【光る君へ】歴史の中の悪役・藤原道長が残した功績とは?紫式部が未来に託した願い(家系図/相関図)
NHK大河ドラマ『光る君へ』。世界最古の小説『源氏物語』の作者・紫式部(まひろ)(演:吉高由里子)と、平安時代に藤原氏全盛を築いた藤原道長(演:柄本佑)との愛の軌跡を描いてきた。
ついに物語はフィナーレへ。ラブストーリーからはじまった物語は壮大な歴史の流れを描いて集結した。
◆最後まで仲の良い清少納言と紫式部
◎10年を駆け足で描いた最終回
最終回は10年間のできごとを駆け足で放送した。前回の「刀伊の入寇(といのにゅうこう)」は1019年で道長の死は1028年。
冒頭で、まひろと廊下で顔を合わせていた道長が寝たきりになるまで、10年の間に道長は4人の子を見送っている。
1025年にはドラマ内で描かれた末娘の嬉子(よしこ・演:瀧七海)以外に、明子の娘で三女の寛子も27歳で没している。
1017年には、三条天皇の中宮妍子(きよこ・演:倉沢杏菜)と、明子の子で若くして出家した顕信(演:百瀬朔)が亡くなった。この2人は生まれた年も亡くなった年も同じで享年34歳。
末娘の嬉子は彰子の次男・敦良親王(後朱雀天皇)の東宮妃として入内し親仁親王(後冷泉親王)を産むが、赤斑瘡(現在の麻疹)で出産の2日後に薨去。19歳の若さだった
なお、紫式部の娘の賢子(越後弁、大弐三位)が乳母を務めたのが、このとき生まれた親仁親王である。
つまり、賢子も結婚して子を産んだということ。諸説あるが、賢子の最初の夫はあの道兼(演:玉置玲央)の子・兼隆だという説が有力である。
道長は、疫病で兄たちが早世したことで出世の道が開かれた。皮肉にも、末娘の嬉子が疫病で亡くなったことで、彼の権力基盤はゆらぎはじめるのだ。
◎大したことを成し遂げたと笑う清少納言
まひろが市で出会った不思議な娘・ちぐさは、菅原孝標の娘(すがわらのたかすえのむすめ・演:吉柳咲良)といって、『更級日記』の作者。
このころすでに書いていた『更級日記』には『源氏物語』を昼夜問わず読みふけったと書かれている。
少し前ならば「オタク」今なら「推し活」女子というところ?まさか作者本人とは知らず熱心に読み聞かせるところが、いかにもオタク女子。
自分が作者だと明かさずにニヤニヤときいているだけのまひろ。
ききょう(清少納言)(演:ファーストサマーウイカ)に「なぜご自分が書いたといわないのです?」と問われて「そのほうがおもしろい」と答えるのも紫式部らしい。
さて、菅原孝標の娘、文才があるのは当然である。
彼女はあの学問の神様・菅原道真の来孫(5代後の子孫)に当たる。しかも母の異母姉は、『蜻蛉日記』を書いた藤原道綱母(財前直見)なのだ。
親族は学者ぞろい、紫式部の家に負けるとも劣らない学者の家なのである。
ここまでの家系図&相関図を、ここでどうぞ!
感慨深いのは、ききょうとまひろの会話である。
「思えば枕草子も源氏の物語も、一条の帝の心を揺り動かし、政さえも動かしました。まひろさまもわたくしも、大したことを成し遂げたと思いません?」と誇らしげにききょうがいい、同意したまひろと2人で高らかに笑い合ったこと。
彼女らは決してそこまで恵まれた境遇に生まれたわけでもなく、現在まで本名すら伝わってはいない。それでも彼女たちの遺した作品は、時を超え遠く海外まで届き、今この瞬間にも新たな読者を獲得している。
2人は実際には会ったことはないとされるが、もしも会ってゆっくり話す機会があれば、本当にそういって笑ったのではないか、いやそうあってほしい。しみじみ、視聴者の妄想を映像にして届けてくれた作品だったと感じる。
◆自由になったまひろが見た、新しい時代とは
『光る君へ』で若き日の道長は「民のための国をつくる」という野心に燃えていた。死の床で彼はまひろに問う。「自分は今まで何をしてきたのか?」まひろは静かに答える。「戦のない、泰平の世を守られました。見事な御治世でありました」と。
では実際の道長はどのような政治家だったのか?
