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木村秀子が語る〈マタイ受難曲2021〉【〈マタイ受難曲2021〉証言集#08

富澤えいち音楽ライター/ジャズ評論家
〈マタイ受難曲2021〉カーテンコール(撮影/写真提供:永島麻実)

 2021年2月、画期的な“音楽作品”が上演されました。その名は〈マタイ受難曲2021〉。バロック音楽を代表する作曲家ヨハン・セバスチャン・バッハによる〈マタイ受難曲〉を、21世紀の世相を反映したオリジナル台本と現代的な楽器&歌い手の編成に仕立て直し、バッハ・オリジナルのドイツ語による世界観から浮かび上がる独特な世界を現代にトランスレートさせた異色の作品となりました。このエポックを記録すべく、出演者14名とスタッフ&関係者6名に取材をしてまとめたものを、1人ずつお送りしていきます。概要については、「shezoo版〈マタイ受難曲2021〉証言集のトリセツ」を参照ください。

♬ 木村秀子の下ごしらえ

 ピアノを始めたのは5歳。向かいの家の幼なじみが通い始めた近所のピアノ教室へ一緒に行くため、というのが動機だった。

 アップライト・ピアノがあるという家庭環境ではあったものの、クラシックよりは歌謡曲を好む親のもと、3人兄妹のひとり末娘として「やりたいと言うのなら……」といろいろとやらせてみた習い事のひとつだったことは否めない。

 それが証拠に、中学になるとピアノから心は離れてバレーボールに夢中に。

 「突き指しまくっていた」という日常に音楽が戻ってきたのは大学入学後。ピアノを習っていたことを思い出し、「おもしろそう」と手を出したのがジャズとの出逢いだった。

 とは言っても、試しに覗いたジャズのサークルにはなじめず、どうせやるならとプロ・ミュージシャンの個人レッスンを受けることにした。いまから思えば、それが音楽人生の転機だったのかもしれないと笑う。

 大学を卒業するとピアノ調律師の会社に就職。休日に趣味でジャズの演奏に参加するという生活が始まったのだけれど、すぐに調律の仕事よりピアノを弾くほうが楽しくなって離職してしまう。

 銀座のクラブで定番の「スターダスト」を弾いたりもしていたが、スタンダードよりもオリジナル曲のウケが良くて、独自路線を歩むようになって現在に至る。

♬ バッハはパズルゲームみたい?

 私にとってのバッハは、近からず遠からず、という感じでしたね。ピアノを習っていたころにいくつかの曲は弾いたことはありましたけど、特に興味が湧いたわけでもなく、〈マタイ受難曲〉もその存在は知っていましたが、ピアノとは結びつかなかったかな。

 バッハって、練習曲のイメージが強いんじゃないでしょうか。指のトレーニングというか、ジグソーパズルのピースを組み合わせていくようなイメージ。

 とにかく、幾何学的というか数学的というか、いわゆる“メロディが入ってくる”というタイプの曲ではないと感じていました。ジャズに興味をもったのも、メロディとコードの組み合わせに惹かれたところが大きかったんです。濁りとか雑味とか、そういうのがバッハにはないと思っていたんですね。パズルがピシッと収まったときと同じような、整った音楽といった感じかな。

 私、チューバの桃ちゃん(佐藤桃)と友だちだったので、彼女が出演する横濱エアジンへライヴを観に行ったんですよ。2017年だったかな。そこで彼女と一緒に出演していたのがshezooさんだったんです。shezooさんといえばもう有名でしたから、もちろんお名前は存じ上げていましたけれど、実際の演奏を生で聴いたのはそのときが初めてでした。

 で、終演後に挨拶させていただいたんですが、いきなり「今度、連弾やりましょう!」って言われたんです。

 まぁ、この世界では挨拶代わりに「共演しましょう」と言うことも多いんですが、たまたまそのすぐあとに、とあるライヴハウスから「スケジュールが空いたからライヴをやりませんか?」って声をかけていただいたんです。そのときに、「あっ、shezooさんと数日前にご一緒しませんかって言われてた」と思い出して、せっかくだから気が変わらないうちに打診してみようと連絡してみたら、快諾していただけたというのがご一緒するきっかけでした。

本番前、分厚いスコアを手にステージに向かう木村秀子(写真=左、写真提供:佐藤桃)
本番前、分厚いスコアを手にステージに向かう木村秀子(写真=左、写真提供:佐藤桃)

♬ めちゃめちゃ重要なポジションに抜擢

 そのshezooさんから、「2021年2月に〈マタイ受難曲〉をやるので、コーラス部分をサポートしてもらいたいから、オルガンとして参加してくれませんか?」というMessengerが、いきなりポンッと届いたんです。

 私、そもそも〈マタイ受難曲〉をよく知らないし、オルガンって言われても普段は弾いてないし……。それでいいのかな、というのが最初に浮かんだ感想でしたね。

 それからYouTubeで〈マタイ受難曲〉を観てみたんですけれど、オルガンってめちゃめちゃ重要なポジションじゃないですか。そのあたりをshezooさんにうかがってみたら、「キーボードでオルガンの音を出してくれればいいから」って言われて、「はい……」という感じだったんですね。

