫式部一人の手によって書かれたとするのが定説。帝の皇子でありながら臣下に下った光源氏の栄華と晩年の苦悩、さらに子孫のの恋愛模様を五十四帖、90万文字以上で綴る。

天皇に並ぶ位と高貴な妻を得て、栄華を極めた光源氏。しかし最愛の人・紫の上を幸せにできず、自身も真の幸せをつかめないまま亡くなる。人生の「無常観」漂うその作品世界や美意識は「もののあはれ」と呼ばれる。

『枕草子』の「をかしの文学」に対して『源氏物語』は「あはれの文学」といわれるのだ。

◎夫を亡くした悲しみを癒すために書き始めた

紫式部がドラマにおいて『源氏物語』を書き始めるのは、残念ながらまだ先である。996年、彼女は父について越前に行くが、1年半後には一足先に帰京して、998年にまたいとこの藤原宣孝(演:佐々木蔵之介)と結婚

宣孝は父・為時の蔵人時代の同僚で親戚ではあるが、ドラマのようによく遊びに来る間柄だったかどうかは不明である。

親子ほど年が違い、自分と同世代の息子もいる宣孝。彼の正妻にすらなれなかった式部は、自分の結婚をどう考えていたのか、はっきりとはわかっていない。自分の身分ではこれで充分と受け入れていたのかもしれない。

この結婚生活の幸不幸については諸説ある。頭がよすぎて物事を難しく考えがちな式部と、派手好きで茶目っ気のある宣孝(かなりのモテ男だったらしい)。

2人の精神年齢は、実年齢ほど離れていなかったのではないか。お互いに理解し合うことは難しい関係かもしれないが、ドラマの通り、意外とウマが合ったのかもしれない。

(参考記事:「【光る君へ】正反対だから惹かれあった?陰キャな紫式部の結婚生活とは?(相関図・家系図)」5/19(日) )

いずれにしても、宣孝はたった3年ほどで式部と娘を残してあっけなく亡くなってしまう。その悲しみを癒すために彼女は物語を書き始めたといわれている。夫の死で式部が心に抱いた「無常観」や「虚無感」が『源氏物語』のベースとなっているのだ。

◎与えられたミッションは「彰子のサロン」を盛り上げること

中宮定子の面影を永遠に残すために書かれた『枕草子』。では『源氏物語』にはどのような役割があったのか。

紫式部は道長の娘・中宮彰子(演:見上愛)の女房である。女房の仕事は本来、主人の身の回りの世話や家庭教師的な役割である。

この時代の女性には一般的に漢詩の素養は必要なかったが、后妃には漢詩の知識を求められた。そのため、定子のサロンには清少納言、彰子のサロンには紫式部や和泉式部、赤染衛門(演:凰稀かなめ)、伊勢大輔のような才媛たちがそろえられたのだ。

後宮の女房には「主人(后妃)の後宮を盛り上げる」役目もあった。とくに当代一の人気小説『源氏物語』は一条天皇(演:塩野瑛久)を彰子のもとへ呼ぶエサとしての役割があったと考えられている。

◎「定子サロン」と比較され続ける「彰子サロン」

教養ある一条天皇は、聡明な定子と才気あふれる女房たちで構成されたサロンを愛した。定子亡き後も彼女を忘れられずにいた一条天皇。

一方で、彰子付の女房たちは身分高い出自の女性が多かった。道長が摂関大臣クラスの娘を集めたためである。これは彰子のステータスを高め、ほかの女性が一条天皇の后妃になる可能性を減らすためでもあった。

貴族女性は顔を見せたり声を聴かせたりしてはならないとされた時代、高貴な女性であるほど、引っ込み思案で男性とろくに話もできない。それどころか、呼ばれても返事もしない女房も多かったという。

「彰子のサロンはつまらない」と貴族たちは寄り付かない。紫式部は『紫式部日記』において、「もっとしっかりしてくれ!」と身分の高い上﨟(じょうろう)女房たちにカツを入れている。

そこへ清少納言が『枕草子』を次々と完成させる。貴族たちの間では「定子の時代はよかった」と懐かしむ空気が生まれてくる。紫式部をはじめ彰子サイドは「(世間にも一条天皇にも)定子のことを早く忘れてほしい」のに!清少納言は忘れさせてくれないのである。

