【京都市伏見区】秀吉の母「大政所なか」の命乞い祈願で建った朱塗りの楼門 太閤は報奨金を値切ったのか!
NHK大河ドラマ「どうする家康」では、豊臣家の人質として徳川家へ向かう高畑淳子さん演ずる秀吉の母「大政所なか」が登場しています。そんな「おなかさん」ゆかりの場所が京都の伏見稲荷大社にもありました。2023年9月16日に訪問してみました。
表参道に面して厳然として建つ朱塗りの楼門は、安土桃山時代の天正17年(1589年)に豊臣秀吉により寄進されたもの。3間1戸、屋根は入母屋造り、桧皮葺で屋根の軒反りが大きく荘重な威厳があります。この楼門には、秀吉の母大政所(なか)の晩年に「病気平癒祈願が成就すれば一万石奉加する」と記したいわゆる「命乞いの願文」が伝来しています。なかさんは一旦は病気が平癒し、その2年後に没します。しかしこの造営伝承と伝来文書との整合性については多少の疑問がありました。
ところが昭和48年に楼門の解体修理が行われたところ、願文の年次と同じ「天正17年」の墨書が発見され、伝承の正しかったことが確認されました。神社の楼門の規模としては最も大きいものに属します。ただ、実際に寄進されたのは5000石だったと言われます。値切ったのでしょうか? 秀吉らしいかもしれませんね!
秀吉ゆかりの地と言えば、深草は、良土を産出し、古くから土人形のふるさとと言われています。5世紀中ごろから7世紀前半に土器が造られ、土師部(はじべ‐埴輪や土器を造る職人)が、奈良の菅原(西大寺の南)から移住した記録があり、遺跡も発掘されました。
さらに、秀吉の伏見城建造時(1594年)、播州(今の兵庫県)などから瓦を造る人々が深草に移り住みます。これらの人々から伏見人形が起こりました。伏見人形(稲荷人形・深草人形)は、日本各地の土人形・郷土玩具の原型となっています。
「饅頭食い人形」は、ある人が幼児に「お父さんとお母さんどちらが大切か」と問うたところ、幼児は手に持った饅頭を二つに割って「おじさんこれどっちがおいしいか」と当意即妙に答えたという民話を人形化したもの。部屋に飾っておくと「子供たちが賢くなる」と言われます。文化・文政時代からあったと伝わる伏見人形の代表作です。
まだまだいろんな逸話が残る伏見稲荷大社へ足を運んでみてください!
伏見稲荷大社(外部リンク)京都市伏見区深草薮之内町68番地 075-641-7331