◎民のための政策に取り組んだ
藤原道長といえば、権力欲に満ちた腹黒い政治家のイメージが根強いが、彼は同時代の公卿と比較すれば、それなりに政治家として仕事をした記録が残っている。
ドラマ内で一条天皇が贅沢を禁じ、自らも清貧な生活を送ったことが描かれたが、道長も天皇とともに「長保元年令」を発令し物価対策などの社会政策をおこなった。
紫式部のいう通り、道長政権の世は平和だった。
道長の政治家としての評価は決して高くはない。彼の一番の功績は、紫式部をはじめとする女流文学や王朝文化が花開いたことだ。しかしそれはつまり、彼の治世が安定していたからこそなしえたのだともいえる。
それには藤原実資(演:秋山竜次)や藤原行成(演:渡辺大知)ら四納言のような有能かつ万事に通じた側近がいたことも大きい。
余談だが、道長と行成は同日に没したことを(これは史実である)実資は日記に書き綴っていた。
彼の一筋の涙は、自分より年若い2人(道長62歳、実資71歳、行成56歳)が先に旅立ったことへの無念さの表れだろう。実資は89歳まで、まだ18年も生きるのだ。
◎光る女君・賢子
新しい時代の担い手として、娘・賢子の姿も鮮やかに描かれる。
賢子が密会していたのは、道長の息子・頼宗(演:上村海成)である。明子の子である頼宗は、倫子の子らと比較すれば昇進に後れを取ってはいるが、中流貴族の賢子から見れば雲の上の人。
それなのに、まったく臆するところのない賢子。
賢子は頼宗以外に、公任(演:町田啓太)の子・藤原定頼や、斉信(演:金田哲)の弟・藤原公信、源倫子(演:黒木華)の甥にあたる源朝任と歌のやり取りをしていたと伝わる。
ドラマでは、そんな彼女に頼宗は不満を漏らすが、「わたしは光る女君ですもの。それがイヤならもうお会いしません」とニッコリ。悔し紛れに頼宗は「おれのような上流の者に愛でられていることをありがたく思え」とマウントを取ろうする。
「さあどうかしら。上流だって、優れた殿御はめったにおられませんわよ」
あっぱれ賢子!賢子こそ、紫式部が『源氏物語』で「自由な女性」として書いた「朧月夜(政敵の娘ながら光源氏と関係を持つ)」のさらに上を行く「新しい女性像」を体現していくのかもしれない。
それこそが、紫式部が願ったことなのではないだろうか。
賢子の恋模様の相関図。
頼宗とほかの兄弟の関係、賢子が乳母を務めた後冷泉天皇も詳しい系図はこちら。
◎新しい時代へ
道長薨去の翌年、旅に出たまひろは双寿丸(演:伊藤健太郎)と偶然出会う。以前とは違う、甲冑を着こなした武者姿の双寿丸…。大人になった彼に、もう双寿丸の名は似合わない。
彼は東へと戦に向かうという。それを聞いたまひろは戦慄する。道長の死とともに、一つの時代が終わったことを感じたのだ。
双寿丸が向かった先は、平忠常の乱。上総国・下総国・安房国(房総半島)で起きた反乱で、鎮圧まで3年の月日を要した。この乱を収めたのは源頼信である。
源頼信は、のちに東国を制する源義家の祖父で、鎌倉幕府初代将軍の源頼朝の祖先なのだ。
この乱をきっかけに、平直方をはじめとする坂東平氏たちが河内源氏の配下に入り、源氏の勢力が拡大するきっかけとなった。それが160年後に頼朝が鎌倉幕府を開くことにつながっていく。
まさに、武士の時代の幕開けなのである。
(イラスト・文 / 陽菜ひよ子)
◆主要参考文献
紫式部日記(山本淳子編)(角川文庫)
ワケあり式部とおつかれ道長(奥山景布子)(中央公論新社)
フェミニスト紫式部の生活と意見 ~現代用語で読み解く「源氏物語」~(奥山景布子)(集英社)