◎リアリスト・紫式部の作家としての視点

紫式部と清少納言は実際には顔を合わせたことはないといわれている。清少納言が紫式部をどう思っていたかは伝わっていない。

紫式部は『紫式部日記』において、清少納言を鋭く批判している。「漢詩が得意だというけど、大したことはない」「自分は個性的だと得意になっているけれど、行きつく先は『ただの変な人』である」とかなり手厳しい。

しかし、それ以上に最後の言葉は辛辣だ。「風流とは程遠いことすらも『素敵』などといっているが、そのうち現実とのギャップが広がって、周りからは『うわべだけの噓』だと思われる。そんな人にこの先、いいことなどあるはずかない」

たしかに、清少納言が書き留めている美しい世界は現実ではない、虚構の世界だといえる。それは清少納言が強い意志を持って暗い悲劇的な面を書かなかったということもあるが、そもそも気質的に、彼女は物事の明るい面を見ようとする人だったのだろう。

紫式部はそうではない。彼女は現実を直視し、悲しみ・苦しみに満ちた暗部から目をそらさない。だからこそ、彼女が『紫式部日記』に書くように「人生は苦悩に満ちたもの」となり、支えとなったのが「書くこと」だったのだ。そんな彼女の作家としての姿勢、リアリズムが、『源氏物語』の中には息づいている。

リアリスト・紫式部は「作家」として清少納言の在り方に「NO」を突き付けるが、この2人が顔を合わせ、じっくり話していたら、関係性はどう変わっただろうか。

清少納言は式部の夫・宣孝と同じイケイケのパリピ系。紫式部とは正反対であるが、会っていたら、ドラマのように意外と気が合ったかもしれない。『史記』を『四季』と掛け合わせて笑い合えるような友人はお互い以外にいなかったのではないか。

そう考える歴史ファンにとって、このドラマは「夢をかなえてくれた」といえなくはないか。

◆紫式部と清少納言の「友情」は史実をどう超える?

◎定子のための『枕草子』

『枕草子』執筆のきっかけを『光る君へ』はどう描いたのか。

父の死後、兄弟が罪人となり、定子は発作的に出家してしまう。実家である二条邸が炎に包まれる中、助けに来た清少納言に「生きていても空しいだけだ」と死を望む定子。ききょうの必死の説得で逃げ延びたものの、定子はすっかり生きる気力を失ってしまう。

絶望の中にいる定子にとって、ききょうの存在は「一筋の光」に見えたことだろう。また、ききょうにとってまひろは、唯一心を許せる存在として描かれる。

定子をどうしたら元気にできるかと苦悩するききょうに、まひろは「書くこと」を勧めるのである。

清少納言に『枕草子』を書くように勧めたのが、ほかならぬ紫式部だった。なんと素晴らしい神展開だろうか。

◎『紫式部日記』での清少納言批判はどう描かれる?

史実と異なるという批判があるのはわかる。しかしそれでもあえて問う。「たった一人の哀しき中宮のために『枕草子』は書き始められた」この言葉を涙なしで聞ける人はどれくらいいるだろうか。

多くの平安ファンにとって、待ち望んだ以上の展開であったことに違いない。ただ唯一、このドラマを史実と思いこんでしまう人がいることが問題なのは確かだ。

気になるのは、前述した「紫式部が書いた清少納言批判」である。ドラマにおいては10年以上先の話。どう描くのか、それとも触れずにおくのか。またもや予想外の展開で視聴者の「胸を震わせる」ことを期待したい。

(イラスト・文 / 陽菜ひよ子)

◆主要参考文献

フェミニスト紫式部の生活と意見 ~現代用語で読み解く「源氏物語」~(奥山景布子)(集英社)

ワケあり式部とおつかれ道長(奥山景布子)(中央公論新社)

紫式部日記(山本淳子編)(角川文庫)

枕草子(角川文庫)

歴史コラムニスト・イラストレーター

名古屋出身・在住。博物館ポータルサイトやビジネス系メディアで歴史ライターとして執筆。歴史上の人物や事件を現代に置き換えてわかりやすく解説します。学生時代より歴史や寺社巡りが好きで、京都や鎌倉などを中心に100以上の寺社を訪問。仏像ぬり絵本『やさしい写仏ぬり絵帖』出版、埼玉県の寺院の御朱印にイラストが採用されました。新刊『ナゴヤ愛』では、ナゴヤ(=ナゴヤ圏=愛知県)を歴史・経済など多方面から分析。現在は主に新聞やテレビ系媒体で取材やコラムを担当。ひよことネコとプリンが好き。

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