 それで、2020年の7月に横濱エアジンでプレ演奏会のようなライヴがあったんですが、そのときに自分で〈マタイ受難曲〉の譜面を買ってきたんですけど、そもそもオルガンのパート譜って、数字やらなにやらいろいろ書き込んであって、読み方がわからない。なので、shezooさんにお願いしてピアノ譜にしてもらったんですが、そこでようやくバンドのなかの自分の役割みたいなものが見えてきたという感じでしたね。

 でも、本番ではVOCALOIDが入るということだったので、最初に言われていた“コーラスのサポート”というよりは、オルガンとしての役割というか、ちゃんとした音色を発する役割を担わなければならないんじゃないか、と。あれ? いつのまにか役割が増えてるぞ、みたいな……。

 それだけじゃなくて、そのピアノ譜自体が難しくて弾けない。で、shezooさんに「どうすればいいですか?」って尋ねたら、オルガンというのはベースラインをキープすることが主で、それ以外はわりと自由に演奏してもいいと教えてもらったので、だったらできそうかなと思うようになったんですけど。

♬ バッハが目論んでいた自由度の高さを実感

 shezooさんに書き直してもらった譜面って、コードだけ振ってあるところもあったりと、私としては気楽に取り組めるものになっていました。まぁ、これじゃ〈マタイ受難曲〉じゃないよと言われるかもしれませんが……。

 でも、私には〈マタイ受難曲〉のイメージがほとんどなかったので、言われるがままにやるしかないなという感じだったんですよ。それに、自分で担当するのは4声ぐらいだろうから、そのなかで自由に演奏すればいいんだろう、と。それってつまり、バッハの曲自体が自由度の高い音楽でもあることを示していたんじゃないかと思うんです。

 そんな感じで二転三転しながら、完成を模索しながら本番が近づいてきたんですけれど、前日になっても「コロナ禍の影響で上演時間が短くなったからプログラムを変更します」という連絡があったりと、バタバタしたままでしたね。結局、私が練習していた12曲のコラールのうち9曲がカット。でも、いちばんツラいのはshezooさんだろうから……。

 初日の朝になってもどうなるのか、本当のところはわかっていなかったんだと思います。なんといっても〈マタイ受難曲〉でVOCALOIDと共演するんですからね。メンバーはみんな、VOCALOIDのことを「ミクちゃん」って呼んでいたんですけど、私としても人間のヴォーカルの伴奏と同じぐらいの厳しさで本番を迎えたという感じだったというのが正直なところでした。

 それにしても、ほとんどタイムラグもないし、「ミクちゃん」とは人間と遜色ないパフォーマーとして共演できたんじゃないかって思っているんですよ。それについては、酒井さん(酒井康志)がすばらしかったということなんですけどね。

 本番の感想については、ぶっつけの部分も多かったので反省点も多いのは確かです。でも、客席の反応も良かったし、SNSなんかでも評判が良かったので、自分としてはひと安心でした。

 ただ、翌日の朝、両足の太ももがバキバキに筋肉痛だったんですよ。ピアノって、弾きすぎて腰や肩が痛くなることはあるんですけれど、両ももが痛くなったのは初めて。それぐらい緊張して踏ん張っていたんでしょうね。クラシック畑の人なら慣れているからそんなに緊張しないんでしょうけれど……。

 それはともかく、shezooさんがあえてガチガチのクラシック畑の人を起用しなかったのは、この〈マタイ受難曲〉そのものに汎用性があるというか、「コーラスサークルのご婦人たちが年末に第九を歌う」みたいなノリでいいんだよというか、決してハードルは高くないということを伝えようとしたんじゃないか、と。

 その意味ではその役割を十分に果たすことができたし、自分自身、とてもおもしろい、良い体験をさせてもらったコンサートだったと思いますね。

〈マタイ受難曲2021〉公演終了後のオフショット(撮影/写真提供:永島麻実)
〈マタイ受難曲2021〉公演終了後のオフショット(撮影/写真提供:永島麻実)

Profile:きむら ひでこ ピアニスト、キーボード奏者

千葉県流山市出身。5歳からピアノを始める。大学時代にジャズに関心をもち、ジャズピアノを始める。大学卒業後はジャズピアニストとして首都圏のライヴハウスで活動する。ピアノを弾いていくうちに自作曲も増え、作曲のおもしろさに目覚める。

2008年、中越大震災チャリティーCD『越後組曲』をリリース。ひょんな縁で繋がった新潟の人々や日本酒との出逢いを通して生まれた自作曲を収録。朝日新聞、東京新聞、神奈川新聞、新潟日報、雑誌「週刊金曜日」などに掲載される。

2016年と2019年にカナダ・モントリオールの音楽フェスティヴァル“Festival du Monde”に出演。

2017年、セネガル人アーティストZale Seckの日本公演で音楽監督を務め、2018年2月にはセネガルのテレビ番組に出演。また、ダカールで現地のミュージシャンたちとライヴを行ない地元テレビで放送される。

2018年10月、日本×イタリア混成バンド“#11”のCD『Sharp Eleven』をリリース。

2021年10月、全曲書き下ろしのNewアルバム『The Beginning of a Dream』をリリース。

現在は自己のトリオを中心に活動中。

木村秀子(Ryoichi Aratani)
木村秀子(Ryoichi Aratani)

音楽ライター/ジャズ評論家

東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。2004年『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)、2012年『頑張らないジャズの聴き方』(ヤマハミュージックメディア)、を上梓。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。2022年文庫版『ジャズの聴き方を見つける本』(ヤマハミュージックHD)。

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